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香柏だより

福岡市東区の香椎バプテスト教会です。
聖書の言葉には、ひとを生かす力があります。
礼拝では手話通訳もあります。

聖霊が

2015年08月21日 | 壁紙
聖書の中にははっきりと「聖霊」のように
書かれてあることも多数あります。
他方、ただ「霊」としか書いていませんが、
明らかに聖霊を指しているということもあります。

神は霊です。
神は聖いお方です。
他とは一線を画するお方で、
かんたんに世の原理に混じることはありません。
ただ上から、神の霊は臨みます。
私たちは「上よりの力」といった言葉を使います。





聖霊は、人間の思惑通りに働くことはありません。
それは人間の外から、人間に及びます。
だから、聖霊をまるで支配しているかのように、
したり顔で話すというのは、まずいことです。

しかしまた、聖霊は、
信ずる人を動かしたり導いたりするばかりか、
人の中に入ってくるということもあります。

教会に行ってみようかな、
そのように思った人には、
きっと聖霊がはたらいています。

聖書を読んでみようか。
うん、うん、それも。

聖別の黄金の花

2015年06月13日 | 壁紙
沖縄の歌を歌うネーネーズの歌に
「黄金(こがね)の花」というのがありました。
その黄金とは、金銭のこと。
出稼ぎの人が金銭のために
純朴な心をなくさないように、との歌でした。

ユダヤでは大祭司の頭にはターバンが巻かれ、
そこにはペタロンと呼ばれる金の飾りがありました。
三層の黄金の花の冠があり、
神の聖なる4文字が彫られていたといいます。





「こがね」と「おうごん」、
同じ漢字の読み方ですが、
ずいぶんと内容が違います。

永遠の輝きとも見られた金が花をかたどり、
そこに神の名が刻まれる……。
聖書には、私たちがまだまだ気づかない、
美しいシンボルが隠れています。
時には、そんな小さな発見を求めて、
細部を想像しながら聖書を読むのもよいかもしれません。

虹の玉

2015年02月27日 | 壁紙
多肉植物をご存じでしょうか。
乾燥に強く、水を内部に溜める小さな植物です。
ほとんど水をやらず丈夫に育つと言われます。
また、サボテンと比較するとバラエティに富みます。

これはセダムと呼ばれる品種のひとつ、虹の玉。
時季により、葉の先が赤く色づくようになります。
それにしても、虹の玉、
多肉植物には、しばしば魅力的な名前が付けられています。





人が、青くなったり赤くなったりするのは、
感情が乱れてのことでしょうが、
そんな色の変化もまた、
美しく可愛いものとして大切にしてくださる、
神の愛を今日も想い、
それに応える心をもちたいと願うのでした。

手ほどの雲

2015年01月16日 | 壁紙
カルメル山で大活躍をした預言者エリヤ。
その後、旱魃を癒やす雨が来ることを察知します。
遥か彼方の海に、わずかな雲が見えたのです。
まもなく、イスラエルに大雨がやってきました。





あいにくこちらの写真は山からではありますが、
かすかに雲が見えています。
雨雲ではないかもしれません。
しかし、何かしら兆候が、実はどこかにすでにある、
そうしたことは、後から振り返って初めて気がつくものです。

いちじくの葉から夏の近いことを知る、
それは普通の人間でもそうだ、だから、
夜の終わりの兆候を知り備えなさい。
イエスの言葉が思い起こされます。

遠くに見えますか。
手ほどの雲。

見えなければ、呼びましょう。
教会のこれからのために、
私たちはいま、雲を呼ぶ備えをしているのです。

天に書きしるされた名

2014年11月22日 | 壁紙
先日ある新聞に、
最近お寺で困った問題がある、
という記事がありました。

いわゆる「過去帳」のことです。

お寺に、ひとの好さそうな人が来て、
お寺の過去帳を見せてもらう。
ところがこれが、身元調査をする業者であった……。

身元調査をするならお寺がいい、という話も
その世界には拡がっているのだ、とも。





いわゆる個人情報という問題ですね。
宗門人別改帳は、かつて秀吉のころに始められた人別改帳が、
江戸時代に寺請制度のもとに整備されたものでした。
日本で進展した戸籍と関わりがあるとも言われますが、
過去帳は、個人的にそうした記録がなされたもので、
永く保存され、ある人の先祖を知るための資料となります。

