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大本営発表 続き

2018-08-26 17:32:15 | 政治


>・予期せぬ敗北で損害隠し…ミッドウェー海戦「日本の勝ち」
>軍内部の対立で大本営発表が歪められるきっかけとなったのが、1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦の大本営発表だ。>霞が関の海軍省・軍令部では祝杯の準備をして戦勝報告を待っていたが、飛び込んできたのは空母4隻を失う予想外の知らせだった。

本当に、残念でしたね。

>開戦以来初めてとなる大敗に直面し、これをどう発表するかをめぐる調整は難航を極めたという。>報道部は「空母2隻沈没、1隻大破、1隻小破」とする発表文を起案したが、作戦部が猛反対した。3日後に発表された味方の損害は「空母1隻喪失、1隻大破、巡洋艦1隻大破」に減らされた。一方で、敵の損害は「空母1隻の大破」が「2隻撃沈」に水増しされ、「沈めた空母の数で日本の勝ち」と発表された。

頭も使いようですね。

>報道部の担当者は戦後、ミッドウェー海戦の大本営発表のなりゆきについて、「真相発表とか被害秘匿とかそんなものを飛び越えた自然の成り行きであった。理屈も何もない」と述懐している。

理屈を抜くのは、日本人の得意技でしたね。

>誰かの決定も指示もなく、あうんの呼吸で部署間のバランスに配慮した結論が出された。

‘以心伝心・阿吽の呼吸’ は、日本人の誇る国技のようなものですね。畏れるものなし。

>情報軽視と軍内部の対立という欠陥は放置されたまま、空気を読んで戦果を忖度し、でたらめを発表する仕組みができ上がった。

嘘も方便ですかね。情報軽視と内部対立を抱えた欠陥軍であったか。

>良心の呵責もあったのか、ミッドウェー海戦以降、いったん大本営発表の回数は激減する。

意気消沈したのですね。

>しかし、しばらくして再び増え始めた大本営発表には、当たり前のようにウソが混じるようになる。>辻田さんは「ウソをつくことを覚えたのだろう」と分析する。

息をするように嘘をつくですかね。

>海軍はミッドウェーでのごまかしは、すぐに勝って帳尻を合わせればよいと思っていたようだが、戦いの主導権は二度と戻らなかった。>一部の海戦については後から戦果を訂正する発表もあったが、これは誤りが判明したからでなく、過去のウソから生じた矛盾を取り繕うためだった。

嘘から出たまことか。全ては、見栄と外聞の問題ですね。

>しかし、同時に新たなウソをついていたから、実際の戦果との開きは拡大するばかりだった。

それは普通のことですね。

>・「撤退」は「転進」…言い換えで責任不問に
>1943年(昭和18年)になると、ごまかしは戦果以外にも及ぶ。>ガダルカナル島からの撤退は「転進」に、アッツ島の守備隊全滅は「玉砕」に言い換えられ、大本営の作戦や補給の失敗は不問とされた。

失敗を不問にしていると、過去の教訓は得られないでしょうね。

>44年(昭和19年)以降、本土が空襲にさらされ、戦いの前線が迫ってきても、大本営はウソを発表し続けた。

大本営の嘘がバレることはなかったのですね。

>ごまかしや帳尻あわせが破綻した後は、神風特別攻撃隊の攻撃が発表の目玉に据えられた。

これは、自爆攻撃ですね。

>特攻隊の戦果は大幅に水増しされたが、国に身を捧げて得た戦果を疑うことは許されない。

‘ゆめゆめ疑うことなかれ’ ですね。

>大本営は特攻隊まで戦果の取り繕いに利用したのだ。

‘使えるものは、何でも使え’ でしょうね。

>「魚雷を浴びて大火災を起こし、断末魔のあがきを見せつつ遁走を続ける」サラトガの姿をとらえたとする旧日本軍の提供写真(1942年5月撮影、読売新聞社刊「大東亜戦争報道写真録」より)

(米空母) サラトガは、旧日本軍の役に立ちましたね。

>辻田さんの集計によると、大本営発表では太平洋戦争中に敵の空母は84隻、戦艦は43隻が撃沈されているが、実際は空母11隻、戦艦4隻しか沈んでいなかった。

牛乳に大量の水を混ぜて売るようなものか。

>でたらめな戦果は昭和天皇にも奏上され、天皇は戦争末期に「(米空母)サラトガが沈んだのは、今度で確か4回目だったと思うが」と苦言を呈したといわれる。

サラトガは、不沈空母でしたね。

>太平洋戦争を首相として主導した東条英機(1884~1948)は、大本営発表の内容については電話で数回要望を伝えてきただけで、「敗北を隠せ」といった指示はしていない。

