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他者回避

2017-08-01 06:28:43 | 日本語脳


>■「若者の~離れ」は日本人特有の他者依存に基づく>しかし最近、内需が閉塞しているのはなぜか。

金が目的に対する手段となっていないからでしょう。

>経済の停滞だけでは説明できないだろう。

無哲学・能天気では、新しい社会の建設目的などないでしょうね。

>その特徴の一つが「若者の~離れ」に現れてるのだろう。>日本の「若者の~離れ」のポイントは、他者回避にあると思う。

他者との付き合いは、日本人には難しいでしょうからね。

>社会的な他者と交わることからくる束縛=拘束を回避したい。

社会性が無いですね。世界観が無いから、自己の構想を説明できない。期待できるものは何もない。だから、他者との交わりは、束縛・拘束でしかない。

>他者と向き合うことで生じる社会的な責任を回避したい。

日本人には責任感 (sense of responsibility) が無いですからね。この国がひっくり返った時にも、責任者 (responsible person) は出なかった。とかく、この世は無責任。
日本人には意思が無い。優柔不断・意志薄弱に見える。意思のない人には責任を任せられない。責任者は社会的な意思決定を行わなくてはならないから。他人のせいにする人ばかりで、我々の社会には責任者が見当たらない。
意思があれば、加害者意識もある。罪の意識が有れば、改心できる。進歩もある。被害者意識ばかりでは、どうにもならない。アニマルと同じでしょうか。

>一人でコンビニエンスな生活、ネット上のコンビニエンスな他者との会話を気楽に楽しみたい。

恣意的ですね。恣意 (私意・我がまま・身勝手) は、小言・片言・独り言で発せられる。精神的に成長していない幼児症ですかね。

>このような他者回避がとても日本人的であるのは、まったく他者を回避しているわけではなく、逆に社会に依存していることで可能になっているためである。

そうですね。ゲットウ住まいの様なものですね。そこから脱出したくても方法がない。文化の違いを克服できない。

>西洋のように、異文化の「他者」が身近にいて習慣が分断されている社会で、他者を回避することは、他者がなにを考えているかわからず、とても恐ろしいものになる。

そうでしょうね。突然、隣人が殺しにやってくるということも、無きにしも非らず。

>たとえば日本人は黒人がそばにいるだけで違和感を感じる。

そうですね。我々は、黒人に慣れていませんからね。

>安心するためには積極的に社交するしかない。

同感です。

>解り合えるということではなく、社交として安心を確認しあう。

安全が第一ですね。

>たとえば米国でエレベーターで一緒になると笑顔を交わし合うようなことだ。

そうですね。自分に敵意の無いことを相手に示す必要がありますね。

>逆に日本人のように無表情でいるのは西洋人には恐怖に感じる。

相手は何を考えているのか、分かりませんからね。奥ゆかしいとは言えませんね。

>だから多民族の西洋では日本的な他者回避は難しい。

そうですね。西洋は国際社会の様なものですね。

>日本人の若者の他者回避、必要以上に干渉しないで欲しいという関係は、真に他者と関係を絶つことでは不可能である。

問題の解決にはなりませんね。鎖国政策の様なものか。開国もやむなしということになる。

>日本人のハイコンテクスト、高い習慣の同期性によって可能になる。

井の中に住む蛙の様なものですね。心地は良いが、世界が狭い。国際社会に移行できません。

>そしてそこにはある程度のお金さえあれば一人でいけるほどに十分に成熟した資本主義の消費文化がある。

物質文化があって、精神文化がない。まともな人間が育たない。


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