人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

世界の指揮者 マーラーの交響曲 そしてショルティのマラ3 週間フォト日誌

2013-08-19 05:00:00 | 音楽

それがどうしたの?(笑)といわれるかもしれないが、世界の指揮者を、とい
っても、とてもすべてではないけれど、生年順に並べてみた。何か分かるか
しらん。

( )内数字は生年
G.マーラー;1860
ワインガルトナー;1863
リヒャルト・シュトラウス;1864
トスカニーニ;1867

メンゲルベルク;1871
モントゥー;1875
ワルター;1876
カザルス;1876
ビーチャム;1879

シューリヒト;1880
プリングスハイム;1883
クレンペラー;1885
フルトヴェングラー;1886
クナッパーツブンシュ;1888
フリッツ・ライナー;1888
A.ボールト;1889

グルリット;1890
C.ミュンシュ;1891
カール・ベーム;1894
ローゼンストック;1895
J.セル;1897
ホーレンシュタイン;1898
バルビローリ;1899
マタチッチ;1899

シュミット=イッセルシュテット;1900
ヨッフム;1902
ムラヴィンスキー;1903
クリュイタンス;1905
A.ドラティ;1906
カラヤン;1908
カイルベルト;1908

マルティノン;1910
ケンペ;1910
G.ヴァント;1912
チェリビダッケ;1912
ラインスドルフ;1912
K.ザンデルリンク;1912
ショルティ;1912
ライトナー;1912
マルケヴィチ;1912
ジャン・フルネ;1913
ジュリーニ;1914
クーベリック;1914
コンドラシン;1914
ミュンヒンガー;1915
バーンスタイン;1918
ペーター・マーク;1919

ノイマン;1920
スィトナー;1922
ゲルハルト・ボッセ;1922
サヴァリッシュ;1923
H.ヴァルベルク;1923
スクロヴァチェフスキ;1923
プレートル;1924
N.マリナー;1924
ブーレーズ;1925
テンシュテット;1926
K.リヒター;1926
ブロムシュテット;1927
ギーレン;1927
マズア;1927
ベルティーニ;1927
ロストロポーヴィチ;1927
スヴェトラーノフ;1928
E.ルカーチ;1928
ホルスト・シュタイン;1928
アーノンクール;1929
A.プレヴィン;1929
ハイティンク;1929
I.ケルテス;1929
ドホナーニ;1929

C.クライバー;1930
マゼール;1930
ロジェストヴェンスキー;1931
モーシェ・アツモン;1931
ネッロ・サンティ;1931
フェドセーエフ;1932
C.アバド;1933
フリューベック・デ・ブルゴス;1933
ノリントン;1934
小澤征爾;1935
ゲルト・アルブレヒト1935
ズービン・メータ;1936
シャルル・デュトワ;1936
E.インバル;1936
D.ジンマン;1936
Z.マカール;1936
J.デプリースト;1936
アシュケナージ;1937
イルジ・コウト;1937
ハウシルト;1937
テルミカーノフ;1938

エッシェンバッハ;1940
キタエンコ;1940
ムーティ;1941
エド・デ・ワールト;1941
ジョン・ネルソン;1941
バレンボイム;1942
ガーディナー;1943
M.ヤンソンス;1943
レヴァイン;1943
J.テイト;1943
スラットキン;1944
M.ティルソン・トーマス;1944
セーゲルスタム;1944
シノーポリ;1946
H.スダーン;1946
ピノック;1946
カンブルラン;1948

ケント・ナガノ;1951
コヴァーチュ;1951
ビシュコフ;1952
チョン・ミュンフン;1953
ゲルギエフ;1953
シャイー;1953
オスモ・ヴァンスカ;1953
ヒュー・ウルフ;1953
サイモン・ラトル;1955
メッツマッハー;1957
ファビオ・ルイージ;1959
準・メルクル;1959
ティーレマン;1959
パッパーノ;1959

ウェルザー・メスト;1960
イオン・マリン;1960
シモーネ・ヤング;1961
D.ガッティ;1961
カリニャーニ;1961
パーヴォ・ヤルヴィ;1962
ジョナサン・ノット;1962
ノセダ;1964
アラン・ギルバート;1967

