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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

報道

2017-08-27 16:56:21 | 日本語脳

>集合体というものが機能して、国家などの名前をつけて、それによって人間がクリアしてきた課題はたくさんあるだろうし。>人間の進歩・営みを考えたらしょうがないんだと思います。>論理的には。

マスコミのことですね。

>集合的意識でやってきた人たちの価値観を否定すれば、怒る人たちがいるというのもよくわかる。>しかし、それでも集合的意識に人間が従うのは、僕はくだらないなと思います。

付和雷同のことですか。我々は、考える人になるべきですね。

>例えば、つまらない飲み会とかも、多くの人が薄々どうでもいいと理解しながら、それに付き合うわけじゃないですか。>みんな分かっているんです。>しかし、そのどうでもいいことに皆が付き合うから永遠に終わらない。

外に良策が無いからでしょう。でも、ほどほどにしたほうが良いですね。

>報道だってそうです。>テレビも新聞もネットニュースでも良いんですけど、そこに重要なものなんて99%無い。>ほとんどは無駄な物です。

そうですね。同感です。報道も重要なのは、視聴率ですからね。

> なんとか学園も、誰かの不倫も。他に重要な、報道するべき問題がたくさんあるというのに。>でも、くだらないニュースの方に食いつく人間が多い。

人びとには、それ以上の関心事が見当たらないからでしょう。

>するとそれらの話が集合体として重要だと思われ始める。>そして報道が拡大される。

報道の話に花が咲くのですね。

>そこには経済的理由もあって、報道機関は株式会社なので、株主という集合体の利益を損なわないためには収益が必要、つまりスポンサーが必要。>スポンサーは視聴率が重要。>であれば何でもいいから視聴率さえ上がればいいんだという理屈になっていく。

処世術ですね。今だけ、金だけ、自分だけでしょう。不適当ではあるが、違法とは言えない。

>本質や真実が多少ないがしろにされようが、人が見てくれればいい。>だったらアダルトビデオを流すのが一番いいんだろうけど、そういうわけにもいかないから、よって報道がいわゆるニュースポルノになっていく。>そういうことじゃないですかね?

そうでしょうね。純粋な生活を送る天皇とは違って、庶民は総理大臣から下々に至るまで真逆の生活を営んでいるわけですからね。

>ま、僕なんかが言わなくてもみなさんお分かりのことなんでしょうけど。>でも、みんなわかっているのに変わらない。

教養が無いからでしょうね。民度が低い。革新になれない。大学生も哲学専攻にはならない。大学院の哲学博士 (Ph. D.) 作りにも人気が集まらない。我が国には人手不足はあるが、頭脳不足の話は聞いたことが無い。

>何故かというと、それを見ている大衆というものが本質を理解しようとしない、真実を求める時間もない。

そうですね。大衆というものが、考える (非現実な) ことを好まないからですね。我々はどこから来たか・我々は何者であるか・我々はどこに行くのかといった哲学の命題を考えていない。
日本人が無哲学・能天気であるのは、日本語文法に時制 (過去・現在・未来・完了等、時に関する言い表し方) というものが無いからでしょう。これでは、非現実の世界を脳裏に構築できない。だから、学問体系を展開できない。

