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自らの立場  

2024-05-10 18:51:53 | 文化

>読売新聞   >米議員、原爆投下に言及しイスラエルへの武器供与継続を主張…米軍制服組トップは「大戦終わらせた」   >読売新聞によるストーリー・   >3時間   

> 【ワシントン=田島大志】米共和党のリンゼー・グラハム上院議員=写真、AP=は8日の米上院公聴会で、米国がイスラエルへの弾薬輸送を停止したことを巡り、広島と長崎への原爆投下に繰り返し言及しながら必要な武器を供与し続けるよう主張した。   

> グラハム氏は、ハマスやイランからのイスラエルへの攻撃に触れ、「敵の壊滅のために必要な兵器供与を止めれば、代償を払うことになる。   

>これは究極の広島、長崎だ」」などと述べた。   

> この発言に先立ち、グラハム氏が米軍制服組トップのチャールズ・ブラウン統合参謀本部議長らに「日本への原爆投下は正しい判断だったと思うか」と質問したところ、ブラウン氏は「世界大戦を終わらせたとは言える」と答えた。  

>オースティン国防長官も、ブラウン氏に同意するとした。   

 

好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦 (いくさ)でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日。 

残念ながらわが国の原爆開発はアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕は避けることができた。めでたし めでたし。    

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人の命はどのように考えられていたのか。 ‘命 (ヌチ) どぅ宝’(何をおいても命こそが大切である。)ではなかったのか。  

‘封建国家で最も安価な資源は人命だが、我々にとっては、最もかけがえのないのは国民だ’(ウクライナ軍のワレリー・ザルジニー総司令官)  

 

> 米共和党ではティム・ウォルバーグ下院議員が3月の集会で、広島、長崎への原爆投下に言及し、パレスチナ自治区ガザへの原爆投下を促すと取れる発言をしたとして波紋が広がった。   

> ウォルバーグ氏はその後の声明で、核使用は支持しないとして「イスラエルが可能な限り早く戦争に勝つ必要性を伝えるために比喩を使った」と釈明していた。   

 

それでどうした。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく世の人を教え導く人) が必要である。わが国のジャーナリストはその要請に応える必要がある。事実の山と木鐸不在だけであっては立つ瀬なし。‘それがどうした’‘それでどうした’の問いに答えが出せない。我々には絶望の未来が待っている。今こそ我が国民は自覚すべき時である。      

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

 

 

 

 

 



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