>これが試験制度下における教育の論理である。 >そして、これが受験戦争を生み出している。 >受験戦争は、受験地獄でもある。
そうですね。数値万能・序列万能の ‘国体’ の存在が問題ですね。わが国の戦争も地獄も異常な価値観により引き起こされる人災ですね。
>全ては、成績よって判断される。 >人格もだ。 >すなわち、成績が全てなのである。
我が国では、’人を見損なってはいけない’ と言い慣らされていますね。 個性尊重の話はないですね。
> 陰でどんなに良いことをしても認められない。 >善行は、成績には、反映されない。
そうですね。日本人はみな世俗の成果主義に毒されていますね。
>そんなことをする暇があったら、勉強をしなさいと叱られる。 >どんなに正しいことをしても、ほめられはしない。 >逆に、和を乱すと責められる。
それは昔から言われていることですね。
和を以て貴しとなす。さからう無きを宗 (むね) となす。 (聖徳太子) 調和することを貴い目標とし、道理に逆らわないことを主義としなさい。
> これも明らかに思想である。
処世術 (現実) ですね。
> 問題なのは、この様な思想が、無自覚なままに、教育の現場を支配していることだ。
現場は現実肯定主義者で埋め尽くされていますからね。来るべき世界 (非現実) の内容を説く人などはいない。未来時制の構文がないから日本人の内容が出鱈目になる。
'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)
> そして、教育の現場で決定的な役割を果たしている成績の根拠となるのが、使えない英語、不必要な高等数学、死んだ歴史、無意味な法則なのである。
‘意味・無意味’ は問題にはなりませんね。序列形成の結果が得られればそれで万事完了となります。
>これでは、子供達は救われない。 > 結局、教育の基盤となる思想がないから、教育の目的が、見失われるのだ。
そうですね。日本人は無哲学・能天気ですからね。
>目的がハッキリしないから、とりあえず、成績で全てを計ろうとする。>その成績の根拠には、何の内容もないのだから始末が悪い。
そうですね。常に ‘とりあえず’ ばかりですね。原発の廃炉問題に関する態度のようなものですね。
> 歴史を学ぶ意義は、生き方を学ぶ事にあって、年号を暗記することではない。 >しかし、生き方を、試験の問題に反映する事はできない。 >試験をするために、意味もなく年号を暗記させるのである。 >しかし、一度試験の結果として成績が、実体を持つと成績だけが一人歩きを始める。
そうですね。それは序列社会の弊害ですね。でも、弊害と知りつつ、それを求めているのですね。優柔不断・意志薄弱か。無哲学・能天気か。意思の無い人には方法 (仕方) がない。
>今の教育制度は、結果的にみれば、この様にして成立したとしか考えられない。 >元々、教育としての魂がないのである。 >何の根拠も実体もないのである。
そうですね。日本人は奥ゆかしい(深い考えがあるようにみえる)。だが実は、奥 (考え) がない。だから、浅薄である。日本人は、無哲学・能天気である。
政治家にも、政治哲学がない人が多い。我々の未来社会の有様を大衆に言って聞かせる術がない。だから、序列人間は人間の序列を頼りにする。上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自己の存在を確認している。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことにより仕事にやりがいを感じている。周囲にいる序列人間が自分たちの序列に対する当事者の貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性が見えて来る。それが日本人の人生における楽しみである。
わが国は、人手不足はあっても、頭脳不足の無い国である。人間に頭を使う習慣のない生活は、大きな損失である。我が国のような資源小国においては特にそうである。
> 教育そのものが、何の理念も、目的もなく、既成事実を積み上げたものにすぎない。
そうですね。それは残念なことですね。他のアニマルとあまり変わりがありませんね。現在の日本人は自然に溶け込んだままになつています。加害者意識 (罪の意識) に苛まれることも無く自己実現に邁進できる人生が送れると最高ですね。教育はそのための手段・環境を個人に提供すべきですね。
没個性の序列競争に自己の人生をすり減らすことはやめなくてはなりません。
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