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香柏だより

福岡市東区の香椎バプテスト教会です。
聖書の言葉には、ひとを生かす力があります。
礼拝では手話通訳もあります。

食卓

2016年05月20日 | 教会フォト
15日の昼食は持ち寄りの愛餐会ではなく、
比較的簡単な手間だけで供することができる
ランチでした。

できるだけ準備に負担のかからぬものを、
という前提でできる昼食ですが、
ペンテコステ礼拝でお招きしたゲストのためにも、
あまり手を抜いたものであってはなりません。

すると、ふだんのこのタイプの昼食よりは、
もっとゴージャスな感じのものとなりました。





さらに、前日の結婚式の余韻もあるのか、
いくつかのお土産のようなものが
テーブルに幾度か回ってきました。

できれば、
前日の結婚式に出席できなかった人のために、
その様子の報告や証しなどがあったら、
食卓はもっと華やいだかもしれない、
そう思ったのですが、
どうでしょうか……。

花鉢

2016年05月12日 | 教会フォト
8日の礼拝は特別に、
いろいろな意味がこめられていましたが、
花の日ということで、
一人ひとりに花鉢が贈られました。

とはいえ、今年は礼拝の中で手渡すのでなく、
なんとなく配るような形になりましたが、
小さな花鉢が
それぞれの手に行き渡ったことかと思います。





神は、小さな民イスラエルを選び、愛されました。
弱小であるからこそ選んだ、と聖書で語っています。
そして、
小さな花こそ、こんな日に相応しいかもしれません。

栄華を極めたソロモンでさえ、
小さな野の花の一つほどにも着飾ってはいなかったのです。

道端の小さな花にも、
また目を留めてみましょう。
神の造化の妙を垣間見ることができるかもしれません。

バプテスマ式

2016年05月10日 | 教会フォト
8日の礼拝では、
うれしいバプテスマ(洗礼)式がありました。

バプテスマのためには、
はっきりとした信仰告白が必要です。

そこで、
洗礼漕に入ってからも、
最終確認が行われます。

キリストがしてくださったことを信じるのかどうか。





結婚式の時の誓いや確認にも近いでしょうか。
はっきりとした返答がなされて、
見守る人々の気持ちも高まります。

これまでの自分に、死ぬ。
それは、
クリスチャンとして
誰もが経験すること。
十字架に死んだのは、キリストだけではなく、
この自分もそこに死んだのだ……。

かつて曖昧な救いのままに
なんとなく洗礼を受けてしまった人がいるかもしれません。
その場合は、
改めて、死んでしまった自分を確信する経験を通して、
ほんとうの新しいいのちに生かされる道に導かれましょう。

キリストとの出会いがあるならば、
何も心配する必要はありませんから。

母の日・花の日・家族の日

2016年05月09日 | 教会フォト
8日は、アメリカ式の母の日。
教会では、
母の日のみならず、
家族一般の祝福を覚えるように考えました。

昨今の複雑な家庭事情を鑑みてでもありますが、
ファミリーというものを大切に捉えようとするものです。
以前は家族が当たり前のような存在でしたが、
どうやらそれがそうでもなくなった観もありますので。

また、アメリカ式だと6月に
花の日というものが教会にはあります。
花の美しい季節、そして子どもの成長を祝する気持ちが、
ひとつになって定められたようです。
子どもが花を感謝の心から贈るという図式が似合います。

しかし、
日本では美しい花の季節は5月が相応しいとも思え、
家族と子どもというつながりから、
教会では、全部をひとつに統一してしまいました。





花を持ち寄り、
まずは講壇と会堂を飾ります。
会堂は花により飾られ、
講壇の伝道師も、このように花に囲まれています。

こうした花を花束としてまとめ、
教会関係の病気の方のところへ、また、
香椎の地域への感謝の心をもって、
JR香椎駅・西鉄香椎駅・香椎交番へ
例年、花を届けています。

ささやかですが、と申しつつ、
今年も届けさせて戴きました。

サラダ

2016年05月06日 | 教会フォト
昼食に添えられる、サラダ。
サラダの語源は、
「ソルト」に関係し、「塩」であると言われています。
かつて給料が塩として支給されていたことから
「サラリー」ともつながるそうです。





あなたがたは地の塩です、と
キリストは弟子たちに言いました。
しかしまた、それで塩気がなくなったら、
いったいなんの役に立つだろうか、とも言いました。
捨てられるしかないではないか、と。

旧約の預言者エリシャは、
塩を水にまき、水源から毒素を抜きました。
また、神への捧げ物についても、
塩を絶やすことができず、
ついには「塩の契約」という言葉もあります。
これは、祭司の子孫の生活保障のようなものでした。
サラリーの意義が関わっているかもしれません。

