人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

亡き母に 「逝ける王女のためのパヴァーヌ」

2011-03-14 05:00:00 | ファミリー・ヒストリー

今年の冬は例年に増して寒かった。冬来りなば春遠からじ?1月は病院でみんな
の呼び掛けに「あ~」とかウンウンと言っていた母も、2月になるとソルデムA輸液
という点滴を受け、ただ眠るばかりだった。

母が入院していた病院は私の妹の住まいに大変近かったが、私たち夫婦も土日
はいつも見舞いに通った。とくに2月の土日はいつも病院の最寄り駅から25分の
道のりを寒さの中歩いたものだ。

3月3日(木)の夕方、妹から「(母の)呼吸が荒くなったので病院から呼ばれた」
旨メールが入ったので、私と家内はそれぞれ勤め先等から病院へ直行した。たし
かに呼吸は多少ハアハアしており、大声で呼び掛けても反応はなかったが、点
滴も入っており安定していたので、午後8時前に妹とも相談し、その日はいったん
帰ることにした。

ところが9時前だったろうか、わが最寄り駅まで帰ってきたら、また妹からメール
と電話で緊急連絡が入った。あわてて夫婦で病院に駆けつけると、母は既に
息を引き取ったあとだった。

母は6日には米寿を迎えるはずだったが、それには3日足りないひな祭りに眠る
ように亡くなった。肺炎にもならず、苦しまずに静かに亡くなったのはまだしもよ
かったのではないだろうか。(昨年8月来お世話になった病院には感謝!)

長らく覚悟はしていたが、その後はあわただしい時間が流れていった。6日(日)
の通夜は奇しくも母の88回目の誕生日(旧地久節)であった。その場には70年
近いお付き合いという海軍省勤務時代のご友人3人も出席していただいた。
(注)母は府立第六高女(現都立三田高校)を昭和15年に卒業後しばらく銀行に
  勤務し、その後海軍省人事局で働いていた。数年前には、私と海軍省があっ
  た日吉の地下壕の見学に行ったこともあった。

葬儀は、無宗教形式の音楽葬で執り行った。6日の通夜にはフォーレの「レクイ
エム」、「ジャン・ラシーヌの讃歌」をバックに献花し、7日(月)の葬儀には、献奏
として、母の大好きだった、ワグネル男声の「タンホイザー行進曲」を流し、献花
にはラヴェルの「逝ける王女のパヴァーヌ」をかけた。
母も合唱をするほど音楽が好きで、また(私と異なり)おしゃべりで、楽しくにぎや
かなことが好きだったので喜んでくれただろう。

<使用した演奏>
*フォーレ 「レクイエム」、「ジャン・ラシーヌの讃歌」(E.クリヴィヌ指揮、国立
 リヨン管弦楽団・合唱団)
*ワーグナー 歌劇「タンホイザー」より「大行進曲」(畑中良輔指揮、慶應義塾
 ワグネル・ソサィエティー男声合唱団・OB合唱団 2009/11/28ライヴ)
*ラヴェル 「逝ける王女のためのパヴァーヌ」(A.クリュイタンス指揮、パリ音
 楽院管弦楽団)

<喪主挨拶>
遺族を代表し、一言ご挨拶を申し上げます。
本日は、お寒いところ遠路ご会葬いただき、厚く御礼申し上げます。
母は軽い脳梗塞から10ヶ月入院生活を送っておりましたが、最後は3日に老衰
のような形で静かに息を引き取りました。
生前、故人に寄せられた皆様のご厚情に対し、心より御礼申し上げます。
遺された私どもに対し、今後とも故人同様、ご指導ご鞭撻を賜りますようお願い
いたします。本日は有難うございました。

 


通夜、葬儀の会場(公益社会館) 公益社さんにも大変お世話になった
3月7日の葬儀は朝から雪となった (写真手前に白く積もっている 11時)

 
多くのきれいな花で飾られた祭壇 
中央には母のお気に入りの写真


会場には母の写真をたくさん飾った
左はセーラー服におかっぱ姿(当時の流行?)  右は20歳ころかな?


献花に使った白いカーネーション


みなさんからたくさんの花で飾られた母 
「湯灌」後、お化粧も済ませてきれいになった
お棺には「感謝」の寄せ書き(色紙)を収めた
出棺も間近--「お別れ」である

     *     *     *     *

12日(土)、仙台の友人Yさんと連絡がとれた。生きている、それだけでよかっ
た!

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4 コメント

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ご冥福をお祈り致します (SIRANO)
2011-03-14 12:27:40
ご母堂様のご逝去の報に接し、心からご冥福をお祈り申し上げます。誠心誠意心のこもった看護をされたことで、お母様もお喜びだったと思います。今回の地震もあって、生と死について考えさせられます。
返信する
Re;ご冥福をお祈り致します (katsura1125)
2011-03-14 18:35:10
SIRANOさん、有難うございます。
おかげさまで母は大往生でした。大往生とは「苦痛の様子が無く、安らかに死ぬこと」だそうです。入院中はありがたいわね~が口癖でした。
津波に遭われた方々は一瞬のことで本当にお気の毒です。
返信する
父上許したまいてよ (minorer)
2011-04-10 21:55:16
マンション6階の我が家のベランダにも
風に巻き上げられた桜の花びらが落ちています
毎年、桜の季節にはいつも悲しみに襲われます
今日は亡父の祥月命日でした

15年前、いよいよ危ないという妹からの電話で
東京を発ったときには三分咲きだった桜が
すべてを終えて帰ってきたときには
羽田からのモノレールの窓から見る運河沿いの
並木にはわずかばかりの花びらがしがみついていました

残る桜も散る桜

だけれど、散っていくのが桜花なら来年も
また再来年も咲き誇るときが来るでしょう

散っていった父の命は二度と花開くことはありません
桜の花を見ると今も悲しく、そしてやるせない

コメントのタイトルは正岡子規の父に寄せる追悼詩
「父の墓」の一節です

  父上許したまいてよ
  我は不孝の子なりけり

と続きます
まことに、その思い我もまた、であります
返信する
Re;父上許したまいてよ (katsura1125)
2011-04-11 20:47:00
minorerさん、すてきな一文をありがとうございます。
「親孝行したい時に親はなし」ですね~。「石に布団は着せられず」というのもあるようです。永遠の真理なのでしょうか・・・?
返信する

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