香柏だより

福岡市東区の香椎バプテスト教会です。
聖書の言葉には、ひとを生かす力があります。
礼拝では手話通訳もあります。

イエスの復活――安息日が終わった週の初めの日

2016年03月27日 | 説教要旨・受難と復活
マルコ16・1~8イースター / 復活祭主日礼拝

安息日の前日、午前9時に十字架につけられたイエスは、午後3時に「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と大きな叫び声をあげて、息を引き取られた。夕方になりアリマタヤのヨセフは十字架からイエスの体を取り降ろし、岩を掘って造った墓に納め、入口に石を転がしかけておいた(15・22~47)。これらの出来事を見ていたのは弟子たちではなく、ガリラヤにおられた時からイエスに従い仕えて来た女性たちであった(15・40~41、47)。

安息日が終った土曜日の日没後に、マグダラのマリア他の女性たちはイエスの体に塗る香料を買った。そして週の初めの日・日曜日の早朝、「墓の入口からあの石を転がしてくれる人が、誰かいるでしょうか」とずっと話し合いながらやって来た彼女たちは、陽が昇った時、墓に着き、目を上げて見ると、何とあの非常に大きな石は既に脇へ転がしてあった。罪無き聖い生涯を送りながら、十字架につけられ、神に見捨てられて息絶えたイエスを墓の中に閉じ込めたあの大きな石。イエスの行なわれた一切の御業を死の中に封じ込め、人間に対し絶対的な力を持ち、人の力では如何ともすることのできない罪と死の勝利を象徴するような墓の入口のあの大きな石。「ところが、その石が既に(神により)転がされていた」のでした。

さらに墓の中に入った彼女たちは真っ白な長い衣を纏った若者を見て驚いた。すると若者は言った。「驚くことはありません。あなた方は十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょうが、ここにはおられません。復活されたのです。ご覧なさい。ここがお納めした場所です」。悲劇は逆転されたのです。天使は、イエスを愛し、香料を塗るために墓に来た女性たちに、〝あなた方は間違った場所でイエスを捜している。十字架上に神に見捨てられて死に、墓に葬られたイエスは、死に勝利し、墓を破って、復活された〟と告げ、空虚な墓はイエスを死者の中から復活させられた神の偉大な御業のしるしである、と言ったのです。

そしてさらに天使は女性たちに言いました。「ですから行って、弟子たちに、そして(特に)ペテロに『イエスは、あなた方より先にガリラヤに行かれます。かねて言っておられたとおり、そこでお会いできます』と告げなさい」と。この言葉は14・27~31にあるイエスとペテロ、弟子たちとの遣り取りに対応しています。最後の晩餐の後、オリーブ山ゲッセマネへの途中、イエスがペテロの三度の否認と弟子たちの躓きを予告されると、皆は強くそれを否定します。その彼らにイエスは〝復活した後、あなた方より先にガリラヤに行く〟と言われたのです。そして、ここで天使はイエスを見捨てたペテロと弟子たちに〝あなた方は十字架に死に、葬られ、復活された主イエスに、あなた方の故郷ガリラヤでお会いできます〟と伝えたのです。天使の言葉は、失敗し懲らしめを受けた弟子たちに、復活された主イエスが赦しと回復の約束、新たな招きと再出発の約束を語っているのです。

ところが女性たちも亦、恐ろしかったので墓から逃げ出し、誰にも何も言わなかった。こうして男も女も皆イエスを見捨て、逃げ去り、失敗したのです。こうしてマルコ伝は(ガリラヤでの)栄光に満ちた復活の主の顕現を記すことなく、突然終わるのです。ある学者は〝終わりが終わりではなくなるのはいつなのか。死んだ者が墓から復活する時――文章の途中で福音書が終る時である〟と本聖書箇所の注解の冒頭に書いています。主イエスへの信仰と愛を持ちながら躓き失敗するに復活の主イエスは、このイースターの朝も「ガリラヤで会います」と語りかけてくださっているのです。




イエスの死と葬り ― 安息日の前日に

2016年03月20日 | 説教要旨・受難と復活
マルコ15・22~47/受難週主日礼拝/棕櫚の聖日

キリスト教の象徴(シンボル)は十字架です。そのことは主イエスの生涯・御業の核心は十字架の死にあったことを物語っています。

〝イエスをゴルゴダへと引いて行った人々は安息日の前日の午前9時に、二人の強盗と共にイエスを十字架につけた〟(22~27、42)。人々は十字架上のイエスを〝他人を救ったが、自分を救えない。キリスト、イスラエルの王よ。十字架から降りて自分を救ってみろ。それを見たら俺たちも信じてやろう〟と罵り嘲った(29~32)。そして、昼の12時になると、全地は暗くなり、それが3時まで続いた。3時にイエスは大声で「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれた。差し出された酸い葡萄酒を拒まれたイエスは大声をあげて息を引き取られた。その時、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。十字架の下に立ち、正面からイエスを見上げていたローマ軍の百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て「まことに、この方は神の子であった」と言った(33~39)。

かつてバプテスマのヨハネが、〝来るべき方はあなたですか〟尋ねさせた時、イエスは〝目の見えない人は見え・・・死人が生き返り、貧しい人は福音を告げられている〟と、ご自分が旧約に預言されている救い主であることのしるしを列挙された(照マタイ11・2~6、イザヤ35・5~6、61・1~2)。他人を救ったイエスは今、十字架から降りて自分を救うことをされない。自身のためには奇蹟を行なわないで、御父の御意思に服従される(考ルカ4・1~13、荒野の試み/ルカ22・39~43、ゲッセマネの祈り)。そして大声で「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫び、息絶えられた。

