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風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

飛び魚4

2008-05-12 21:44:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
飛び魚漁とはどういうものか、自分で知った範囲でメモ書きした物が残っているのでここに載せる。


「追い込み漁」と言って、2艘一組で行う。
網船と母船で役割を分担する。
網を円に囲んで、飛び魚を追い込む漁法。

「おどし」とは、ロープにビニールのヒレヒレをつけた物で、魚をおびき寄せるための仕掛け。
「ホーラー」は、網を引き上げる際に使うゴムのローラがついた、引き上げ補助装置。
「ペンダー」は、船同士あるいは、岸に横付けする際に船体を傷めないようにする緩衝材。
「ガギ」は、網や旗を手繰り寄せるときに使う。先がフックになっている。



飛び魚漁3

2008-05-10 20:30:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
自分は朝が弱い。
朝の食欲が全くなくて飯が食べれない。
でも、食べないと体が持たないと思ったので、なんとか小さい茶碗8分目くらいを食べた。
出発の寸前まで横になっていた。

この日は一応出港したが、天気もすぐれず魚もほとんど見かけなかった。
「今日はぜんぜん飛ばないなー。」
一回だけ網をおろしたが、海が荒れそうだと言う事なので、引き返す。
網があちこち穴が開いてきたと言う事で、網を岸に降ろし、網の修理。
Yシャマー(島では先輩のことをシャマーと呼ぶ)の見事な手さばきに思わずため息が出る。

夕方になり、頭痛がひどくなってきた。
USさんが、つらいなら帰っていいぞと言ってくれたので、お言葉に甘えて帰らせてもらい、家に帰ってから、バタンキュー。
OMさんの奥さんが、開口一番
「どうした?船酔いか?」
と、苦笑。

今晩は飯を食べるのがとてもつらかった。
エビフライを無理やり詰め込む。
貝汁はダシが出てとてもうまかった。


メモ描きなので分かりにくい図だが、投網手順を記した。


旗を降ろす。
次に網を降ろす。
網のヘリに付いた仕掛けまで降ろしたら、一旦離脱。
すぐに反転し、ガギで網の尻のロープを引き上げ、先頭の旗の方にもう一つの仕掛けを付ける。

続・飛び魚漁

2008-05-06 20:53:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
飛び魚が海面を飛んでいる姿は、とても美しかった。
これを見るまで、自分はせいぜい普通の魚よりすこしジャンプの距離が多いだけかと思っていた。

実際は本当に「飛行」していた。
羽のように長いヒレを広げて、ヒューンとグライダーのように海面から50cmくらいの空中を20~100m近く飛んでいくのだった。

一度にたくさんの飛び魚が飛ぶと、思わず「おお!」と叫んでしまうほど、素晴らしい眺めだった。

まあ、しかし自分がやっているのは漁であって、フィッシュウォッチングではない。
とにかく、船酔いに始まり、船酔いで終わる一日といった感じである。

陸に上がってからも、ユラユラしている状態の事を、「陸酔い」(りくよい)と言うらしい。

生活は、同じ寮ながら、「寮」から「家」へ確実に変わっている。
キビ刈り隊の時は寮生だったが、OMさんの居候みたいになってきた。

キビ刈り隊メンバーはまだ島に居たが、寮から出てテント生活。
しかし、彼らは数日後には島を離れる。ちょっと寂しい。

飛び魚漁に参加する

2008-05-05 11:38:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
キビ刈りが終わった事で、自分の中で一つの旅の区切りがついた。

さて、日記は1冊書き終えて、新しい日記帳に入る。
波照間にもう少し滞在することになる。

1997年4月7日
波照間での新たな生活が始まった。
OMさんの誘いで、飛び魚漁をする事になった。
漁船に乗るのは生まれて初めてだ。

OMさんの奥さんは、自分達のために、朝早くから起きて弁当をと朝食の準備をしてくれた。
水仕事なので、乾き易い化繊のジャージを履き、キビ刈りの時に使ったシャツを着て、その上からライフジャケット、そして漁師用の雨合羽である。
長靴もキビ刈りのを流用した。