八方破れですからね。敗北は隠しようもないでしょう。

>東条については、日米開戦前日に昭和天皇が開戦を決意したことに安堵し、「すでに勝った」と高揚していた様子を記すメモの存在が明らかになった。

昭和天皇の意思決定があったのですね。東条は、他力本願・神頼みですか。

>・「暴走」誰も止められず…メディアの責任も
>戦争遂行の最高責任者だった東条だが、人に弱みを見せることも多く、軍内部すら完全に掌握できていなかったという。

この国がひっくり返った時にも責任者は出なかった。

>辻田さんも「形式上は天皇が最高指揮官だったが、実際にはトップ不在のまま手足が勝手に動いていたのが大本営の実態。誰もコントロールしないからウソがまかり通り、それを誰も止めなかった」と見ている。

わが国は、烏合の衆の理性無き世界ですね。

>評論家の山本七平は『「空気」の研究』(文春文庫)の中で、戦争末期の戦艦大和の出撃について「全般の空気よりして、特攻出撃は当然と思う」という軍令部幹部の証言を紹介している。>出撃が無謀なことを示す論理やデータはそろっていたが、「全般の空気」がそれに勝ってしまったのだ。

日本人は、気分・雰囲気に弱い。だから、真面目に勉強しても、いざという時には役立たちませんね。

>でたらめな大本営発表には、記者発表で仕上げの尾ひれがつけられた。>発表後に軍の担当者が「この発表の意図はこうだ」「ここはこう書いてくれ」とオフレコでレクチャーし、記者たちは軍の意向に寄り添った記事を書いた。

皇民化教育の成果でしょうね。すべての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。

>軍の意向に逆らわず、むしろ積極的に空気を読んで戦争の片棒を担いだメディアの責任も大きい。

メディアは、から騒ぎの増幅器にしかなりませんね。’脳足りん’ ですからね。

>・「空気を読む」公権力には歯止めを
>組織ぐるみの忖度については、対馬藩が国書を偽造した「柳川一件」を紹介した。>森友学園問題では、役人の忖度が公文書の改ざんにまで発展した。>辻田さんは「今の政治を戦時中と同一視するつもりは全くない。だが、だから歴史から学ぶことなどない、というのも間違っている」という。

国書偽造・公文書改ざん・なんでもござれ。日本人には、歴史から学ぶものなど何もない。その気になってやれば、何でもできるのだ。

>書類の電子化が進んでいる今でも、役所や会社の中を回る決裁文書にはハンコを押す欄がずらりと並ぶ。>権力がトップに集中する組織ほど、「上はこう望んでいるだろう」と忖度した文書が回る。

忖度 (推察) は、聞き手の勝手な解釈ですから、話し手には何の責任もありませんね。だから、議論の対象にはならない。とかく、この世は無責任。

>ハンコは起案者が読んだ空気に同意した証し。>正しく空気を読んだ文書ほどハンコがそろいやすく、効率的に仕事が進み、起案者は上の覚えもめでたくなって出世できるわけだ。

昔からある立身出世の物語ですね。

>物事がうまくいっているうちはいいのだが、ひとたび問題が起きた時は、上が指示をした証拠はなく、たくさんのハンコもかえって責任の所在を不明確にしてしまう。

個人主義がない。個人の考えの内容が、想定外になっている。とかくこの世は無責任。

>辻田さんは「空気を読むことがすべて悪いわけではないが、日本には他国以上に空気を読む文化がある。だからこそ、特に公権力を持つ組織では、他国以上に権力集中に歯止めを設ける仕組みが必要ではないか」と指摘している。

空気の話ばかりが出てくるのは、異常な事態ですね。文章内容の理解の重要性を常に強調すべきですね。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。文章を読まないで、空気を読む。そして、歌を詠む。古風な暮らしを続けている。このような言語環境では、先進諸国に置いて行かれるでしょうね。現実を直視することと、あるべき姿 (非現実) を堅持することが人間には必要でしょう。日本語と英語の両言語を学んで、現実と非現実の内容を文章にできるよう努力しましょう。それには、英米流の高等教育を受けるのが早道ですね。



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