その生涯の極致、十字架につけられたイエスは奇蹟も行わず、自分のために何もされない。そして御父から見捨てられ、死んでいかれたのである。

しかし、「その時」二つの事が起こった。(1)「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」。(2)「十字架の下、その正面に立っていた百人隊長は「まことに、この方は神の子であった」と言った」。(2)神と人を隔てるためにモーセ即ち旧約によって設けられていた神殿・聖所の幕が、神御自身により、上から下まで真っ二つに裂かれたこと(エスキステー/神的受動態)は、父のみこころに従って、イエス・キリストの体がただ一度だけ献げられたことによって、旧約(時代)の祭儀は廃止され、新約(時代)の礼拝が始まったことを示している(照ヘブル10・9~10)。(2)この新約の礼拝を最初に捧げたのは異邦人の百人隊長であった。彼は、十字架から降りず、自分を救おうとせず、神から見捨てられて、大声をあげ息を引き取ったイエスを仰ぎ見て〝まことに、この人こそ唯一の神の御子キリストであった〟と信仰を告白したのである。

受難週の主日礼拝の今朝、私たちのすることは〝十字架の主を仰ぐこと〟です。そして、そこに私たちの罪のために、十字架につけられたイエス・キリストをはっきりと認め、その主イエスの御業に信頼し、讃美と感謝の礼拝を捧げることです(照ガラテヤ3・1、Ⅰコリント1・23~24)。





私たちが義と認められるために

2015年04月05日 | 説教要旨・受難と復活
ローマ4・25/イースター主日礼拝/新年度第一主日/ローマ書連講(12)-3

本節には主イエスが復活させられたのは私たちが義とされるための神の御業(神的受動)であり、主イエスを死者の中から復活させた父なる神と復活された主イエスによって、私たちは救われる、と明記されています。私たちが救われるのは決して自力(行い・律法)ではありません。完全に他力(恵み・信仰・福音)です。

この例証としてパウロは、イスラエルの始祖アブラハムはどのようにして義と認められたかと問います(4章)。「アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」(創世記15・6)のは、彼が未だ割礼を受ける(創17・10/律法)前、試練に打ち勝つ(創22章/行い)前、かつ神の約束への確信のない、不敬虔で、罪人であった時(創15・1~4)でした。こうして彼は「(律法の行いによらず)信じて義と認められるすべての者の父」(4・11)、「神のイスラエル」(ガラテヤ6・16)とされたのです。

新約聖書、殊にローマ書においては「信じるすべての人にとって救いを得させる神の力」である「イエス・キリストを信じる信仰による神の義」(照1・16~17、3・21~26)、即ち律法・行いによる義ではなく、ただ恵み・信仰による義認・救いが高く謳われます(照エペソ2・8~9)。この聖書の真理を再発見したM・ルターを中心に〝聖書のみ、信仰のみ、神にのみ栄光あれ〟を掲げ、宗教改革を推し進めた人々は、ローマ・カトリック教会(信仰+善行=救い)に対比して〝福音派〟と呼ばれました。

〝イエス・キリストを信仰する〟とは〝イエスは神の子キリストであると信じる〟ことです。この「神の子イエス・キリストの福音」(マルコ1・1)に関し、パウロは「御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、聖い御霊によれば、死者の中からの復活によって大能の神の子として公に示された(定められた・立てられた)」(1・3~4)と記しています。旧約に預言されたとおり、処女マリヤより生まれ、罪なき生涯を送られたイエスは、私たちの贖いのために死に渡され、私たちが義とされるために復活させられた神の子キリストであると信じ、告白するなら、どんな人でも救われるのです(照10・9~10)。

イエスは〝神の子キリスト〟と信仰告白したペテロ(と弟子たち/マタイ16・15)は、裏切り(渡す)の警告に怯えつつ(同26・22)、自分だけは躓きませんと言いました(同26・35)。しかし、「弟子たちは皆、イエスを見捨てて、逃げてしまった」(同26・56)のでした。そしてペテロは三度〝主を知らない〟と言ったのでした(同26・75)。そのペテロに、復活された主は誰よりも早く「お姿を現わされた」(ルカ24・34、Ⅰコリント15・5)。また三度〝わが羊を牧せよ〟と命じられた(ヨハネ21章)。その後もペテロは〝キリストの福音による救い〟を危うくすることもあった(照ガラテヤ2・11~14)。無謬ではなかった! )。

血肉による生粋のアブラハムの子孫であり、律法による義についてならば非難されるところのない者と豪語し得たパウロ。それ故、木に架けられて殺されたイエスは神に呪われた罪人であり、その男を信奉する輩等を迫害することは神の正義の行為

であると確信していたパウロは、ダマスコ途上で復活の神の子イエスに出会い、救われ、使徒とされたのでした(照ピリピ3・5~6/使徒9章/ガラテヤ1・1、3・13)。

まことに「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義とされるために復活させられたのです」。




私たちの罪のために

2015年03月29日 | 説教要旨・受難と復活
ローマ4・25/受難週・棕櫚の主日聖餐礼拝/ローマ書連講(12)-2

受難の最初の出来事であるエルサレム入城を記念して、復活祭直前の日曜日は棕櫚の主日と呼ばれ、祝われる。古代、棕櫚(なつめやし)は勝利の象徴であった。人々が手にした「木の枝」は外典では〝棕櫚の枝〟となっています。そうしたことより、キリスト教美術では棕櫚の枝はキリスト教の勝利、永遠の生命を表わし、また殉教者に授けられるとされています。

