>▼4月13日(月)『よこどり 小説メガバンク人事抗争』発売 著者:小野一起 >日本企業で出世する人たち、じつは「超低学歴」ばかりになっていた…! >世界に「逆行」するおかしな人事が横行
日本の常識は世界の非常識ですね。
>早慶卒、体育会系出身が「最強」という現実 >小野 日本企業で求められるのは潜在力を担保する有名大学の合格歴になるわけです。>余計な知的な能力は必要ない。
見栄と外聞が必要ですね。
>ムラの中で必要な知識や掟は、ムラに入ってから叩き込んでやるというわけです(笑)。
序列修行に必要なことですね。序列社会ではたたき上げが必要ですね。
>だから今のムラから別のムラに移る転職も難しく、会社が傾くと総玉砕に向かってしまうのではないでしょうか。
そうですね。人間序列は縦の構造ですからね。人間序列は縦割りの弊害そのものですね。昔の陸軍省と海軍省のようなものか。’省益あって国益なし’ の争いか。
>冨山 そうですね。この話は結局、全部つながっていますよ。
そうですね。日本語の階称 (言葉遣い) の弊害でつながっていますね。
>産業の構造が比較的固定的で、オペレーションの優劣で業績の優劣が決まる時はそれで良かった。
家元制度が幅を利かせていましたね。
>極論を言えば、一つの工場の中で、ずっとその仕事のオペレーションを高度化して合理化していくことが企業全体の競争力に直結していたわけです。>一本のネジの完成度を高め、作業工程を一つずつ見直して合理化することが大切だったのです。>ただ、いまは産業構造がガラガラ変わる、競争構造もガラガラ変わる。
経営者の発想の転換 (paradigm shift) が必要ですね。
>要するに産業や社会がダイナミックに変化するようになればなるほど、特定の業務の中で作られるノウハウはすぐ陳腐化するのです。
そうですね。ノウハウは ‘発想の転換’ により疾く陳腐化しますね。’日本はなぜ敗れるか’ を考えないといけませんね。
>日本の歴史を振り返ると、様々な組織の中で似たようなことが起こりやすい。>たとえば軍です。>日本の軍隊というのは非常にスペシャリスト化、専門家していますが、わりと初期の段階ではみなジェネラリストで、何でも屋さんだったんです。>まだ明治維新の名残があった明治期は特にそうでした。>それが、どんどん機能特化していき、機能特化で技能を磨いていく人たちがそのまま偉くなっちゃう。>そういう仕組みを日本人は作りやすい。
同次元序列の競争ですね。機能特化を種にして閉鎖的な序列を作るのですね。
>大学ということでいえば、典型的に就職に強かったのは体育会でしょ。>早稲田、慶応に入れるだけの能力がありました。>その上、「ラグビー部です」「野球部です」と言えば、日本的経営の企業であればどこでも内定がもらえるわけです。>要するに地頭いい、体力がある、これが要件。>それに加えて、上下の秩序にちゃんと従って行動できる。
礼儀正しい日本人ですね。
>最高じゃないですか。>オペレーショナルな業務を磨く、ムラ社会の一員としては……ということになるわけです。
わが国の環境は整っていますね。
>小野 有名大学の体育会系の人材は、終身雇用、年功序列のムラ社会に、もっとも都合の良い人材と認められるわけですね。 >冨山 そういう人材の良さをすべて否定するわけではありませんが、そういう人材だけで構成されている組織は極めて脆いですよ。
そうですね。 個人主義がない。だから、日本の社会は個人の力を引き出すことができない。
>ちょうど平成に入ったころに、ベルリンの壁が壊れ、完全なグローバルな世界に突入しました。 >インターネットの普及で、デジタル革命も始まって、産業の変化のスピードが爆発的に変化した。 >オペレーショナルな業務を磨くだけのムラ社会型の会社では、変化に対応できなくなったのです。
そうですね。発想の転換が必要ですね。だが、日本語使用ではそれが難しい。それは文法上の時制 (tense) の作り出す世界観 (world view) がないからである。
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