かやのなか

あれやこれやと考える

不条理を笑う ブラック・クランズマン(感想)

2019-10-16 00:00:00 | 映画
 ブラック・クランズマン(BLAKKKLANSMAN)は2018年のアメリカ映画。監督は「マルコムX」のスパイク
リーで、この作品でアカデミー賞脚色賞とカンヌ映画祭審査員特別賞を受賞している。

 コロラド州の警察署に最初の黒人警官として採用されたロンは、潜入捜査の一貫で、白装束で有名な白人原理主義集団<KKK>の新聞広告に電話をかけ、黒人でありながら持ち前の話術でメンバーに気に入られ、組織の中で頭角を表していくが、中には当然ロンを怪しむやつもいて・・・。というのがざっくりしたストーリー。

 ロンが黒人であることは見りゃ分かるので、KKKの会合には、白人の同僚警官が「ロン」として出向くことになる。いわば二人のロンが存在することになる。この同僚を、スターウォーズ新シリーズの敵役、カイロ・レンを演じたアダム・ドライバーがやってるなんて、観終わってしばらくしてから気づいたよ。雰囲気があまりにも違い過ぎて。でも、こっちのアダム・ドライバーの方が全然輝いてた。セリフも立ち居振る舞いも地味そのものなのだが、雰囲気があった。ちなみに、彼が演じるこの同僚の警官は実はユダヤ人で、KKK的には「また別の敵」にあたる。

 アダムドライバーが劇中で「自分は決して厳格なユダヤの戒律に従って育てられたわけではない」と語るシーンがある。それほど民族に帰属意識はないが、目の前でユダヤ人をボロカスに言われると腹がたつ。
 主役のロン(こちらはデンゼルワシントンの息子が演じている)はロンで、警官になってしまったものだから、バリバリの黒人活動家たちからは浮いた存在である。仲間の白人警官たちが、黒人の恋人からピッグ(警察の蔑称)と呼ばれると、「ピッグじゃなくてポリスだ」と訂正したくなるが、訂正すると「お前は黒人じゃないのか」と非難される。

 舞台は1970年代に設定されているが、この、白か黒かを表明しないと許されない時代の居心地の悪さは、現代にそのまま存在する空気で、黒人差別を表立った題材としているが、それだけにとどまらない社会の不条理を描いていたように思う。
しかし題材の重さに比肩して語り口は軽快で、エンタメに徹しており、上映中はそこかしこで笑い声が聞こえた。

 ロンが潜入するKKKの支部メンバーにコニーとフィリップという夫婦がいるのだが、この夫婦、過去に何があったか知らないが、黒人とユダヤ人を本気で殺してやりたいと考えている。特にコニーが強烈で、黒人の話さえしなければ、よくいる善良なおかみさんといった風情なのだが、そのマシュマロのような体躯と無邪気な笑顔から発せられる黒人への悪口雑言の数々は、一周回って倒錯的な美しさすら感じた。旦那のフィリップも、完全に憎しみで頭がイカれてしまった男だが、コニーとベッドで「ハニー、ようやく黒人どもを焼き殺せるね・・・」と語らうシーンなど、会話の内容こそイカれているだが、醸し出される雰囲気には荘厳さすら漂う。彼らは真剣そのものなのだ。真剣で、真摯であればあるほどギャグであり、後ろに悲しみが隠れている。

 飯田橋のギンレイホールは二本の映画を交互に上映し、一枚のチケットで二本分滞在することができる。どこから観るかは観客の自由で、今週はこれとグリーンブックを上映していた。私はどちらかというとグリーンブック目当てだったのだが、映画館のツイッターによると、ブラック・クランズマンの方が客入りは良いらしい。
 18日まで上映しているので、まだの方はぜひ。



コメントを投稿