「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義とされるために復活させられたのです」を中心に、今年の受難節と復活祭のみ言葉を取り次ぎます(注ローマ書連講⑫/14年5月~15年11月全45回予定)。きょうはその前半部「主イエスは、私たちの罪のために死に渡された」ことを聴き、主の晩餐に与ります。旧約聖書には罪を表わす約20の言葉が使われています。その中で最も重要な語は〝的はずれ〟を意味します。アダムの罪(原罪)以来、神の意志・言葉に背いた私たち人間は、的(律法・命令)はずれの自分勝手な道を歩いています。その罪の道は死・神の裁きに到るのです。

「主イエスは、(そのような)私たちのために死に渡されたのです」(25a)。「ために(ギリシャ語・ディア/英語・for)」とは〝~を通って/~のために/~の故に〟との意味です。「渡される(ギリシア語・パラディドーミ)」は〝引き渡す/預ける/委ねる〟を意味します。物または誰かが別の人物の裁量下に移されることを表わすこの語が、ユダがイエスをユダヤ当局の手に「引き渡す」こと、即ち「裏切る」ことにも使われています。「わたしの時」を強く意識して、父の御意志に従ってこられた主イエスは、十字架の死の前夜、最後の晩餐となった過越の食事の席で、そのような弟子たちにパンを与え、「取って食べなさい」と命じ、また杯を与え「みな、この杯から飲みなさい」と命じ、「これはわたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです」と〝主の晩餐・聖餐式〟を制定し、その意味を教えられました(照マタイ26・14~29/照エレミヤ31・31~34)。

パウロはこの主の晩餐に関し、「私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。即ち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、・・・・・・この杯は、わたしの血による新しい契約です・・・・・・」と記しました(Ⅰコリント11・23~26)。そしてここローマ書で、主イエスの十字架と主の晩餐を結びつけ、「主イエスは、私たちの罪のために死に渡された」と言います。「渡された」とは神により引き渡されたことを表わしています(神的受動)。「この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知り、世にいる自分のものを愛された」(ヨハネ13・1)イエスは「渡される夜」、ご自身の十字架の死は、私たちの罪を赦すために起った神による出来事であること、また、その食卓(主の晩餐)をご自身の血による罪の赦しを記念する祝宴とされたのです。「あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります」との言葉に、弟子たちひとりびとりが〝まさか私では・・・〟と恐れ、また現実にイエスを捨て、或いは否認したのでした。そのような弟子たち・私たちを、主はその晩餐・祝宴に招き、食し、飲むように命じておられるのです。それはどうしようもない罪人である私たちが、十字架上にその体を裂き、多くの人々の罪の赦しのために流された主イエスの血による「新しい契約」に信頼し、感謝し、記念し続けるためです(考ローマ8・31~39)。




あなたはキリストです

2015年03月22日 | 説教要旨・受難と復活
ローマ8・27~9・1/十字架の待つエルサレムへ

ヘルモン山南麓の高台に湧出する泉は、旧約時代のバアル・ガド(ヨシュア11・17)、バアル・ヘルモン(士師3・3)、ギリシャ時代のパニアス(牧神パンに由来/現在バニアス)と同定されている。この地にヘロデ大王は皇帝アウグストゥス像を安置した大理石の神殿を建立した。その息子ピリポは町を拡張修飾し、皇帝ティベリウスに敬意を表し、父が建設した地中海沿岸のカイザリアと区別するため、ここをピリポ・カイザリアと改名した。またここより西5㎞に位置するイスラエルの北端ダン(「ダンからベエル・シェバまで」士師20・1)に、ヤロブアム一世は金の子牛を置き、民はその像を拝みに行った(ヤロブアムの罪/Ⅰ列王記12・18~30)。

ガリラヤ宣教の終り頃、イエスは弟子たちを連れてこうした地方に出かけられた。その途中、イエスは弟子たちに「人々はわたしを何者だと言っているか」とお尋ねになり、その応えを聞いた後、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と弟子たちにお尋ねになった。ペテロが答えた。「あなたはキリストです」。すると、イエスはこのことを誰にも話さないようにと、弟子たちを厳しく警告された。イエスは、人々が(弟子たちも)、ご自身をローマの圧政より解放し、世界にイスラエルの支配を打ち立てる政治的なダビデ的メシア(キリスト)と誤解すること(照ヨハネ6・14~15、使途1・6)を防ぐために、こう言われたのであろう(27~30)。

それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに排斥され、殺され、三日の後に復活することになっていると、弟子たちに教え始められた。すると〝苦難のメシア(キリスト)(照イザヤ53・3~5、11)であるイエスを理解できていなかったペテロはイエスを脇にお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペテロを叱って言われた。「引き下がれ、サタン(照マタイ4・10)。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」。ペテロ(と弟子たち)は、イエスが政治的メシアであるよう唆かそうとしたのである(31~33)。