ダン・エッティンガー;1971
フィリップ・ジョルダン;1974
D.ハーディング;1975
T.ソヒエフ;1977

G.ドゥダメル;1981
ウルバンスキ;1982

昭和50年代以降、私が聴いてきたLP、CDを振り返ってみると、比較的、19
世紀生まれの指揮者--すなわちトスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラ
ー、クレンペラーなど、いわゆる「巨匠」のそれが多いことに気づく。
トスカニーニはマーラーと7歳しか離れていなかった。ワインガルトナーにいた
っては、マーラーと3歳違いで、戦前(昭和12[1937])に来日したこともある。
マーラーがかりに80歳まで生きていたら、昭和15(1940)年まで存命したこ
とになる。

こうしてみると1960年代生まれの若手指揮者(--といっても50代になりつ
つあるが。)にもいい指揮者が目白押しのようだ。(わが国でいえば佐渡裕が
1961年の生まれである。)シモーネ・ヤングは文字どおり若い?

G.ドゥダメルは今年のザルツブルク音楽祭2013に登場、来年はウィーン・
フィルと来日するようだ。はたしてドゥダメルとウィーン・フィルの組み合わせ
は「買い」かしらん。


「巨匠」の演奏 写真左から
トスカニーニの
 ・メンデルスゾーン交響曲第4番「イタリア」・第5番「宗教改革」
 ・レスピーギ ローマ三部作
フルトヴェングラーの
 ・シューベルト交響曲第9番「ザ・グレート」
 (--1942年と1951年の録音)
いずれもモノラルながらすばらしい名演。


ところで、今秋は、ルツェルン祝祭管弦楽団(アバド)、ウィーン・フィル(ティ
ーレマン)、ベルリン・フィル(ラトル)、ロイヤル・コンセルトヘボウ(ヤンソン
ス)が東京に集結、大変なことになった。
ちなみにこれら演奏会のS席は30000円から42000円となっているが、既
にS席以下全席完売かな??
これをお読みの中にも、上のチケットをお持ちの方がおられるかもしれない。




マーラー交響曲第3番
G.ショルティ/シカゴ交響楽団
Sop.ヘルガ・デルネシュ
シカゴ交響女声合唱団
グレン・エリン少年合唱団(1982年9月録音)

私の若かりし頃、もう少し正確には35年ほど前、ショルティ/ウィーン・フィ
ルのベートーヴェン交響曲第5番「運命」と第7番のLP(--今も自宅にあ
る。)を聴いた。
これはショルティ/ウィーン・フィルが1950年代末に英国DECCA(デッカ
でっか?)に録音したものであったが、あまりにも引き締まった筋肉質な音に
「ちょっと・・・・・・?」と思った記憶がある。
この時、ウィーン・フィルのボスコフスキーが「ショルティの首を絞めてやりた
い」といったらしい。(ウィーン・フィルは徹底した練習や「押し付け」を嫌うと
ころがある。)

それはともかくとして、このマラ3は想像以上によかった。
なんというのかしらん、録音も含め、大変クリアーな、一音一音ハッキリした
演奏である。
(デッカは録音がいい。たしか戦時中は潜水艦のソナーを開発していたの
ではないカナ?)

むろんショルティだから、粘るわけではないが、かといって、即物的にも聴こ
えない。アゴーギクもマーラーの楽譜どおり、といっていいのかしらん。不思
議と何回聴いても飽きない。ショルティは当時70歳、見事だった。
シカゴを聴いたのは初めて(!)だが、まったくうまい。なるほどヴィルトゥオ
ーソ(ゾ)・オーケストラである。声楽陣もGood!

ちなみにこのCDの2枚目後半には、女性歌手イヴォンヌ・ミントン(1938年
生)による「さすらう若人の歌」と「子供の不思議な角笛」より抜粋が入ってい
るが、これもいい演奏だ。(1970、1972年録音)


マーラーの交響曲CDは、ほかにどの指揮者の演奏を持っているのかしらん
と整理してみたら・・・・・・知らず知らず、一通りそろっていた(笑)。ブルックナ
ーはそうは行かない。
1番;小澤/ボストン
2番;インバル/フランクフルト(放送交響楽団)
4番;テンシュテット/ロンドン・フィル
5番;バーンスタイン/ウィーン・フィル、ハイティンク/ベルリン・フィル
6番;井上道義/新日本フィル
7番;インバル/フランクフルト
8番;小澤/ボストン
9番;バルビローリ/ベルリン・フィル、
   クレンペラー/ニュー・フィルハーモニア
   バーンスタイン/ベルリン・フィル

