日本語には未来時制がない。
日本人は理想の世界 (未来の世界) を脳裏に保持できない。
だから、日本人の現実対応策も場当たり的なものになる。
我が国は時流に流されて迷走する。
意思は未来時制の内容である。
意思がなければ、自由の意味も失われる。
‘不自由を常と思えば不足なし’ と考えられる。
意思の存在が公認されないのであれば、個人選びが社会の意思選びにつながることもない。
意思がなければ責任もない。とかく、この世は無責任。
個人は選出されても、社会の意思決定は難渋する。
意思の疎通を欠き、以心伝心がはやる。
烏合の衆の民主主義は形骸化している。
現在時制に見合った実況放送・現状報告の内容のみを頭の中に詰め込んでいる。
いわゆる物知りの人物が ‘待ちの政治’ を行っている。
意思がなければ初動の動作に遅れる。意思薄弱ということか。
次から次へと ‘無能’ 呼ばわりをされる政治家が出る。
意思の人は議会を好む。意見交換の機会を得られるからである。
意思 (成案) は文章になる。公の場でその矛盾も明らかにされる。
恣意の人は談合を好む。腹の探りあいの機会を得ようとする。
恣意 (腹案) は文章にならない。批判はできない。子供、アニマルと同じ状態である。
日本人が無口で微笑む態度をとり続けるのは一種の自閉症か。
この閉塞状態を打開する為には、英語の習得が良い。
今日の地球は、大人の世界である。
子供にも理解できる漫画・アニメの世界には限界がある。
英米流の高等教育は、この限界を乗り越える有力な手段となる可能性がある。
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