その悪用についてはともかくとして、
そこに名が記されていることで、
その一族であること、どういう生涯であったかということが、
明らかになります。

キリスト者は、
天に、あるいは神ご自身に、
その名が記されている者です。
名は、その人の本質、あるいはすべてを表します。

なんという恵みでしょう。

報酬と賜物

2014年11月21日 | 壁紙
教会の週報の裏に、
日々の祈りの課題が載せられています。
読みましょうという聖書の箇所もあります。
これは、日本聖書協会の「みことばの光」に基づいています。
いわゆる「今日の聖句」というものです。

ここしばらく、
終末に関する聖書の言葉が多く引かれていました。
黙示文学や、福音書の黙示的な箇所が多く、
またパウロの終末観の見える手紙が続きました。

しばし一つのテーマから
聖書のあちこちを開くのもいいものです。
聖書が立体的に理解できるような気がします。

罪の報酬は死。
教会の礼拝説教はこれまで17回にわたり、
ローマ書の連続講解説教がなされています。
今月に、このローマ書6章の話もありました。





この赤い苺が、
罪に見えますか、それとも、
永遠のいのちに見えますか。

どちらにでも、お取りください。
じっとその実を見つめながら、
自分と、また神さまと、対話をしてくだされば幸いです。

主はあなたを守る方

2014年10月03日 | 壁紙
太陽は生命の恵みであり、
月は夜を照らす希望。
そんなふうに見ることも当然できましょうが、
荒野や砂漠に近い環境では、これらは難敵です。

水分は、気温の変化を和らげますが、
わずかな水をも奪いながら、
昼の太陽は、灼熱をもたらします。

その逆に、夜は急激に低温下し、
昼夜の温度差がまた人にはこたえます。





日本の秋には、
いくらかそれと近いものを体験することがあります。
朝晩の冷え込みと日中の陽気。
体調を崩しやすいときでもあります。

しかし、主はあなたを守る方。
主はあなたを守る方。

これを繰り返し告げるメッセージ、
力強い説教が、聞こえてくるような気がします。

谷のゆり

2014年09月06日 | 壁紙
雅歌というと、
悩ましげな恋歌の並びであり、
よくぞ聖書に入ったものだと驚かれたり、
感心されたりする書です。

象徴的に解釈されもするし、
とくに新約聖書との関係で、
神と人との関係の中に
麗しい彩りを与えるように読むことがあります。

シャロンのサフラン、谷のゆりの花。
新改訳聖書はこう訳していますが、
他の訳語もあり、また、現代でどの花のことなのか、
解釈もいろいろあるといわれています。





この直後に、
恋人を、いばらの中のゆりだと称するあたりは、
心当たりがあるようにも思えます。
いくら他人がたくさんいても、
わが恋人は、たったひとり、
かけがえのない存在として目に映るものです。

神がどれほど私を愛してくださったか、
まさに「命がけで」愛してくださったか、
しかもその私は神を裏切りそれに値しないのに。
それに気づいた人は、
世界がこれまでと違って見えてくることでしょう。

捨てる権威

2014年07月19日 | 壁紙
明らかにふさわしくないこと、
法に触れることをしておきつつ、
せっかく得た議員などの政治的地位を
捨てられない人のニュースが
悲しいけれども度々流れます。

しかしその背後に、
同じことをしていながら
全く表に出て来ないという方々も
少なからずいるものと見られています。
地位を捨てるどころか、いわば仮面をかぶったままです。

気の毒でも、発覚した者だけを
トカゲの尻尾のように切っておけば安泰ということでしょうか。





神の子でありながら、
その地位を捨てたのがイエスであり、
そこに、真の権威があるのだ、と聖書は告げます。

王でありながら、奴隷となったイエス。
なぶり殺しにされてもなお
この使命を果たす道を進みました。

人にはできないことが、神にはできるのです。

青い麦

2014年07月12日 | 壁紙
福岡市郊外にも
麦畑が拡がるところがあります。
福岡県は、麦の産地なのです。

もう麦の収穫は終わりました。
まだ穂が青いころ、
畑を見ていると、幻想的な風景に見えてきました。





30倍・60倍・100倍と三度たたみかけるのは
ユダヤ的レトリックですが、
数学的根拠はともかくとして、この表現は、
膨大な増大を意味していると理解されたようです。

はや畑は色づいている、とも主は口にしましたが、
果たして私たちは豊かな実りを呈しているでしょうか。
まだ途上というパウロの心がけを思うと、
今は青い麦の姿が似合っているような気もします。

しかし、青くとも、
きっと実りは約束されているのです。
たとえ未熟であったにしても。

聖書と麦

2014年05月10日 | 壁紙
大型連休が終わり、
日常が戻ったと思ったら、
またお休みという方も多いでしょう。
しかし、バカンスという言葉のある国から見れば、
「大型」ではなく、「プチ」なのだそうで。