それからイエスは群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「誰でもわたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従いなさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、福音のため、いのちを失う者はそれを救うのです(考クレネ人シモン、マルコ15・21)・・・・・・」(34~9・1)。「いのち/魂」(ギリシャ語でプシュケー、ヘブライ語でネフェシュ)は神によって与えられる地上のかつ永遠の人間のいのちのことであり、それを失ったらどんな代価を払っても買い戻すことのできないもの、神の像に造られた私たち自身のことである。イエスの福音が呼び起こすいのちは、神の意志に服従する自己否定・自己放棄(「自分を捨てる」と「イエスを否認する」(照マルコ14・72)は同じ言葉[ギリシア語])であり、自己の地上的願望に身を委ねることではない。

「天に上げられる時が近づいて来た頃、イエスはエルサレムに旅立とうと御顔をまっすぐに向けられた」(ルカ9・51)。・・・「さて、一行はエルサレムに上る途中にあった。イエスは先頭に立って進まれた。弟子たちは驚き、後に従う者たちは恐れを覚えた」(マルコ10・32)。




死をもって死を滅ぼす

2014年04月20日 | 説教要旨・受難と復活
マルコ15・40~16・8/イースター・復活祭礼拝

十字架上で「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫び、訴えられたイエスは、やがて「完了した」と言われた。そして最後に「父よ、わが霊を御手にゆだねます」と大声で言われて、頭を垂れて息を引き取られた。「すると、神殿の幕が上から下まで真二つに裂かれた」。これらのことは、主イエスは私たちの罪を背負い、私たちに代わって十字架上に御父より見捨てられ、死ぬことによって、御父より託された私たち罪人を救う御業を、最終的に完成してくださったこと、そのことをご自身も確信し、息を引き取られてこと、さらに御父も神殿の幕を裂くことによって、罪人のための唯一完全な永遠の神の小羊としての御子の犠牲を認め、嘉納されたこと、そして誰でも、イエス・キリストが十字架に体を裂き、血を流すことにより設けられた新しい道を通り歩む人は、父なる神の御許=天国に入れていただけることを物語っています(先週4/13受難週主日礼拝/マルコ15・33~39)。

十字架上の主イエスを遠くの方から見守っていた女性たちがいました。主が十字架に磔殺されたその日(西暦33年4月3日(金)/「最後の晩餐の真実」)、安息日の前日はすでに夕方になっていました。アリマタヤのヨセフは勇気を出してピラトの許に行き、イエスの遺体の下げ渡しを願い出ました。ピラトは百人隊長に確かめたうえで、遺体をヨセフに渡しました。ヨセフはイエスを十字架から取り降ろし、岩山に掘った自分の新しい墓に納め、その入り口に大きな石を転がしかけておきました。女性たちはイエスが納められる所を見つめていました(15・40~47)。

安息日が終わりました。十字架から三日目、週の初めの日の早朝、女性たちは前夜に買い求めていた遺体に塗る香料を手に、墓へと急ぎながら、「墓の入口からあの石(照15・47)を転がしてくれる人が、誰かいるでしょうか」と話し合っていました。ところが目を上げてみると、あの大きな石が既に脇へ転がされていました。墓に入った女性たちに、白く輝く長い衣を着た若者が言いました。「あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょうが、ここにはおられません。あの方は復活されました。ご覧なさい。ここがお納めされた場所です。さあ行って、弟子たちとペテロに『あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれます。かねて言っておられたとおり、そこでお会いできます』」(16・1~8/照14・28)。

誰よりも死ぬことの恐ろしさ(罪の故に神に裁かれ、見捨てられること)を知っておられた人となられた主イエスは、私たちに代わって確かに「十字架につけられ、死にて葬られ」ました。それは、その死によって、死を司る悪魔をご自分の死によって滅ぼし、また一生涯死の恐怖に怯え、その奴隷となっていた私たちを解放するためでした(照へブル2・14~15)。その主はもう墓にはおられません。「よみがえらされました」(6/不定過去形受動態。一回限り起こった神による終末的・決定的な出来事であることを示す/照 使徒3・15、4・10、ロマ4・24他)。イエスの十字架上の死と同時に、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けたことによって予告されたことが、イエスの復活によって明白に、高らかに宣言されたのです。

やがての日、おそらくイエスが葬られた場所に、アリマタヤのヨセフもその遺体を横たえたことでしょう。その時、彼は恐怖と絶望に戦いてはいなかったでしょう。彼は、主イエス・キリストが「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえ」られたことにやさしくも力強い恵みを思い、そして主が復活されたことを想い、自分も復活の朝に目ざめる希望を抱き、安らかであったことでしょう。

私たちも、いずれ死ぬ時が来ます。葬られる時が来ます。しかし、罪人であるにも拘らず、私たちの死は裁きではなく、私たちの葬りはすべての終わりではありません。罪の支払う報酬として、死んで葬られますが、キリストの十字架の死と三日目の復活による福音(Ⅰコリント15・1~4)のゆえに、私たちはもはや神の裁きを受け、永遠に神の御許から追放されることから救われ、罪を赦され、神の子どもとして生きることが赦されているのです(照ロマ6・23)。




幕は切って落とされた

2014年04月13日 | 説教要旨・受難と復活
マルコ15・33~39/受難節主日礼拝

〝幕を切って落す〟 とは、切り幕を明けることから 〝事を始める〟 〝初めて公開する〟 こと(広辞苑)。ゆえに「神殿の幕が上から下まで真二つに裂かれた(神的受動態)」ことは、これまで聖所と至聖所を隔てていた幕が真二つに引き裂かれたことにより、これまで隠されていたことが初めて明らかにされ、新しいことが始まったことを意味している。