>スキャンダル週刊誌が売れて、ワイドショーが見られるのは、人がリンチされるのを見たい奴らがそれだけいるからです。

そうですね。視聴者は低能ですね。見ざる、聞かざる、言わざる。(自分の心を惑わすようなものは、見ない、聞かない、言わない) ということですね。




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おかしな良い子

2017-08-26 23:39:21 | 教育
 
 
>■おかしな「良い子」が作られる

>学校でよく言われる「良い子」「優等生」とは、結局のところ教師の言う事に黙って従い迷惑をかけない人間だと言えるでしょう。

そうかもしれませんね。声なき民の子供ですね。

>でも、これはよく考えてみると凄くおかしいと言う事が分かるはずです。>自分の意思を持たず、ただ上の人間の命令に従うことが全てだと考えている人間なのですから。

そうですね。同感です。ですが、日本人には意思 (will) がありません。意思は未来時制の文章内容でありますが、日本語には時制 (tense) というものがありません。ですから、日本人には意思がありません。それで、優柔不断・意志薄弱に見えます。英語には時制がありますから、英米人には意思があります。だから、積極的です。
日本人には意思はありませんが、恣意 (私意・我がまま・身勝手) が有ります。恣意 (self-will) は文章内容にはなりませんが、バラバラな単語 (小言・片言・独り言) として発せられます。これは、歌詠みの様なものか。それを下位の者はそれを忖度 (推察)して、行動します。空気を読むわけですね。ですが、文章にならないものは意味もなく、矛盾さえも指摘できません。ですから、忖度による行動に説明責任など取れません。公の場で上司と対立関係に立ったなら、私は貝になりたいと思うでしょう。文章にならない発言を日本人が利用しなければならない環境が、日本語を曖昧な言語にしていることの原因です。
‘自由’ とは意思の自由のことです。ですが、これを恣意の自由と解釈したら、’自由のはき違え’ となります。ですから、恣意しか持ち合わせ居ていない人には、’不自由を常と思えば不足なし’ ということになります。これは、昔に戻ることですね。

>■学校の中でしか評価されない人間

>学校での良い子とは、結局自分自身の自我というものを殆ど持たない傾向にあることは説明する必要は無いと思います。>こうしたタイプの人間が大勢集まってくれるならば、確かに教師は非常に楽なのです。>学校での授業は特に何の問題もなく進むでしょうし、大きな事件や問題を起こして教師たちを困惑させることもまず無いと言えるでしょう。>ようするに、他人に迷惑をかけない人間なのです。勿論、確かにそれは大切なことであるとは思いますが、迷惑をかけないというのは突き詰めるとどういうことかを考えて見ましょう。>・・・少なくとも、私の中では絶対に迷惑をかけない人間と言うのは「何もしない人間」だと考えています。>そうでしょう?何もしなければ何も起きないのですから。

そうでしょうね。空気のような存在ですね。

>教師に言われたことに忠実に従い、命令された事だけに従えば確かに迷惑はかからないかもしれません。>でも、こうした人間が学校の外に出たとき果たしてどうなるでしょうか。

きっと社会の歯車のような人間になるでしょう。

>実社会ではこうした命令された事だけに従っているだけの人間というのは、基本的に歓迎されないというのは大半の人ならば理解できると思います。

そうですね。そうあってほしいものです。

>指示待ちで自ら率先して学ぼうとせず、上の人間からの評価ばかりを気にしているというタイプの人は、どう考えても高い評価にはならないと考えるでしょう。>ただの機械の部品のような存在でしかないわけですから、それほど歓迎されない職場の方が多いのは明白です。

待ちの政治の実践ですね。とはいうものの、我が国には人手不足があります。にもかかわらず、頭脳不足という話は聞いたことがありませんね。ですから、考えの内容は、あまり尊重されていませんね。

>■学校の方針に何でも黙って従う優等生

>もう一つ懸念すべきなのは、こうした子供たちというのは問題のある教師の命令や明らかに不当な学校の命令にもそのまま従うだけだということです。

日本人には、意思がありませんからね。そのまま、上位の者の命令に従うだけです。おとなしい人間です。昔の兵隊映画に、’上官の命令は天皇陛下の命令だ。あそこの鶏を盗んで来い’ という台詞がありました。天皇の純粋に比べて、下士官の兵に対する命令には確かに違和感がありました。我が国の陋習ですかね。

>夏場の異常な暑さの中で体育を受けている中で死亡する学生も存在するのですから、普通の感覚ならば適切な場所で体育をした方が安全だということが分かるはずなのです。

リーズナブルな場所を選んで、体育をしたらよいですね。

>授業にせよ、なぜ多人数で全く同じ授業を受けなければならないのかということ自体が本来ならばおかしいと感じるはずです。物足りない人もついて行けない人も出てきてしまうのですから。

それは、そうですね。でもね、一般の社会でも能力の差は同じように存在しますね。

>このように、優等生と呼ばれる子供というのは結局のところ管理する側の教師や学校の運営において単純にとても都合がいい存在でしかないということが簡単に分かるでしょう。

そうですね。便利なロボットの様なものでしょうね。自己の意思を示せば、当事者・関係者となります。自己の意思を示さなければ、部外者・傍観者にとどまります。我が国は、世界の中に在って、世界に属していない。孤高の国か、哀しからずや。

>疑問を感じず、自分の意見を主張せず、命令に従うことが絶対だと考える人間は、本当の意味で健全な「良い子」なのでしょうか。

我々は、’考える人’ にならなくてはなりませんね。そうでなければ、国際人にはなれないでしょう。現実だけ知っているのでは、アニマルと同じです。



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人口減少

2017-08-23 10:06:30 | 政治

>『縮充する日本』PHP新書

>山崎氏は本書の中で「参加」についてこう語る。>「『個』が優先されてきたことによる違和感のようなものに、日本人は気づき始めているのではないかという思いがある。>はたして『個』の時代は僕らの生活を豊かにしたのだろうか。