それにしても、良い気候の時季です。
福岡にはところどころ、
麦畑があります。
聖書に麦はつきものです。
日本人ならば米という感覚でしょうか。

イエスの譬えやエピソードにも麦はおなじみですが、
旧約聖書で異邦人の純朴な信仰と神の摂理を伝える、
ルツ記の物語は、麦が背景を包んでいます。





地元の有力者ボアズのもとにルツが嫁ぎ、
後にそこからダビデ王が生まれ、さらには
イエス・キリストにつながる家系となるのですが、
そのボアズは、どうしてもルツを迎えることを
決心するという情況を、ルツの義母ナオミが予感します。

麦の色が見え、香りが漂うような牧歌的な物語。
まだ青い麦ではありますが、間もなく、
福岡郊外にも金色の麦畑が風に揺れることでしょう。

見ずに信じる

2014年03月29日 | 壁紙
見ずに信じる者は幸い。
そういう言葉が聖書にはあります。

「見る」のみならず、
私たちは五感で感覚し、あるいはまた
自分の思惟により判断をします。

それですべてがうまくいくのかどうかというと、
そうでないことは、誰でも分かっています。





では、「信じる」とはどういうことでしょうか。
それはいかにも宗教的な、大げさなことなのでしょうか。

私たちは、そのドアを開けたところにも
床や地面があると、「信じています」。
今日も明日も働けば、
給料がもらえると、「信じています」。

そんなの当然じゃないか、と思いますか。
本当にそれは100%、そうですか。

私たちの行為は、振り返ってみれば、
「信じる」ことの連続です。
何かを信頼しなければ、生きていけないからです。

努力は裏切らない、などとかっこいい言葉も聞かれますが、
だったら、愛と真実の神は、
なおさら裏切るようなことがないはずです。
聖書は歴史上ずっと、真実を有しているから、
今なお世界の三人に一人が信頼しているのだと思うのです。

成長

2014年03月28日 | 壁紙
教会学校のための教案誌がありますが、
香椎バプテスト教会では、
『成長』というものを使っています。

一定のカリキュラムが考えられていますので、
内容が偏らず、また、
担当者自身も学んでいくことができます。

春、植物は芽をふき、花を咲かせます。
動物たちも新たな誕生があり、成長します。
人々も、新学年や新境地での始まりに
胸をときめかせ、希望をいだきます。





自分の力で、
自分だけを信じて生きていく、
などという決意は格好良く聞こえますが、
よくよく世界を見ると、
そんな生物は、いないのですね。

成長してくださるのは神。
自分が、自分が、という思いとは裏腹に、
私たちは日々恵みの中で生かされています。

たんぽぽ

2014年03月15日 | 壁紙
ひとの心は、
とてもしなやかです。
少しばかりの辛さや重みにも、
そこそこ耐えることができます。

でも、いつまでも抑えられるものでもありません。
そして、「どこまで」という程度は
人により、さまざまです。

自分の心がどこまで耐えられるのか、
あるいはもしかして、
自分の心がもう破綻しているのか、
残念ながら
それを自分で知ることは困難です。

私たちは、
自分で自分のことを、
それほどにはよく分からないのです。

ひとの罪はよく見えるのに、
自分の罪は全く見えていません。





春の光に包まれています。
同じ光を受けたとき、
自分で咲こうと無理しなくても、
春の花々が一斉に開きます。

ある花が、
自分を手本にして他の花も咲いている、などと
思い上がったとしたら、愚かなことでしょう。
そう思い込んでしまったら、
それもまた、心の破綻なのかもしれません。

神に、そしてひとに
ゆるされていることを忘れませんように。
責められている魂には、
神が必要なしなやかさを与えてくださいますように。

たんぽぽは、小さな花々の集まりが
ひとつの花のように見えます。
花びらのようなひとつひとつが、それぞれの花なのです。

なのはな

2014年02月25日 | 壁紙
鮮やかな黄色の畑が目に入りました。
もうこんなに、なのはなが。

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな

山村暮鳥の詩が鮮烈でした。
明るい光を受けて、
すっかり春だという気持ちになります。





もう誰かが
先に訪れていました。
甘い蜜、おいしいですか。

乳と蜜の流れる地。
神の約束の地の象徴の言葉ですが、
ほんとうに大地は豊かな産物を恵んでくれます。

三寒四温のトンネルを抜けると、
そこに春が待ち受けています。