モーセが神により建設を命ぜられた幕屋は、そこにおいて神が民と会見されたことから「会見の幕屋」と呼ばれた(照 出エジプト25・8~9/29・43~46)。「会見の幕屋」の構造に倣ったエルサレム神殿の中核部は聖所と至聖所から成り、その間に垂れ幕が懸かっていた(照ヘブル9・1~7/絵図)。

聖書学者F・F・ブルースが 〝新約聖書でもっとも困難な問題〟 と呼ぶ、最後の晩餐の日付けと内容に関する問題を取り上げたコリン・J・ハンフリーズは 〝再現した暦から、磔刑の日付けは西暦33年4月3日の金曜日で、最後の晩餐は西暦33年4月1日だと特定できた〟 と結論している(「最後の晩餐の真実」太田出版)。その朝、人々はイエスを十字架につけるために、ピラトの法廷からゴルゴダへと連れて行き、午前9時に十字架につけた(15・20~25)。正午になると、全地は暗くなり、3時まで続いた。その時、イエスは大声で「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ/ わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれた(マルコは(マタイも)イエスの十字架上の七言の中、この言葉(第四言)のみを記す)。イエスはこの第四言のあと、「わたしは渇く」、そして「完了した」(ヨハネ19・28、30)と言われ、最後に、大声で「父よ、わが霊を御手にゆだねます」と叫んで言われ、息を引き取られた(ルカ23・46)。そのことをマルコは「それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた」(39)と記しているのでしょう。

「すると(共)/その時(フ)、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた」(38)。最後の晩餐の後 〝わたしが御父に至る道である〟(ヨハネ14・6)と言われた「イエスは、ご自分の肉体という垂れ幕を(十字架上に裂かれることを)通して、私たちのために(神に至る)この新しい生ける道を設けてくださったのです」(ヘブル10・19、20)。イエス・キリストの十字架上の死は、私たちの罪の故に御父が御子を見捨て、一つであった父と子が引き裂かれたことでありました。この神(父と子)の受難・苦悩があって、神の人類救済の御業が「完了した」のです。その結果、人は誰でも、イエス・キリストによる新しい道を通って、聖なる神の御許に行くことが許されたのです。肉のゆえに無力となった律法ではできなくなっていることを、神は御子を人として遣わし、私たちの代わりに罪とすることによって、成し遂げてくださったのです(照ローマ8・3、Ⅱコリント5・21/エペソ2・8~9)。イエス・キリストの十字架上で裂かれた肉体と流された血による新しい契約による救い、新しい時代の幕が切って落とされたのです。




岸辺に立つ主

2013年03月31日 | 説教要旨・受難と復活
ヨハネ21・1~14/復活祭

テベリア湖という呼称は湖の西岸の町テベリアに因んでいる(考ガリラヤ湖、ゲネサレ湖、キンネレテ湖)。イエスが死人の中から復活した後、三度目(照20・19、26)に弟子たちに現われたのは、夜明けのこの湖畔でのことであった。今日、その場所は湖の北岸タブカ(ギ・ヘプタゴン=七つの泉のアラビア語訛/カペナウムの西3㎞)と呼ばれる所と推定されている。岸近くの湖底にも泉が湧いていたであろう(考8)。

主イエスが復活された朝、御使いが、またイエスご自身が、婦人たちに、イエスが甦られたこと、そしてガリラヤで会うことを告げた。そこで弟子たちはガリラヤへ行った(マタイ26・32、28・7、10、16)。主の復活の日から既に二週間ほどが経っていた。空虚な墓を「見て」、主イエスは確かにそこにおられないことを「信じた」ヨハネとペテロは、しかし「イエスが死人の中から甦えらなければならないという聖書を、まだ理解していなかった」(20・8~9)。エルサレムで復活された日の夕方とその八日後の二回、主は弟子たちに現われてくださった(20・19~23、26~29)。

ガリラヤに戻って主イエスを待っていたある日、シモン・ペテロが「私は漁に行く」と言うと、他の6人の弟子たちも一緒に舟に乗り込んだ。「しかし、その夜は何もとれなかった」。ペテロたちは徒労に終わった一夜の仕事に疲れ、闇の中で、あの召命の日のこと(ルカ5・1~11)を想い起こしていたであろうか。

そのような「夜が明けそめたとき、イエスは岸辺に立たれた」。だが弟子たちはそれがイエスだとは分からなかった。イエスは弟子たちに「舟の右側に網をおろしなさい」と言われた。その声に従って網をおろすと、夥しい魚が獲れ、網を舟に引き上げられなかった。その時、イエスの愛された弟子ヨハネがペテロに「主です」と言った。するとペテロは上着をまとい、湖に飛び込み、主の許に泳いで行った。他の弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で来た。

岸辺には既に炭火がおこしてあり、その上にパンと魚が載せてあった。主は疲れきった弟子たちに「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と優しく語り、ご自分が用意された食卓に招かれた。そのお声は弟子たちに、過越祭の夜、主を否み、裏切り、逃げ去る弟子たちであることを承知しながら「取って、食べよ」と命じられた最後の晩餐のときのお声と重なって聞こえたことであろう。だから弟子たちは「あなたはどなたですか」と尋ねなかった。弟子たちはその方こそ「主であることを知っていたからである」。