我々日本人は、個の時代作りに失敗しましたね。

>都合よく一人になれる一方で、病気になったり、事故に遭ったときの不安は増大していないか。

個は物理的な孤立の話ではなくて、精神的な自主独立の話でしょう。そうであれば、個は大切です。

>鬱、自殺、孤立死といった悲しい出来事や、振り込め詐欺のような卑劣な犯罪は、人と人とのつながりが希薄になったことと無縁ではないように感じている。

精神的な個があれば、個人と個人はつながることができる。自主的な協力体制ができる。そうでなければ、我々はポチになる。

>OECD(経済協力開発機構)が2005年に実施した社会的孤立に関する国際調査によると、家族以外の人との交流がまったくない、あるいはほとんどないと答えた日本人が15.3%もいて、この数字はOECD加盟国の中でもっとも高いという。

そうでしょうね。序列国家において序列制度が励行されなければ、人々のつながりは希薄になりますね。

>諸外国ではあまり見られない孤立死が日本で増えている背景には、人と人とのつながりが希薄になってことが一因ではないかと指摘している。

そうかもしれませんね。タコつぼに入って最後まで戦う日本軍兵士の様なものですね。孤軍奮闘・四面楚歌

>講演などでもしばしば話すのだが、僕には大好きなアフリカの諺(ことわざ)がある。>『早く行きたければ一人で行きなさい。遠くまで行きたければみんなで行きなさい』>一人では満たされない感情はたくさんある。>喜びも、悲しみも、孤独の中で噛みしめるより、仲間と分かち合ったほうがいい…。>そう考える人たちが日本中で増えてきていると感じる」

悦びを分かち合いたいということですね。それはあります。

>日本の人口減少は恐ろしいほどの速さで進んでいる。>我々は、このことは避けられない未来なのだと腹をくくり、その方向にそった最善の方法を探していくしかない。>そのひとつの解が、「参加型」のしくみをつくっていくことだという。

そうですね。民主主義は、参加型ですね。我々の課題は、対話・議論の下手なことです。議論をすれば、喧嘩になります。無哲学・能天気の人間は自己の大同を示すことが無いので、小異は捨てられない。小異の激突が喧嘩を呼ぶ。小人たちの励みが、大同団結を無意識のうちに阻止している。だから、我が国の国力の増進がはかばかしくない。

>考えてみれば、我々は欧米型の「個」を重視する考えを従来より取り入れ、それが今、行き過ぎてしまったのかもしれない。

個の重視は、大切ですね。
非現実 (考え) の内容は、人によって違う。だから、それらは多数である。矛盾のない考えは、すべて正しい。これらの内容を保護・育成しなくてはならない。国家は、言論の自由を保障し、その内容を比べ合って、人気のあるものを国是とするのが良い。

>『早く行きたければ一人で行きなさい。遠くまで行きたければみんなで行きなさい』

そうですね。我々は助け合って生きてゆかなくてはなりませんね。一人では社会建設はできませんね。

>人口減少社会での生き筋を探してみたい。

これは重要な課題ですね。小さな国家が不幸だとは限らない。インド・中国・ロシアなどの大国には、移民・難民も押しかけない。広大な国土と巨大な人口に人気のないのは、住民が魅力ある生活をしていないからでしょう。

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政治家の力

2017-08-22 00:29:49 | 政治
(中略)

>イギリス軍は日本軍に勝ったが、戦後、インドとビルマの両方を失った。>その後、マレーも放棄し、大英帝国は解体への道を辿る。

時代の流れですね。イギリスは大戦で疲れはてました。

>世界恐慌後、膨大な植民地帝国を有するイギリスがアメリカと組んで保護貿易に踏み切ったことが世界大戦の遠因となったが、戦争の結果、大英帝国は崩壊し、帝国主義の時代そのものが終焉を迎えた。

大戦後、多くの植民地が独立国となりましたね。彼らの独立は大戦が幸いしたのですね。

>自由貿易を満喫する戦後の日本人は、戦前、なぜ日本が資源地帯を確保するべく必死になったのか、その理由を全く理解できない。

戦後、アメリカが日本に対して市場を開放してくれたことが良かったですね。

>植民地が無ければ貿易さえままならない、そんな時代がかつてあったのである。

勝てば官軍ですからね。(Might is right). 負ける戦争は極力避けなければならない。彼を知り己を知れば、百戦危うからず。

>そうした複雑な歴史の紋様を、視聴者に説明する努力を怠り、只管、戦争の悲惨さにだけ焦点をあてて、情緒的、勧善懲悪的に「日本は悪」「日本軍は無能」とだけ報じ続けても、歴史の教訓とはなりえないし、そもそも未来の戦争を防ぐ効果さえないだろう。

