人生ブンダバー

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『「文藝春秋」にみる昭和史』 満州事変の頃

2020-02-10 05:00:00 | 近現代史

『「文藝春秋」にみる昭和史』(全三巻)については、以前触れた
が、「第一巻」の昭和6年の記事には、「満蒙と我が特殊権益座談会」
(S6.10)、「満州事変の舞台裏(花谷正、S30.8)、「満州事変をど
う思うか」(S6.11)が精選されている。


「満州事変の舞台裏」は戦後に書かれたものであるから、それは別
として、あとの二つは当時の「国民感情」を知る史料として、大変
興味深い。


「満州事変をどう思うか」(S6.11)は、アンケート調査により、当
時の11人の「国民の声」を掲載している。
本書の編集部の説明は次のとおり。

 新聞やラジオの報道は、満州事変を「中国軍の不法なる攻撃にたいし、権益を
 守るための自衛行動」とのみ国民に知らせた。関東軍の謀略とは露知らぬから、
 世論は自然と暴戻なる中国軍を断乎として叩くべしという意見に固まっていっ
 た。読者に求めたこのアンケートは、そうした実情を如実に語ってくれる。

それらの一部(3人)を抜粋すると、
 美容術業 KK(注:実際はフルネーム。以下同じ)
 毎日の新聞紙の報道によって原因、経過等を知り、我軍の迅速な活動により支
 那各地を占拠し得、在留邦人をして危険を感じさせなかったことは同胞として
 大変うれしく思っています。(以下略)

 会社員 SM
 明治三十七八年役の意義は満蒙に国防の第二線を獲得するためであった。国財
 二十億円と十万の同胞を犠牲にしてかつ得たるこれらの自衛自給の権益を一朝
 にして失わんか我等はその防衛を失いその安息を脅かされ終にはその存在を危
 うくしていわゆる亡国の憂き目を見る、火を見るより明らかである。(以下略)

 KS
 (前略)蒋、張氏などが自己の領土顔する満蒙が我が国家当年の努力なくして
 何国のなっておったかを。西比利亜(シベリア)、北満と運命を一にしておっ
 た事は歴史を繙(ひもと)いて見るまでもないのである。なるほど我が国家が
 強露と戦ったのは自己生存のためであった。しかし、多面において満蒙民人を
 かの残虐の手から救わんとする惻隠の情からであり、また正義の観念からであ
 ったのである。単なる自己生存のためではなかった。すなわち満蒙民人と共存
 共栄の幸福を得んがためであった。(以下略)


なるほど、当時の「国民(それは明治生まれの人々であり、私の祖父
母の世代だ。)の声」はそんなところだったのだろう(北方の大国ロ
シアの南下政策は依然として恐怖だった?)。

もしかしたら、今日でも満州事変はそうだったと信じている人がいる?




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