昭和11(1936)年、夏のオリンピックは、ナチス・ドイツのベルリンで
開催された。今も行われている聖火リレーは、このオリンピックから
始められたものだ。
日本も、800m自由形競泳の遊佐をはじめ、前畑、田島、孫など6種
目で金メダルを獲得している。陸上の長距離で村社(むらこそ)が活
躍したのもこの大会だ。
沢木耕太郎がこの大会をテーマにノンフィクションとしてまとめた。
--本ブログ開設以前に読んだものだが、まだブログでは紹介して
いなかったのではないかしらん。ナチス・ドイツの時代を追いかけて
いて、本書を思い出した。
本書の裏表紙によれば、
1936年8月、ナチス政権下のベルリンで第11回オリンピックが開
催された。ヒトラーが開会を宣言し、ナチスがその威信を賭けて演
出した。その大会を撮影し、記録映画の傑作『オリンピア』二部作
を生み出した天才レニ・リーフェンシュタール。著者は彼女にイン
タビューを試みる・・・・・・。運命の大会に参加した日本選手団をはじ
めとする多くのアスリートたちの人生をたどる長編ノンフィクショ
ンの傑作
ということになる。
本書の「終章 階段へ」(文庫版p345-373)に、女流映画監督レニ・
リーフェンシュタール(1902-2003。本書発刊時95歳)との圧巻の
インタビューが登場する。その「一部」を抜粋させていただくと・・・・・・
「私がユダヤ人の強制収容所の存在を知らなかったと言っても信じて
くれないのです。そしてジャーナリズムは『意志の勝利』と『オリンピア』
で私がプロパガンダ映画を製作したと非難するのです」
(沢木「ヒトラーはそれだけの魅力を持った人間だったように思えます
が、あの時点であなたは魅かれていませんでしたか」)
「ええ、魅かれていましたよ。あの当時は、ほとんどのドイツ人が魅か
れていたわ。それなのに、いまになるとその事実を認めようとしない。
私がたったひとりの例外だと言うんだわ!」
「当時のニュース映画を見ればわかります。ドイツ人の九十パーセン
トがヒトラーの虜になっていたんだから。でも、いまはそれを言っては
いけないことになっているの。・・・・・・彼はドイツを愛し、ドイツをひとつ
にまとめようとしただけなのです」
ここにはなにがしかの「真実」が含まれているのではないかしらん。
ちなみに、戦後の非ナチ化裁判では、レニ・リーフェンシュタールは
「ナチス同調者だが、戦争犯罪への責任はない」として無罪となって
いる。
リーフェンシュタールは、「ナチスの犯罪」を知らなかったのだろうか?
少なくともそれには関与しなかった、ということかしらん?
ホロコーストを「見て見ぬふり」をしていたのだろうか?まったく知らな
かったのだろうか?
沢木耕太郎
1947年東京都生まれ。79年『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィク
ション賞、82年『一瞬の夏』で新田次郎文学賞、93年『深夜特急
第三便』でJTB紀行文学大賞、2003年菊池寛賞、06年『凍』で講
談社ノンフィクション賞受賞。ほかに『檀』など。(本書第1刷より)
沢木耕太郎『オリンピア』(集英社文庫)
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