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洋魂和才

2016-12-24 15:40:44 | 教育


>【鈴木】 、、、、、、、私がキャンパスで学生に「日本の15歳は学力が高いのか低いのか?」と聞くと、みんな「低い」って答えるんですね。しかし、実際はそうではありません。日本は、トップ奪回を目標に頑張って、そこまできました。ただ、課題もあります。それは学ぶ意欲、あるいは自己肯定感、これがいつもOECDの34カ国中ブービー。下から2番目です。
>【三宅】それはちょっと悲しいですね。最大の理由は何ですか。

日本語に頼った勉強法をしているからでしょう。

>【鈴木】これはやっぱり読書です。いま、小学生の96%は本を読みます。そういう指導をやってきました。学校では「朝読」という取り組みを相当しっかりやりました。不読者率という言い方がありますが、1ヵ月に1冊も本を読まない子どもは、4%を切ります。ところが、高校生になると5割が不読者になってしまう。
これは本来なら逆ですよね。読むことは、書くことにつながり、話すことにつながり、聞くことにつながると、私は考えています。本を読めば、それを感想文を書きますね。あるいは読んだ後に、クラスでみんなで意見交換をしますね。そういう意味で、やっぱり読むということはものすごく大事と言っていいでしょう。

そうですね。人類の知識は書物の形式で蓄えられていますね。それも、大半は英語で蓄えられている。だから、英語を覚えないと、勉強ができない国はこの世界に多いと思いますよ。

>15歳までは世界一の日本の教育が、高校になるとかなりそこで伸び悩み、おそらく大学では、もっと残念なことになっています。

そうですね、我が国の大学では、学生は4年間をおそらく遊んで暮らすことになるでしょう。

>つまり、15歳の“金の卵”を高校・大学で孵化させ、雛鳥から立派な成鳥にさせられない。

日本語は、実況放送・現状報告の内容を表すための言語です。その内容は、低俗です。面白くない。日の下に、新しきものなし。大学生には、退屈男・女が多数出る。

>その可能性を伸ばせていないどころか、それを潰しているということが、わが国の高等教育です。

まったく同感です。我が国の高等教育機関に在学すれば、学生は ‘頭でっかち’ になるばかりです。ああいえば、こういう。ああでもなければ、こうでもないと力説する。自分はどうであるかを言わない。声なき民の一員である。日本人には自分自身の考えがない。だから、行き当たりばったりの生活をする。考えを脳裏に蓄えるための言語がない。頭に考えを蓄えるためには、英語が必要です。

>だから、高校と大学をやっぱり集中的に改革しなきゃいけないというのが、私の現状認識です。

そうですね。改革には原因療法が必要ですね。その原因は日本語にあります。
日本語に時制がない。だから、その言語は実況放送・現状報告のための手段となっています。現実は見ればわかる。その内容を伝えるのが日本語です。その文章内容は現実であり、現実の内容は頭の外にあります。
英語のように時制というものがあれば、非現実の内容も文章表現が可能になります。過去の世界・現在の世界・未来の世界をそれぞれの世界の中だけで過不足なく表現することが可能になります。だから、内容が高尚になる。哲学になる。非現実の内容は頭の中にあります。現実とは、内容の所在が別次元です。
頭の中にある内容と、頭の外にある内容とがごっちゃになると、’頭でっかち’ の人間が出上がります。事実とオピニオンが分離できないと、正しい考えの持ち主にはなれません。だが、それでも堂々と通用する我が国では、住民が先進文化国の民とはいえないでしょう。英米の高等教育機関の教育において、論文作成は ‘時制の一致’ (Sequence of Tenses) をチェックします。すると、事実とオピニオンは区別されます。それができない日本語では、文章の矛盾を指摘し排除することができません。だから、洋魂和才は必要です。和才は実学・実業界で大いに役立っています。


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