プロテスタントは、万人祭司をモットーとしています。
私たちはひとりひとり、塩の契約の中にあります。
しかし、それに相応しい塩気を、
私たちが果たして有しているかどうか、
問い直されます。

ひとりひとりが、問い直されていることに、
気づかなければならないのです

ドイツのビスケット

2016年04月30日 | 教会フォト
4月10日の出来事として、
次のようにお知らせをしていました。

  10日の礼拝報告のとき、
  ドイツに研究のために行った証しがありました。
  以前日本に来ていた人が、
  わざわざ遠くから会いに来てくれたそうです。
  主にある交わりが、
  世界中でなされているお話は、
  たいへん励みになりました。

そのドイツのお土産として、
ビスケットが教会に届けられていました。





甘いバターの香りがぷんと拡がります。
口に含むと、
とろりと溶けていくような感覚がありました。

ドイツなどヨーロッパでは、
以前のような教会の賑わいがなくなっているといいます。
礼拝に出る人も、少なくなっているのだとか。

信仰の国が色あせていくのは寂しいですが、
だからこそ、本物の信仰が試されているのかもしれません。
神は、小さな民を愛されました。
大勢がなんとなく選ぶ道ではなく、
見出すのが難しい門を通ってこそ、
しあわせへ通じる道があると告げてくださいました。

イエス・キリストこそ、その道です。
乳と蜜に満ちた約束の地へ
イスラエル民族が導かれたように、
こんな甘いバターの香りを感じつつ、
主イエスを見つめて歩みたいと願います。

桜餅

2016年04月08日 | 教会フォト
4月3日の教会の昼食の食卓に、
桜餅が登場しました。
上品な箱に入り、
整然と並べられた桜餅、
きめ細かな餅米と色合いが美しく、
葉も見事に揃っています。

どこのお店の桜餅ですか?

尋ねてみたところ、その答えは、





なんと、手作りだというのです。

驚きでした。
いえ、信じられませんでした。
見事な出来映えです。

味も、実にさわやかで、
作った方の技術とともに、
心というものも伝わってきました。

いくら奉仕をしても、
自己実現や自己満足のためにだけするのと、
ひとのためにするのとでは、はっきり違います。

日本人はそれを「もてなし」と表現しました。
桜餅から、大切なことを教えてもらいました。

りんごの花

2016年04月07日 | 教会フォト
早くも、教会のひめりんごの花が開きました。

毎年、春から初夏にかけて
二階へ螺旋状に上がる階段のどこかで
白い小さな花を見せてくれます。





このヒメリンゴもまた、
コデマリやサクラと同じバラ科だそうです。

季節を告げる花は、
礼拝説教の中で触れられたように、
イスラエル地方におけるアーモンドのような例もあります。
それは春を告げる花だということで、
これまたバラ科。
「見張る」「目覚める」という意味を伝える名前です。

花言葉というものには諸説がありますので、
断定的なことは言えないのですが、
このヒメリンゴとアーモンド、
どちらも、肯定的な意味と否定的な意味とが混在しています。

イスラエルのひとつの象徴も、
私たちのヒメリンゴも、
人生の機微をうまく表しているのかもしれません。

イースターエッグ

2016年03月28日 | 教会フォト
27日はイースター礼拝。
恒例の卵が配られました。

イースターエッグ。
卵は永遠の命を表すための
ひとつの象徴の役割を果たしていました。

あるいはまた、
ユダヤ教自体からも、
エルサレムの永遠性を願う中で、
卵が食されていたとも言われています。

卵とウサギというマスコットが、
西洋のイースターではよく見られますが、
人間の思いの象徴好きなのは、
いつの時代も同じなのでしょうか。
なんでも形にしようとすることが、
偶像みたいにならなければよいのですが。

それはともかく、
朝早くからこしらえてくださった方々、
ありがとうございます。
とくにこの赤い色は、
キリストの血の意味をこめているともされており、
私たちは心して、
イースターを迎えなければなりません。
十字架無くば復活なしです。





ところで、
イースターエッグといえば、
コンピュータ・プログラムも隠しコマンドとして、
かつてはずいぶん話題にされたものでした。
最近はOS関係からは聞かれなくなりましたが、
スマートフォンによっては、
そういうのがあるのだとか。

しかし、そういうコマンドも、
しょせん、人が企図して仕込んだもの。
神のなす業は、ひとの思いを超えています。
これまでの救いの業もびっくりそのものであり、
突然のラッパが鳴るときも、きっとそうなのでしょう。