そうですね。同感です。泣く泣く浪花節流に戦争を再度始めるかもしれませんね。複雑な歴史の模様を説明できるほどの知的能力は、我が国民にはありませんね。
情緒・勧善懲悪には、日本人は強く反応しますから、視聴率を上げることには都合が良いです。歴史の教訓の方は難しいですから、手がつけられません。
戦争で近隣諸国にご迷惑をかけたのだから、’日本は悪’ である、玉砕に玉砕を重ねたのだから、’日本軍は無能’ 。これならわかりやすいですね。

>寧ろ、中国、韓国の反日感情を煽る燃料となり、北東アジアの対立と緊張を招く危険さえあるのだ。

自己の考えが無ければ、外国からも誤解を招きますね。だが、そこまでは考えが及ばないでしょう。
 
>メディアの偏向した報道のせいで、日本の無能な指導者層が勝手に戦争を始めたと勘違いしている人が多いが、軍部が独走し、新聞が戦争を煽り、弱い内閣がそれを抑えられなかったというのが実態。

そうですね。我が国の政治家は弱いですね。雄弁というものが無い。国民に対する説得力がない。時代を先取りする政策が無い。これを政治音痴というのでしょう。

>軍部とは、軍人とは、要は軍服を着た役人。

そうですね。彼らは国民の代表ではありませんね。

>国民から選ばれたわけでもない権力が国民に選ばれた政府権力を凌駕する危険性。

我が国の政治家は無力ですね。彼らは政治力を買われて政治家となったわけではないのでしょう。何事も、’よきに図らえ’ と役人に言っているのでしょう。
日本人には意思が無い。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語には時制というものがない。だから、日本人には意思が無い。優柔不断・意志薄弱に見える。
だが、日本人には恣意 (私意・我がまま・身勝手) がある。恣意は文章にならない。単語 (片言・小言・独り言) のままでいる。だから、意味もない。矛盾さえも指摘できない。だが、上位の者は、この恣意を発して、下位の者は忖度 (推察) でそれを受けて仕事をしている。だから、役人の裁量権が政府の権力を凌駕する危険性があります。

>現在、「報道の自由」「権力監視」を盾にし、役人と結託して内閣を潰すことに夢中になっているメディアは、「統帥権干犯」を振りかざして政府の方針を軽んじた戦前の軍部とそっくりである。

何といっても、政治家が弱い。政治家の考えが弱い。自己主張が弱い。国民に対する説得力が無い。指導力が無い。メディアが良くないのは、その責任者が良くないからでしょう。

>メディアは歴史から何も学んでいない。

そうですね。歴史哲学が必要ですね。無哲学・能天気の人間には、考えることは難しいことですね。我が国には人手不足はあるが、頭脳不足の話は聞いたことがありません。

>***

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」


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三島由紀夫

2017-08-21 00:03:10 | 政治

>昭和45年7月7日、サンケイ新聞(当時)夕刊に、ある記事が掲載された。

>「果たし得ていない約束-私の中の二十五年」と題されたその記事は、異様なまでの焦燥感にみたされていた-「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」。

そうでしょうね。経済大国は処世術に長けている場合が多いですからね。伝統的な日本人は序列的で、天皇は純粋 (非処世術の見本) ですからね。三島の理想ですね。

>世間は、3月にはじまった大阪万博に酔いしれていた。>岡本太郎の「太陽の塔」が、高度経済成長の象徴のように君臨していた。>人々が空気のように豊かさをむさぼり吸っている傍らで、三島由紀夫はひとり立ち尽くし、口を覆っていたのである。

絶望的ですね。三島の内容は、真っ赤なウソになる。現実は、見ればわかる。話にうつつ (現) を抜かしてはならない。’キチガイはどこにもおるもんだよ’ という結果になるのか。気が狂ったとしか思えない。

>もし日本人の日本人らしさが「豊かさ」にあるとしよう。ではそれを失ったらどうなるのか? 

組織的な活力が失われた人間ということになるでしょう。たとえば、外国に移民した日本人のように。

>他国がより安い製品を作れば失われてしまう、そんな場当たり的な価値観を「日本人らしさ」の基準にしていいのか。

‘、、、らしさ’ は、趣味の問題ですからね。内容がどんなであれ、議論のための論拠にはなりませんね。(There is no accounting for tastes).

