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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

党内の浄化  

2024-07-29 22:12:51 | 文化

>アサ芸biz   >「政権交代しかないんだよ」田原総一朗氏に 古市憲寿氏が反論「党内の浄化を」   >アサ芸bizの意見・   >6時間・   

>時事通信が711日に発表した岸田内閣の支持率は15.5%2012年に自民党が政権に復帰してから最も低い数字となり、最新のANNの世論調査によると、43%が次の衆議院選挙後に「政権交代を期待する」と回答した。   

 

国民は気分を一新したいのでしょうね。   

 

>政権交代の気運が高まる中、社会学者の古市憲寿氏が726日深夜放送の「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)に出演。   

>政権交代を真っ向から否定して、視聴者から驚きの声があがっている。   

 

そうでしょうね。   

 

>番組中盤、司会でジャーナリストの田原総一朗氏は立憲民主党と日本維新の会が、政権奪取に向けて連携する可能性は低いと指摘し、「維新の連中はね、公明党に代わって自民党との連立を考えているんじゃないかと思いたくなった」とコメントし、「大チャンスが来たのに、野党第1党を競っている立憲と維新が組まないんじゃ政権奪取できないよね」と続けた。   

 

両党ともに天下取りに熱中しているのでしょうね。   

 

>元NHK職員でタレントのたかまつななも「野党がまとまる必要があると思いますし」と語ったうえで、日本維新の会・馬場伸幸代表の立場から見て、「立憲民主党としての考えがバラバラ」となっている点を問題点に挙げた。   

>すると古市氏が「政権交代したら何が変わるんですか?   

>この日本は」と問題提起。   

 

変わる内容がはっきりしないのも困りものですね。ここが政治家の一番大切な所ですね。      

 

>田原氏が「こんなに自民党が腐りきってるのはね、政権交代しかないんだよ」と答えると、古市氏はこう反論した。   

 

政権交代が腐敗防止策なのでしょうかね。      

 

>「自民党が問題だとしても、『政権交代しました』、それが維新なのか立憲なのかわからないですけど、主義主張が違う政党が組むわけですよね。   

 

議員が無哲学・能天気では変わり映えがしないでしょうね。御一新ということですかね。政治問題を気分・雰囲気・感情の問題としてとらえているのですかね。      

 

>その混乱を恐れている日本国民はいると思うんですよ。   

 

政権交代はサルが玉ねぎの皮を熱心に剥くようなものですかね。中から何が出て来ることやら分かりませんね。      

 

>だったら多少、問題がある自民党でも、このままでもいいんじゃないかなって、ある種、あきらめもあると思うんですね」   

 

堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思えですか。   

不自由を常と思えば不足なしですね。   

 

>政権交代を打ち消した古市氏に田原氏は「こんなデタラメな自民党でいいわけないじゃない!」と猛反発。   

 

そうですね。デタラメの解消が急務ですね。しかし玉ねぎの皮をむく作業だけでは問題は解決しませんね。原因の究明が必要ですね。        .

 

>それでも古市氏は、自民党が下野した後について「その政権が仮にある程度、長期政権になればいいんですけど、一瞬だけ壊してまた戻ったら、その分が無駄になっちゃう」と述べ、「まずは自民党内で総裁を代えるなり、自民党内の浄化みたいなことをしたほうが混乱は少ないと思うんですよ」と持論を展開した。   

 

浄化で倭国の大乱は避けられそうですかね。    

 

>「世論調査で4割が政権交代を望んでいるとの結果が出ているにもかかわらず、古市さんの主張は、政権交代しないほうが混乱は少ないというもの。   

 

4割の人は自民党でなければ何党でも良いという事ですかね。夢と希望を与える政治家はわが国にはいないのですかね。      

 

>政権交代ではなく、自民党の“浄化”を訴えていましたが、一連の裏金問題とその後の法改正の流れを見れば、自民党に自浄機能が期待できないのは明らか。   

 

そうですね。自民党議員は現実の中にドカッとあぐらをかいていますね。彼らには世界観というものが無いからでしょうね。来るべき世界の内容が無い。           

 

>ネット上でも《古市さんそこまで媚びを売らなくても》《政権交代したら困ることでも?》などとツッコミの声があがっていました」(メディア誌ライター)   

>いずれにしても“審判の日”は刻一刻と迫っている。   

 

玉ねぎの皮むきだけでは解決しない問題ですね。問題解決のは知的な作業が必要ですね。      

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。  

 

>(福島シゲル)   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 

 

 


大学偏差値  

2024-07-29 16:33:55 | 文化

>日刊スポーツ   >茂木健一郎氏「最低最悪。日本の恥」大学偏差値をネタにするユーチューバーを痛烈批判  >日刊スポーツ新聞社によるストーリー・   >5時間   

>脳科学者の茂木健一郎氏が29日までにX(旧ツイッター)を更新。   

>偏差値をネタにするユーチューバーを強く批判した。   

>龍谷大学の准教授・野呂靖氏が27日、自身のXに「先日、偏差値をネタにするユーチューバーがうちのキャンパスにきて学生いじって帰っていったらしい。   

10代のある時期の試験結果を後生大事に抱きしめながら歳をとっていく。   

>それはそれで人の勝手だけど、歳とって出身大学自慢する人には『いま何してるんですか』と聞いてみたい」と投稿した。   

 

日本人の序列信仰ですね。   

 

>茂木氏はXに、野呂氏のこのポストを引用し「最低最悪のユーチューバー。   

>知性のかけらもない。   

>日本の恥。   

>だから日本は没落する」と強い語調で苦言を呈した。   

 

そうですね。わが国は序列バカの国ですからね。  

 

>そして「龍谷大学の方々は、自分の大学に誇りを。   

>すべての学校が、自校にプライドを、そして他校にリスペクトを。   

>それが古来日本のこころじゃなかったかね。   

>偏差値うんぬん言う人はその瞬間愚鈍を告白している」と続けた。   

 

そうですね。日本人は総じて愚鈍ですね。没落途上国の国民に相応しい。      

 

>また、その後のポストでも「『偏差値』は、日本の教育観の劣悪さ、日本の遅れの象徴だと確信しています。   

>『偏差値』を商売のネタにしている大人たちは心底から反省して欲しい」などともつづった。   

 

魚心あれば水心ですから、反省は難しいですね。   

日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、(角界のように) 勝負の成績が用いられるが、近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから、わが国では難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 序列順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは大切な個性の抹殺に手を貸しているのである。  

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら日本人は ‘序列なきところに礼儀なし’ になる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位の通用する所に限られている。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は家族制度・天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。   

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしていなくてはならない。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。国民は思考を停止しているからである。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。   

 

政治には未来社会の先取りが必要である。しかし日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語には存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、会社では定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。議員は十把ひとからげの扱いになっている。義理が廃ればこの世は闇だ。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが叙勲の機会獲得は難しい。    

 

我が国には社会の木鐸 (ぼくたく世の人を教え導く人) が必要である。わが国のジャーナリストはその要請に応える必要がある。事実の山と木鐸の不在だけがあったのではわが国は立つ瀬なし。‘それがどうした’‘それでどうした’の問いに答えが出せない。我々には絶望の未来が待っている。今こそ我が国民の自覚すべき時である。      

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)