USさんの船「海幸丸」に乗る。
船酔い・人間関係・仕事ができるか・・・不安は尽きない。

8:00頃出航。

398馬力のディーゼルターボのエンジンがうなり、波照間港を出た。
軽い船体に強力なエンジン。白波を立てて海の上を自由に航行するのは爽快そのものだった。
客船ではないから、ブリッジ以外に覆うものがない。
潮に逆らって突き進むと、まともに潮の飛沫を受ける。


航行中は風が気持ち良く、実に楽しい。

船がポイントに止まり、網投げが始まる。
最初の2時間位は平気だったが、しかしそれ以降ジワジワと気持ち悪くなってきた。
『あ、こいつが船酔いか・・』
意識がユラユラしてきて、とにかく気持ち悪い。

もう、どうにもならなくなって、吐いてしまった。
吐いても気持ち悪さは収まらず、ずっと続く。
その日は5回も吐いていた。
船酔いをこうして実感した。
三半規管が波によって狂っているな、と朦朧とした意識の中で考えた。

1回目の網回収は何とかやった。
しかし、昼から14:00頃は最悪で起きる事すら出来ず、2~3回目の投網、回収は出来なかった。
4回目の時は何とか気分も落ち着き参加した。

これまたえらい物にはいってしまったな、もう乗りたくねえ・・・
早く港に着かねえかな。そればかりだった。

港に着き、陸に上がってからもまだ頭がユラユラしていた。
気分が悪いが、それでも船の上に比べれば天国のようだ。

船の上で飯を食べるなんて考えられなかった。
しかし、吐いてばかりで、脱水症状を起こしかねないと思い、水だけは無理してでも飲んでいた。

飛び魚漁は、追い込みと言って、2隻の船がチームになって網と仕掛けを張り、網の輪を縮めていきながら、魚を徐々に追い込んでいく。

船酔いで観察どころではなかったが、まあ仕事と船酔いは慣れるしかないようだ。

分散会

2008-05-03 21:26:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
1997年3月30日

分散会当日。
前日に久しぶりに夜更かしをした。

分散会のメインメニューとなる山羊汁の準備で皆で島の人達の手伝いをした。
今日は相当飲まされるだろうな・・・
これは覚悟しなくてはいけない。

OMさんの飼っていた山羊一頭がつぶされ、それが山羊汁の材料となった。
OMさんは、自分の山羊を殺すのはかわいそうでつらいと言っていた。

寮の庭にドラム缶の焚き火コンロと大鍋が用意され、豪快な山羊汁が出来上がった。

庭にテーブルを出し、キビ刈りで関わった人や、お世話になった人、近くを通りかかった女子大生2人も加わって、乾杯。


山羊の肉の刺身は臭いと聞いていたが、そんな事は無く、醤油と酢少々におろしニンニクのタレをつけて食べたら美味しいのなんの。
その他に、山羊の睾丸の刺身も食べた。
白子のようにドロッとした中に、コリッとした食感で、これも意外と美味しかった。
山羊の肉は、牛や豚の肉と違って、精力がよくつくらしい。

山羊汁も美味しい。
スープは、味噌と山羊の血と骨付き肉、その他臓物が入っている。
それらを1~2時間グツグツと煮込む。
その間アクを丁寧に取ってやる。

自分は3杯食べた。
3杯目はスープだけ取り、その中にご飯を入れて食べた。
Oさんは臭いがダメらしく、ほとんど食べていないようだった。

自分は腹いっぱい食べて、くつろいだ。

15:00頃、飛び入り参加の女子大生達を送ってから寮に戻り、晩の宴会が始まった。
島の人が三線を弾いてくれた。
波照間島節の伴奏がが流れると、島の人達は手拍子と共に自然に歌い出す。
ゆったりとした美しい歌だ。

その他にも何曲か演奏してくれ、あとは皆で酒を飲みながら話をして過ごした。
OMさんはベロベロに酔っ払っていた。

そのうち一人減り二人減り、残りの数人で朝方まで話をし、分散会はお開きとなった。
二度と来ない貴重な時間だった。

この時に島の人が演奏してくれた様子は、録音テープに残っている。