>確かに学生たちは繊細だった。昭和43年の学生運動、「全共闘運動」と呼ばれる大学生たちの反乱には、戦後=民主主義への違和感があったからだ。

無哲学・能天気の民の民主主義は衆愚政治になります。不満足な民主主義ですね。

>耳に心地のよい正義感、正論を吐いている学者たちは何をしているのか。

無哲学・能天気の学者では、無為無策ですね。

>しかも日本は経済的な快楽に溺れ、アメリカの言いなりになっている。

経済的に潤うだけでも民は幸いですね。自分自身に考えが無いのだから、アメリカのポチに成るより外に仕方がないでしょう。

>正論の裏にある、時代の空虚と偽善、その閉塞(へいそく)感を破壊せよ。

現実ばかりで哲学無しでは、閉塞感にさいなまれますね。正論は方便になります。空虚と偽善は、処世術にはつきものです。

>そのためには民主主義にすら、一度は「否」をつきつけよ-学生もまた三島同様、焦燥を募らせていた。

夢に破れて、焦燥感をつのらせることになりましたね。

>だが、と三島は思った。>私は万博に酔いしれる人々はもちろん、彼ら大学生たちとも違う。

そうですね。彼らは序列メンタリティで動いているのではないからですね。貴方とは違いますね。

>学生たちは私三島を誤解しているし、半分までしか理解しあえない。

お互いに、無哲学・能天気ですからね。大同が無く、大同団結をしない。小異の不満を募らせている。

>なぜなら自民党がつくりあげた戦後社会を、私三島は呪っているからだ。

戦後社会は無哲学・能天気で、処世術万能の社会ですからね。不適当でも違法とまでは言えない社会です。

>「からっぽ」な社会を否定する気分は、学生と同じだ。

そうですね。無哲学・能天気な ‘からっぽ’ な社会に、序列メンタリティの気合を入れることが必要ですかね。

>では何がちがうか、それは私は日本の文化を守るために戦後を否定しているのであって、学生のように破壊と否定、革命だけを夢想していないからだ。

学生のように今までにないものを作り上げるのではなくて、あなたは昔からあるものを立派に育てたいということですね。

>私には明確な目標がある、否、正確に言えばまだ果たしていない「約束」がある。それは戦前の若者が、なぜ死なねばならなかったのか、何のために命を投げ出したのかに答える、という約束である。

戦前の若者は、天皇を基軸とした世の中を樹立するために命を落としたと信じ、あなたも彼らの努力を継続したいと考えているのですね。

>だから私の人生は、つねに死を飼って生きてきた。最初は戦争で、2度目は多くの友人が死に、そして3度目は戦後を生き延びた「老い」の感覚によって。

決死の覚悟の様ですね。

>そして三島は思った、文化を担う「天皇」だけが、この約束を果たす存在であると。

我が国の序列制度の中心は天皇以外に考えられませんね。三島には世界観が無いから、天皇序列は世界の果てにまでは届きませんね。

>戦後のふやけきった日本を停止し、文化の咲き誇る「日本」を取り戻すには、天皇こそ必要なのだ。

ふやけきった社会は、処世術万能の世の中のことですね。三島が目指すは天皇利用の序列制ですね。序列メンタリティの開花ですね。

>全共闘の学生は、三島のこの言葉=天皇を受け入れることはなかった。

全共闘は天皇が嫌いでしょう。革命と天皇は馴染まない。

>だから三島と学生は、「半分」までしか理解できないのだ。

そうですね。

>三島は経済大国日本にも、また学生にも同調できなかった。

三島は経済人でもなく、学生でもありませんからね。

>戦後のどこにも居場所はなく、その華やかで過激なまでに豊穣(ほうじょう)な小説群に抱かれながら、なお、自らは孤独であると感じていた。

序列メンタリティは、世俗的で不安定ですね。人間序列を実現する空間がこの世界にはありません。

>そして思った、戦前の人々と交わした約束を守るには、戦後の象徴天皇制はもちろん、明治立憲制下での天皇にも疑問があると。

それは、その通りですね。疑問がありますね。法律ですからね。信仰の問題にはなりませんね。

>天皇は政治ではなく、文化のためにこそ奉仕すべきであり、神でなくてはならないと。

日本の文化は序列制度ですね。人間序列の最高は神でなくてはなりませんね。そして、底辺は下々になりますね。’上とみるか、下とみるか’ の判断で忙しい。.

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