復活の主は、私たちが暗い夜の闇の中にいるのと同じような状況に思い悩み、苦しんでいるとき、私たちには見えないけれども、実はすでに岸辺に立って、私たちを見守っていてくださるのである(4 照マルコ6・48、創世記16・13「エル・ロイ=ご覧になる神」)。そして主は、疲れ、絶望し、「それがイエスであることがわからない」弟子たちに、主イエスの方からお声を掛けてくださるのである。そして、そのお言葉に聴き従う人に豊かな実り・収獲を与えて下さる。こうして復活の主は、私たちの困難に満ち、変ることのない日常に目を留め、その平凡な生活を肯定し、意味を与えて下さる。そしてやがての日、私たちは闇が最も深くなる時を経て地上の旅路を終え、夜が明け初めるとき、天のガリラヤ・魂の故郷である御国に着くのです。そのときも主は、輝く天の岸辺に立って、私たちを迎えてくださることでしょう。(照 バンヤン「天路暦程」)。何という幸いでしょう。〝ですから愛する兄弟・姉妹たちよ。この復活の主への信仰に堅く立って、動かされることなく、いつも主の業に励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあって無駄でないことを知っているのですから〟 (照Ⅰコリント15・58)。




復活の信仰に生きる

2012年04月08日 | 説教要旨・受難と復活
Ⅱコリント4・16~5・10/イースター(復活祭)礼拝/E姉バプテスマ式

パウロがアテネで、真の神は一人の方によって正しく世界を裁くために、その方を死者の中から復活させた、と語ると、ある人たちは嘲笑い、他の者たちは 〝いずれまた聞かせてもらおう〟 と言った(使徒17・31~33)。その後、コリントに来たパウロは、ユダヤ人には躓き、異邦人(ギリシア人)には愚かであっても、救いを受ける私たちには神の力である十字架のことば、十字架につけられたキリストを宣べ伝えた(Ⅰコリント1・18、23)。即ち、旧約聖書の預言の通りに、私たちの罪のために死に、葬られ、三日目に復活されたキリストを信じる人は救われるという福音を伝えた。人々はこの福音を信じ、それによって立った(Ⅰコリント15・1~4)。

キリストの救いに与ったとはいえ、土の器に過ぎない私たち外なる人は、衰え、艱難に苦しみます。しかし、私たちは落胆しません。自分の弱さ、脆さに耐えます。それは内なる人=信仰に生きる私たちは日々新たにされており、また、今の時の軽い艱難は私たちの内に働いて、比べられないほどの重い永遠の栄光をもたらすからです。そのために私たちは、苦難をもたらす「見えるもの」・現実世界にあって、自分の存在のいのちの深みにおいて、十字架と復活の福音の光の中に「見えないものにこそ目を留めます」。地上の幕屋に住む間、私たちは重荷を負い、苦しみ呻いています。この地上の住まいである幕屋がやがて壊れるとき、神による建物・天にある永遠の家を神が備えてくださることを私たちは知っています。ですから私たちはこの天から与えられる住まい・霊のからだを着たいと切に願っていますが、それは地上の住まい・肉のからだを脱ぎ捨て、裸・霊・精神になりたいからではありません。かえって天から与えられる住まいを地上の住まいの上に重ねて着ることによって、死ぬべきものがいのちに飲み込まれてしまうためです。

罪に苦しみ呻く私たちのために、キリストは私たちの罪の重荷を負い、十字架に死なれました。そのキリストは同じお姿で、天からの栄光のからだをもって復活されました。この復活の主は「わたしを信じる者は死んでも生きる」(ヨハネ11・25)と仰言り、パウロは終りの時、一瞬のうちに「死者は朽ちないものに復活し、私たちは変えられる」(Ⅰコリント15・52)と記しました。地上の幕屋から天の永遠の住まいへの遷居は、キリスト再臨の時「死ぬべきものがいのちに飲み込まれる」という形で起こるのです。即ち、私たち人間の努力や人間が神と共働することによってこのことは成るのではありません。私たちはただ神の恵みの業を受け取るだけです。「私たちをこのことに適う者としてくださった方は神です」。そして神は、この希望(照14節)の保証として御霊を下さいました。

私たちは地上の幕屋にあって今しばし生きづらい状態を生きますが、やがて必ず「死ぬべきものがいのちに飲み込まれ」「天からの住まい」・復活のからだを着るときが来ます。その日を望みつつ私たちは「重い永遠の栄光に目を留め」「見えるところによってではなく、信仰によって歩んでいます」。そしてこの「復活の信仰に生きる」者として「堅く立って動かされることなく、いつも主のわざに励み」ましょう(Ⅰコリント15・58)。




多くの人の身代金として

2012年04月01日 | 説教要旨・受難と復活
マルコ10・35~45/受難週聖餐礼拝

教会の新年度初日の今日、二〇一二年受難週棕櫚の聖日、聖餐礼拝を捧げます。

ピリポ・カイザリアにおいて、初めて受難を告知された主イエスは、弟子たちの先頭に立ってエルサレムへ向われました。そのお姿に弟子たちは驚き、従う者たちは恐れを覚えたほどでした。途上、主は受難の意味の分かっていない弟子たちを再び傍らに呼び、三度目の受難告知をされました(照①8・31、②9・12、③10・32~34)。それでも主の受難を理解できなかったヤコブとヨハネは、イエスの所に押しかけて行きました。主が 〝何をしてほしいのか〟 と問われると、直ぐに 〝お与えください。栄光の座を〟 と答えました。このことを聞いた残りの十人はひどく憤慨しました。彼らも亦、腹の底では同じことを願っていたからでしょう。今朝、主は私たちを受難節礼拝へと呼び集めてくださいました。主ご自身がその受難の意味と、そこに示された主の御旨を語り、教えてくださいますように。

