人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
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東日本大震災 「ミサ曲ロ短調」 お別れの言葉

2011-03-21 05:00:00 | 音楽

[このたびの大震災に被災された方々に心からお見舞い申し上げます。]
3月11日(金)、私はいつものように会社で勤務していた。私の勤務していると
ころは地上25階、地下3階ビルの7階にフロアーがある。午後2時45分を回っ
たところであった--そのビルがギシギシと揺れだした。

 「あっ、地震だ」と机につかまったが、揺れがどんどん大きくなる。80人の部下
(女性)のざわめきもそれとともに大きくなったが、揺れは収まらない。隣の部長
(男性)が「落ち着いて!机の下にもぐれ~」と大声を出した。私もヘルメットを
着用し、机の下にもぐったが、ますます大きくなる揺れに「このビルは大丈夫か」
と一瞬考えた。

しばらくして「ただいま地震が発生しました。落ち着いて行動してください」と、た
しか女性の声だったと記憶するが、館内放送が流れた。今までに経験したこと
のない揺れだった。宮城県栗原市は震度7、東京は震度5強を記録した。

3時5分、外出していた家内から「無事です。家にある遺影などが心配」とメール
が来た。会議室のテレビをつけると大津波が押し寄せるところが放送されてい
た。とてもこの世のものとは思えない。ハリウッド映画を観ているようである。

3時16分、「災害時連絡システム」に娘から「無事です。(今)会社にいます」と連
絡あり。

4時52分、帰宅した家内より「家は無事。でも停電」とのメール。

5時38分、長男のメール「今日はたまたま休み(非番)だったから、今、家。遺影
はたしかに・・・」を受信。

午後6時36分、仙台の友人に「ご無事を祈ります」とメールしたが、送信失敗と
なった。

JRなど交通機関はほとんど不通となり、結局その日は会社に泊ることにした。
泊るといっても寝る部屋があるわけではない。社員32人とともに徹夜となった。
徹夜は何十年ぶりだろう、記憶がない。


あれから1週間以上が経過したが、節電対策への協力もあって、自宅でも暖房
装置はつけていない。現在18.7℃。--個人の力は限られているが、国民の
一員として。被災地の方々のことを考えれば、ぜいたくは言えない。(「ぜいたく
は敵だ」という言葉を思い出した。)

それにしてもこの大震災、「計画停電」、通勤困難に際して、暴動一つ発生して
いないことは世界に誇れるだろう。海外のマスメディアも驚いているようだ。日
本には宗教教育はないが、「礼」、「惻隠(そくいん)の心」など、新渡戸稲造い
わゆる「武士道」精神が生きているのだろうか。

     *     *     *     *     *

2月の話になるが、27日(土)新日本フィル第473回定期演奏会としてバッハの
大曲「ミサ曲 ロ短調」を聴いた。(F.ブリュッヘン指揮、新日本フィル、栗友会合
唱団ほか、すみだトリフォニーホール)

自宅を10時前に出発し、午前中に母の見舞いを済ませた。母は点滴されて眠
っていたが、家内と私で「もうすぐお誕生日、米寿だよ~」と大声を掛けたら、「ウ
~ン」と発した。聴こえていたのかもしれない。結果的には3月3日に危篤になる
前、最後の見舞いとなった。その日のプログラムが「ミサ曲」だったのも何かの
因縁だったかもしれない。

途中のドトールでジャーマンドックをさっと食べ、あわただしくすみだトリフォニー
ホールへ。聴衆の入りはほぼ満席に近い状態、ブリュッヘンの人気の高さがうか
がえた。

第1部 ミサ
    キリエ
    グロリア
--休憩--
第2部 ニケーア信経
    クレド
第3部 サンクトゥス
第4部 オザンナ、ベネディクトゥス
    アニュ・デイ、ドナ・ノビス・パーチェム
指揮;F.ブリュッヘン
第1ソプラノ;L.ラーション(スウェーデン)
第2ソプラノ;J.ゾーマー(オランダ)
アルト(カウンターテナー);P.V.グーテム(ベルギー)
テノール;J.コボウ(ドイツ)
バス;D.W=ジョンソン(イギリス)
合唱;栗友会合唱団
合唱指揮;栗山文昭
コンサート・マスター;豊嶋泰嗣
新日本フィルハーモニー管弦楽団

合唱を中心とした演奏は大変よかった!栗友会合唱団はいつもは子音が弱い
ことが多く、個人的には満足していなかった。しかし、今回はブリュッヘンのせい
かバッハのせいか何のせいか、子音もよく立ち大満足、峻厳なバッハとなった。
練習もしっかり積まれており、ブレスの保持もよかった。
合唱は、第1曲の五部合唱、第9曲の四部合唱、第12曲の五部合唱、第20曲
の五部合唱、そして終曲の四部合唱などほとんどすべてに感動した。2時間の
大曲、とくに合唱を讃えたい。

ソリストもいずれもヨーロッパで活躍している一流らしく、不安を感じさせない、
立派な演奏だった。

オーケストラ配置は第1ヴァイオリンの隣に第2ヴァイオリンを置く、現代的なも
の。しかし、第1および第2ヴァイオリンは各8名、ヴィオラ6名、チェロ4名、コン
トラバス3名という小規模の弦楽5部であり、それに加えてフルート、オーボエ、
トランペット、ティンパニなどであった。

一生に一度は聴くべきだといわれているバッハの大曲「ミサ曲 ロ短調」を聴い
たのは生まれて初めてだったが、久しぶりに心から感動した演奏だった。

なお、同じバッハでも教会カンタータはプロテスタントの源流ともいうべきルター
派の教会のものであるのに対し、ミサ曲は本来カトリック教会の聖体拝領を伴
う典礼に伴う声楽曲であるようだ。

 
当日のプログラム 写真はF.ブリュッヘン


すみだトリフォニーホール付近から押上の東京スカイツリー(H23/2/27)
撮影場所より1.2km先の姿である

     *     *     *     *     *

<お別れの言葉> ~私の長男より~  2011/3/7母の葬儀にて
おばあちゃんが亡くなったと報せを聞いてからいまだに実感がわかず、昨日も「お
仕事は順調?」、「あらそう、よかったわねぇ」と話しかけられそうでした。
(中略)
最後にちゃんとお礼が言えていなかったので、この場を借りて一言だけお礼を言
わせてください。社会人になった時にもらったネクタイ、とても気に入っています。
社会人4年目になった時でもここ一番の時には必ずしめています。ありがとうござ
いました。 


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