この中で、最初に買ったCDはバルビローリの9番である。

バーンスタイン/ウィーン・フィルの5番は、この2年間、通勤時にウォークマ
ンで聴いている。してみると、この演奏、500回以上聴いているかしらん。


        *        *        *        *

8月12日(月) 高知県四万十市で41.0℃を記録。国内最高を更新。

8月13日(火) 四万十市で4日間連続40℃以上。

8月14日(水) 朝のベローチェ(新御茶ノ水店)にて『草枕』を継続。






前回にも書いたが、『草枕』の会話文は落語のようなテンポである。

「失礼ですが旦那は、矢っ張り東京ですか」
「東京と見えるかい」
「見えるかいって、一目見りゃあ、--第一言葉でわかりまさあ」
「東京は何所だか知れるかい」
「そうさね。東京は馬鹿に広いからね。--何でも下町じゃねえようだ。山の
手だね。山の手は麹町かね。え?それじゃ、小石川?でなければ牛込か四
谷でしょう」
「まあそんな見当だろう。よく知ってるな」
「こう見えて、私(わっち)も江戸っ子だからね」
「道理で生粋(いなせ)だと思ったよ」
「えへへへへ。からっきし、どうも、人間もこうなっちゃ、みじめですぜ」
「何で又こんな田舎へ流れ込んで来たのだい」
「ちげえねえ、旦那の仰しゃる通りだ。全く流れ込んだんだからね。すっかり
食い詰めっちまって・・・・・・」
「固(もと)から髪結床の親方かね」
「親方じゃねえ、職人さ。え?所かね。所は神田松永町でさ。なあに猫の額
みた様な小さな汚ねえ町でさあ。旦那なんか知らねえ筈さ。あそこに竜閑
橋(りゅうかんばし)てえ橋がありましょう。え?そいつも知らねえかね。竜閑
橋ゃ、名代な橋だがね」
・・・・・・
(新潮文庫版p61)

テンポがいいですね~。実際、漱石は寄席に通っていたようだ。詳しく調べ
れば論文が書けるかしらん(笑)。


皆さん、朝から読書や思索に夢中。ノートを取る人。


この日は会社帰りに横浜市長選挙の期日前投票に立ち寄る。



通勤定期券を更新。(前回はうっかり切らしたけれど。)

8月15日(木) 68回目の終戦の日。平和の重みを想う。


朝のプラットフォームも空いている。

通勤途上、ウォークマンで久しぶりにオルフ「カルミナ・ブラーナ」を聴く。


ベローチェ定位置(座席)にて この日は正宗白鳥『文壇五十年』を読む。


正宗白鳥『文壇五十年』(中公文庫)
「自然主義文学の泰斗が、日露戦争以後の文壇状況を冷徹な視点で描く文
学的自叙伝」
「五十年」とは明治36(1903)年~昭和29(1954)年をいう。

著者は、本書の序で、「この書は、筆を謹んだ回顧録の一つの見本である」
と書いているのだが・・・・・・。


常連さんの姿もなく、ガラガラに近かった。皆さんお盆休みかな?
ちなみにわが社の休業日は12/31~1/3のみ。



今、「ローンレンジャー」という映画がかかっているが、子どもの頃テレビで視
た、あの「ローンレンジャー」のこととは思わなかった。
米国では戦前ラジオ放送されたのが最初らしい。「ハイヨ~、シルバー」とト
ントと、そして「ウィリアム・テル序曲」は懐かしい。

何年か前、ラジオから「ウィリアム・テル序曲」が聞こえてきた。お、これはい
い演奏だなと思いながら聴いていた。終わるとアナウンサーが「ただいまの
演奏はシモーネ・ヤング、NHK交響楽団でした」といった。
(2003年NHK音楽祭の録音だったようだ。)


8月17日(土) 伊勢神宮外宮の御白石持行事始まる。→こちら
私の「伊勢神宮外宮参拝」は→こちら


8月18日(日) たまプラーザ、江田へ。



たまプラーザ駅 祝・山内中学校陸上競技部全国大会出場



東急デパート イスに座って読書する人が多い。


丸福珈琲店 たまプラーザ店





しっかりした、濃いコーヒー コーヒーを味わうお店である。


その後、江田へ義父の見舞いに。


(脳こうそく)患者さんの作品

帰りは2kmを歩いて帰る。熱中症防止には帽子が必要。





東名江田バス停 上り東京方面


江田~あざみ野線


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 週間フォト日誌(8/5~8/11)... | トップ | 週間フォト日誌 「終戦のエ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

音楽」カテゴリの最新記事