神のご計画を、楽しみに待つというのも、
クリスチャンの特権なのかもしれません。

音楽と十字架

2016年03月22日 | 教会フォト
ヘンデルの「メサイア」を通じて、
20日の午後、
教会の会堂は
すばらしい音響空間となりました。

手作りのスピーカーと
よく組み合わされたアンプによって、
えもいえぬ音質が響きます。





第2部「受難」の部分を聞くことで、
キリストの十字架を深く思いました。
音の流れという、時間の芸術によって、
時間の中を生きるしかない私たちは、
ひとつずつ、過程を心に刻んでゆきます。

イヤホンの音も心地よいかもしれません。
けれども、
耳元で鳴り続ける音は、
聴覚に悪影響を与えることが
医師からも懸念されています。
そして空間を通じて拡がる音は、
私たちの全身を包み、
音が描く世界に連れて行ってくれます。

キリスト教は十字架にほかならない。
20日の礼拝で宣言されたことを胸に、
私たちはどっぷりと、
しばし十字架の呼びかけの中に浸ったのでした。

誕生会

2016年03月08日 | 教会フォト
香椎バプテスト教会では、
毎月第一主日の礼拝直後、
誕生会を開いています。

その月に誕生日を迎える方々を前へお呼びして、
Happy Birthday to You♪ を
ひとりひとり名前を呼びながら歌い、
ささやかですがプレゼントを渡し、
ひとりの方に感想を述べて戴きます。





このたび退職される方がお話しされました。

――これからは、「きょうよう」と「きょういく」が必要だ。

うん、うん。教育関係のお仕事でしたね、
「教養」と「教育」かぁ……と思っていましたら、

――「今日、用(がある)」「今日、行く」ことが大切。

むしろこれまでできなかった、
ご自分の本当の歩みが、
ここから始まるのかもしれませんね。
勉強になりました。

共に食事をするということ

2016年02月18日 | 教会フォト
基本的に、第二主日は、
持ち寄りの料理がテーブルに並ぶ、
愛餐会としています。

それぞれに事情がおありでしょうが、
量の多少は問いませんので、
何かしら提供してくだされば、
互いにそれを感謝して活かすことができます。





共に食事をするということは、
なにげないことのようでありながら、
いまでもそうでしょうが、
強い関係を結んだ者どうしの情景でした。

聖書の記事を見ると、
古いエジプト文明の時代から、
ユダヤ文化においても、
その点がよく分かります。

教会での愛餐会も、
その流れがあるかもしれませんが、
よく言われる、
食事の席でするべきでない会話の分野としての、
政治と宗教(と、バーベキュー?)については、
さしあたり、「宗教」なら、有りか、と。

誕生会

2016年02月09日 | 教会フォト
2月生まれの方々が、
2月7日の礼拝直後、
誕生会を開いて祝福を受けました。

出席者が多く、また、
ご夫妻ともに2月生まれ、というケースもあり、
賑やかなひとときとなりました。





いつも、
代表して一人の方が感想を述べることになっています。
これが、感謝なお証しとなりました。
からだの具合の悪さが薬のせいだと分かり、
止めたところすっかり良くなったというのです。

私たちの信仰においても、
自分で不要な薬を頼りにしていないでしょうか。
それを止めたとき、
すっかり良くなることが期待できそうな気がしました。

立春

2016年02月04日 | 教会フォト
今日は今年の立春。
公転する地球が、
春の場所に入り始めました。

季節を分ける、この立●の前の日を
節分と呼びますが、
この春の前の節分だけは、
一年の終わりという形で
人々は重要視してきました。

そのため、昨日の節分は、
追儺(ついな)という宮中行事の鬼払いが
行われる日と重ね合わされてきました。

なにはともあれ、
春は一年の始まりです。





ユダヤでも、
過越の祭が春の訪れを教えてくれました。
その時に、
キリストは十字架刑に処せられ、
そしてよみがえったのでありました。

辛夷(こぶし)の花が、
教会でも一足早く春を告げているかのようです。

ん?
白木蓮かもしれない?
似ているので、判別が難しいですね。

和食

2016年01月18日 | 教会フォト
17日、ランチは和食でした。
見たところ地味な感じもしますが、
これが、
年相応の方々にとり
ひじょうに食べやすいことはまちがいありません。

もちろん、若い人にも
からだに良いのは確かで、
急に寒くなった最近としては、
温まるメニューとなりました。





いつもながら、
労してくださる方々には
感謝の思いばかりです。

人はパンだけで生きるのではありませんが、
確かに、パンによっても生きるわけで、
日常的な営みの中にも、
たしかに神は恵みを注いでくださいます。