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風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

報告と広島探訪

2008-01-06 20:42:44 | 1996~97原付日本一周
四国を出て2泊目位に、四国へ行った報告をしようと手紙を書く。
1996年頃は携帯電話やメールなど持っていなかったので、報告は電話か手紙のみ。

情報を詰め込んでいるため、細かくビッシリ書きこんでいる。
今にして思うと、受け取った相手は、字が細かすぎて読んでいなかったのではないか?




さて、いよいよ広島市内に入った。
久しぶりに原爆ドームや平和記念公園を訪れた。
原爆資料館も入った。
高校生の時以来だ。
原爆の破壊力の凄まじさを改めて知った。
人は多かった。特に修学旅行生が多い。







さてこれからどうするか。
とにかく少しでも前に進もう。
行き当たりばったり、雨が降り出す。
ビッショリになる前に、とっととテントを張って休みたい。
と言う事で、岩倉温泉キャンプ場に到着し、パパッとテントを張る。

雨の日の走行はこの時の装備では、2時間が限度だった。
ゴアテックスとは言っても、走って風圧混じりに雨が叩き付けられれば時間と共に濡れてくる。

テントを張ってからは、中でくつろいで本など読んだ。
雨の日の時間つぶしは手紙や日記を書くか、本を読む。これがいちばん。

四国離れる

2008-01-02 23:00:11 | 1996~97原付日本一周
松山市に入り、コインランドリーで洗濯しつつ、お土産を買いに買い物へ。
お土産と言っても、四国でしか手に入らなそうな食品とかばかり。
当時、「金ちゃんラーメン」は関東では見た事がなくて、とても珍しいインスタントラーメンだと思っていた。
関西の「好きやねん」と同じ位珍しい。

今ではさほど珍しくもなくなったが・・・

さて、フェリーに乗り、いよいよ四国を離れる。
短い間だったが、ちょっとした出会いもあったし、貴重なものも見れた。
四国いいところ。
今度来る時は、うどん屋巡りとかお遍路さんをやってみたいなと思った。
道後温泉も行こう。

また来るよ。それまでさらば。

船が港を離れ、陸と縁が切れると、飛行機が地面から離れるのとはまた違った感慨が込み上げてくる。
悲しいわけではないが、何かシットリとした別れの情がほんわかと心を覆う。

四国一周の走行距離1321km

夕方、呉に到着。再び本州に入った。
広島だ。

内子座

2007-12-30 17:21:32 | 1996~97原付日本一周
紫電改と離れる前に一緒にパチリ。


四国旅も終わりに近づいた。

北海道で知り合った人から聞いた情報で、内子座に寄った。
四国カルストとか剣山にも行きたかったが、この時は断念した。


古い町並みは郷愁をそそるが、この時は街全体が改修工事中で、落ち着いて見る事が出来なかった。


これなら、四国カルストに行けばよかったかな?とも思った。

この後、松山に入り、松山ユースホステルに泊まる事にした。
久しぶりに屋根の下でベッドに入って眠れる。

他のホステラーさんと旅話でもしたかったが、あまりそういう雰囲気でもなかったので、ちょっとつまらなかった。

紫電改を見る

2007-12-27 22:36:29 | 1996~97原付日本一周
御荘町の馬瀬山と言う所に着く。
ここには数十年前に、近くの浅瀬から偶然発見され、引き上げられた紫電改が展示してある。
紫電改は、戦争末期に、海軍の期待を背負って開発された局地戦闘機だ。
20mm機銃4門を積み、2000馬力級の強力なエンジンと、自動空戦フラップという新機軸を搭載した戦闘機だった。
末期に登場したので、生産機数は少なく、稼動期間も短いが、ベテランの乗った戦いではかなりの活躍を見せた機体だった。

35年間海中にあったため、かなり腐蝕が進んでいてボロボロだった。
簡単な補修でかろうじて形を保っていると言った印象。


しかし、実物には違いない。圧倒的な存在感があるのだ。
機首周りには、たくさんの供え物や戦友会などの銘、幟が立っていた。
それだけ、この機の思い入れが大きいという現れだろう。


アクリルの風防は雲ってはいるが、しっかりしていた。
前面の防弾ガラスは黄色く変色していた。


エンジンは一応カウリング内に収まっているが、下にはつっかえ棒をして、もげるのを防いでいるのが痛ましい。


プロペラは曲がったままだ。
墜落当時の衝撃が相当な物だったのだろう。

さて、建物はがらんとしていて、壁側には写真パネルや機体内から取り出された部品が展示されていた。
水メタノールタンクとか、赤茶色のゴムで覆われた防弾燃料タンクなどが興味深い。


翼内に残っていた20mm機銃弾もあった。けっこうな大きさだ。


自動空戦フラップの装置もバラバラだが展示されていた。真空管が使われていたから、当時の最新の技術だったのだろう。

約1時間にわたり、食いいるように見て、満足する事ができた。


入り口にあった売店で、記念メダルなどを買った。
それは、今も部屋に飾ってある。

また見に来たい。
それまでさらば、紫電改よ・・・

足摺岬

2007-12-24 21:00:02 | 1996~97原付日本一周
四万十川の道沿いを走り、下る。
国道441号を走っていると川幅が広くなり、だんだん観光地っぽい雰囲気になってきた。

足摺岬に向け321号線に入る。
四万十川ともお別れだ。
道路標識通りに走って、足摺スカイラインを登る。
まだかなと思い始めた頃に、足摺岬にポッと着いた。


ここからは海は見えない。
岬に降りる遊歩道があるが、気分が乗らず土産物屋をウロウロしただけ。

大阪から来たと言う、女の子チャリダーと軽く会話した。
ワンダーフォーゲル部に入っているそうで、あちこち行っているらしい。

キーホルダーを買って、爪白キャンプ場に向かう。
芝生のキャンプ場だ。

テントを張り終わって、落ち着いていると、何やら向こうからミャーミャー猫の鳴き声がした。
親子連れの飼い猫ちゃんが、木登りして降りられなくなってしまったらしい。
こちらは暇だったので、猫の救出に手を貸す事になった。
自分が木に登り、猫ちゃんの首根っこをつかみ、何とか救出成功。
猫の名前はたまちゃんというらしい。可愛い猫だった。

救出してくれたお礼にと、缶ジュースと弁当を買ってきてくれた。
実に嬉しかった。
ここでの会話で、御荘(みしょう)と言う所に、海軍の戦闘機、紫電改が展示してあると言う情報を得る事が出来たのだった。