ほぼ衝動☆日記

戦略コンサル修行中~東京の中心でコソコソ暮らすのにはもう飽き飽きです・・・

ようやく読破@京都

2006年11月26日 12時32分50秒 | よみもの
ここ何ヶ月もの間、仕事関係の本以外では、ほとんどずっとこれを読んでいた。
で、この4連休で京都に行った折、とうとう全8巻を読破。

竜馬がゆく〈1〉

文藝春秋

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あまりに多くの人に読まれているであろう本なので、あまりコメントしても仕方がないのだが、あえて僕の3つの辛口感想を言うと、

①歴史小説のジレンマ
どこまでが史実でどこからがフィクションなのかが判然としていないため、物語のキーとなるエピソードや登場人物の重要な会話などが、司馬遼太郎の創作なのか事実なのかどうか、いちいち気になってしまい、入り込めない。
平安時代とか、ものすごい昔のものだとほとんど創作ってことが最初からわかっているし、逆に明治くらいになると関係者の証言などをもとに事実の積み上げをベースにしていると相当程度まで信じられるのだが、幕末は微妙なところなのだ。

②竜馬はすごい人物だと思うが
竜馬の2つの要素が現代人をひきつけているのだと思う。ひとつは近代日本の屋台骨を建設したこと。彼が日本の歴史に登場しなければ今の日本は無いといっても過言ではない。もうひとつは彼のパーソナリティ。竜馬に限らず幕末の志士ファンは、その壮大な志や無軌道な行動に魅せられているのだと思うし、そうした幕末の志士たちに自分自身を重ね合わせることで、自分の心の支えにしているのだと思う。
一方で、そうした竜馬の「破天荒スーパーヒーロー的」部分にばかり目を向けることで、単なる日常の鬱屈を晴らす清涼剤として済まされてしまいそうなことは実にもったいないことだ。
僕自身は、竜馬の破天荒な部分ではなく、時代が過熱していく中にあって冷静に現実的に日本の将来像を描き行動したことこそに、竜馬の真価があるのだと思っている。そうした意味で、竜馬はすごいと思いながらも、一般の読者のように「スケールが大きく破天荒な竜馬像」に魅せられることはなかった。むしろ竜馬の師である勝海舟にこそ非常に価値を感じた。

③結局のところ竜馬は再生産可能なのか
もうひとつ竜馬のストーリーで感心しないのは、彼が一流の剣術家として世に出たことである。彼の業績や持っている資質については尊敬するが、剣が上手くなければ成立しないサクセスヒーローストーリーであることにも、興ざめした。なんや、結局は剣やんけ、と片付けられてしまいそうなのが実にもったいない(だからこそひとつひとつの修羅場が史実かフィクションかが気になった)。
襲い掛かる新撰組を、牛若丸のように巧みに剣でかわしていくストーリーは、もしそこに「本物の竜馬」が描かれていなければ、単なる安っぽい講談で終わってしまっていたところだ。

一般の読者ほど入れ込めはしませんでしたが、幕末史を知る上では(この本の相当部分が史実だったとすれば)十分に良い作品だったと思います。作品としては星5つ中、4つです。

あえて辛口な点を述べましたが、ぜひおすすめです。
コメント
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