そのような弟子たちを、主は呼び寄せて 〝世間では、偉い人たちが人々を支配し、権力を振るいます。しかし、あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。一番上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい〟 と諭されました(42~44/9・35)。十字架の主を仰ぎ、礼拝(サーヴ)する私たち、主の教会にあっては、上に立つ者は仕える者(サーヴァント)・僕である、と私たちに仕えるために世に来られた主が言われるのです。最年長の弟子で、今は年取った「キリストの苦難の証人」ペテロは、教会の長老たちに 〝神の羊の群れ(教会)を支配するのでなく、群の模範となり、神に従い、喜んで心を込めて、牧しなさい〟 と勧めます(Ⅰペテロ5・1~4)。

続けて主は言われます。「人の子は仕えられるためではなく、仕えるために、また、多くの人の身代金(リュトロン)として自分の命を献げるために来たのである」(45共)。「多くの人」とは 〝数え切れないほど無数の人〟 を意味します。身代金は新約聖書にこの文脈だけに出てくる言葉です。聖書は私たち人間は、神に対して払い切れない莫大な借金(罪)をしている存在(もの)と記しています(照マタイ18・21~35)。神でありながら、人となって世に来られたキリストは、そのような私たちを罪から解放し、救出し、自由にするために、十字架に自分のいのちを与えてくださったのです。主イエス・キリストは私たち「多くの人の身代金として自分の命を献げ」られたのです(照Ⅰテモテ2・6、テトス2・14)。このことをイザヤは 〝主の苦難の僕〟 の歌の中で「彼は多くの人の罪を負い、背いた人たちの執り成しをする」と預言しています(53・12)。

主イエスはその十字架の苦難の意味を表わす聖餐式を定めるとき「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです」(14・24)と言われています。主イエスは「多くの人の身代金として」十字架に死ぬことによって、神の前に罪人である私たちに仕えられたのです。この十字架のイエス・キリストを仰ぎ、感謝しつつ、主の晩餐に与りましょう。




前に言われたとおり

2011年04月24日 | 説教要旨・受難と復活
マルコ16・1~8/イースター礼拝




 
東日本大震災により、多くの人々が愛する方々を、家を仕事を、さらには故郷を失い、未だ先の見えない暗闇の中にヨブの苦難を余儀なくされた避難生活を強いられています。被災より六週間、ようやく東北の被災地の再生復興が語られ始めました。願わくは経済的な復興だけでなく、地震や津波にも負けない故郷の再生、さらに深い悲哀と苦難から立ち上がり、生きる日々が一日も早く訪れるよう祈らずにはおられません。

14章から15章にかけて、イエスの受難を克明に時間を追って記すことにより、マルコは、イエスの十字架が現実の歴史の中で起こった出来事であることを伝えます。それに続くイエスの復活を記す16章も「安息日が終ったので」と記し始めます。

そして、「週の初めの日の朝、ごく早く」まだ暗いうちに婦人たちは墓へ出かけました。途中、彼女たちは「墓の入口の(死の力を象徴するかのようなあの大きな)石を転がしてくれる人が誰かいるだろうか」とずっと目を落として案じ合っていました。日が上った時、墓に着いた彼女たちが「目を上げて見る」と石は(すでに神により)「転がしてあった」。墓の中に入った彼女たちは輝くばかりの衣を着た青年を見、驚きました。すると青年は、墓にイエスの遺体のないことに驚くな、あなたがたが求めて来たあの方は甦られました、ここにはおられません、と告げ、続けて「お弟子たちとペテロに、イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます」と伝えるように命じました。この言葉は14・27~31を受けています。イエスはそこで言われたとおり受難され、復活されました。ペテロをはじめ弟子たちも皆、言われたとおり躓き、逃げ去ったのでした。そのような弟子たちに、全てはイエスが「前に言われたとおり」になったと伝言されたのです。特に「ペテロに」と名指しされたのは、彼が弟子たちの代表というよりも、三度も主を否認したゆえでありましょう(14・66~72)。大言壮語しながらイエスを捨てて逃げ、三度も否認した自分は、もう顧みられる資格はないと思っていたであろうペテロに、主は復活の朝、彼の名を呼び、最後の夜の約束を告げられたのです。ペテロはこのことにどんなに感激し、繰り返しこの主イエスのお言葉を感動をもって生き生きと語ったことでしょう。そして、このようなペテロに、復活された主は誰よりも早く現われて下さったのでした(照ルカ24・34、Ⅰコリント15・5)。ペテロの説教を通訳していた最初の福音書記者マルコは、「神の子イエス・キリストの福音」(1・1)書の終りに、自分もそうであったこと(照14・50~52)を告白するかのように、このことを書き記したのではないでしょうか。マルコのように「ペテロに」という所に、自分自身の名前を書き記す人は、イエスの十字架と復活による罪の赦しの福音に感謝し、今日のイースターを心より喜び、祝っている人と言えましょう。

やがてガリラヤに行った弟子たちとペテロに復活の主は現われて、福音宣教・伝道牧会の使命を命じ託せられます(照ヨハネ21章、マタイ28・16~20)。ガリラヤ。そこはイエスが宣教を開始された地、また弟子たちの故郷、日常の生活の場でした(1・14と39、16)。苦しみや悲哀、不条理や不安がある私たちのガリラヤ・日常生活の場、その所で、復活の主は私たちに会ってくださり、罪の赦しと生きる希望をお与えくださるのです。さらに、復活し天に昇られた主は、「前に言われたとおり」、約束してくださったとおり、私たちを天の故郷・天のガリラヤに迎えてくださるのです(照ヨハネ14・3、ルカ23・42~43)。




エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ

2011年04月17日 | 説教要旨・受難と復活
マルコ15・33~39/受難週主日礼拝

ガリラヤの漁師、無学な普通の人ペテロの語る「神の子イエス・キリストの福音」(1・1、14)を通訳していたマルコ(照Ⅰペテロ5・13、パピアスの記録)は、十字架上の主イエスの七言の中、ただこの一言のみをアラム語のまゝに記しています(マタイも、但しヘブル語で)。このことはマルコは十字架上のこの言葉がどれほど重要なもの、福音の核心であると認めていたことを示唆しています。多分ペテロはこの十字架上の主のお言葉を繰り返し、説教したのでありましょう(照Ⅰペテロ5・12、Ⅱペテロ3・18)。

「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ/わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」との言葉は、メシア詩篇22・1そのまゝの句です。この詩篇は前半の深い嘆きと後半の讃美と感謝からなっています。その詩篇の冒頭の一句をもって、主イエスは22篇全体を表現されたと理解する方々もいます。しかし、十二時から三時まで全地が暗くなったとの言葉は、この主の叫びが、文字どおり神の見えない、低く、暗い、深淵より発せられたことを暗示しています。主イエスはこの霊的苦悩の恐ろしさを知っておられたゆえに「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのまゝをなさってください」(14・36/照ヨハネ18・11)と祈られたのです。

なぜ「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」(1・11)と言われた御父が、その御子をお見捨てになったのでしょうか。聖書は全体として次のように記しています。アダムの罪が神と人との間を引き裂き、神と人との交流は断たれました。神でありながら人となった主キリストは、神に背いた私たち人類の罪を、自分から被り、神と人との交わりを回復するために十字架に死なれました、このキリストの打ち傷のゆえに、私たちはいやされたのです。罪が赦され、義とされ、神の子どもとされたのです(照Ⅰペテロ2・24)。このことを示すかのように、十字架の上で、イエスが息を引き取られた時、神と人とを隔てていた「神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた」(38/照へブル10・20)。神は、私の罪を被った神の子キリストを、十字架上に徹底的に見捨てることによって、私たちを拾われるのです。お見捨てならないのです(考 哀歌5・19~22)。

「イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『この方はまことに神の子であった』と言った」(39)。多くの人々が、十字架上のキリストを嘲笑する(照29、31、32)とき、百人隊長は「この方はまことに神の子であった」と告白しました(考イザヤ53章)。

罪を犯したアダムに、神は「あなたはどこにいるのか」と呼びかけられています(創世記3・9)。あなたは十字架上のキリストを、どこにいて見ていますか(照レンブラント「三本の十字架」)。十字架上のキリストのお声を聞いていますか。百人隊長のように、十字架上の「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」の主の叫びにこそ「神の子イエス・キリストの福音」を聞き、「この方はまことに神の子である」と信仰を言い表わす人とされますように。




ここにはおられません

2010年04月04日 | 説教要旨・受難と復活





マルコ16・1~8/イースター礼拝/聖餐式

イエスは安息日の前日、午前九時に十字架につけられた。十二時に全地は暗くなった。三時に息を引き取られたイエスを、アリマタヤのヨセフは夕方になって墓に葬った(15・24~47)。日没と同時に安息日が始まった。そして「安息日が終った」「週の初めの日の早朝」(16・1~2)、墓に行った三人の女性に若者(御使い)が「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません」と告げた。マルコは十字架と埋葬と空虚な墓に関する時間を克明に記すことによって、イエス・キリストの死と復活が歴史的事実であることを伝えているのです。

岩に掘った墓にイエスは埋葬され、入口には石が転がされた。その場所を見つめていた女性たち(15・46~47)は、この朝「あの石を転がしてくれる人がいるでしょうか」と案じながら、墓に着いた。愛する者との間を引き裂く死、それを象徴する墓石の前に佇んで、人はこの三人の女性と同じく俯いて嘆き悲しむばかりです。生と死、此岸と彼岸を隔てる「墓の入口のあの大きな石」は、人間がどうすることもできない死の力を象徴しています。

「ところが、目を上げて見ると(照 詩篇121・1~2)、あれほど大きな石だったのに、その石がすでに転がしてあった」。「あの大きな石」が象徴した死は、「十字架につけられたナザレ人イエス」が、(神により)「よみがえらされた」ことによって「取り除けられた」(考 ヨハネ11・39)のです。弟子たちが、イスラエルを贖ってくださると望みをかけていたイエスが、十字架に懸けられ、神に呪われ、見捨てられ、死に(照 ルカ24・19~20/ガラテヤ3・13)、墓に葬られた悲劇が、この朝、神によってひっくり返されたのです。人が十字架につけて殺したイエスを、神はよみがえらせたのです(照 使徒2・23~32)。

墓の中に入った女性たちに、青年は「あの方はよみがえられました。ここにはおられません」と告げ、イエスが葬られた所を見なさい、と言います。主イエスのいない空虚な墓を見るとは「主イエスは私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるためによみがえられた」(ローマ4・25)ことを知ること、信じることです。その時「一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた」(へブル2・15)私たちは「死は勝利にのまれた」こと、「神は私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださっている」(Ⅰコリント15・54~57)ことを知り、救われ、永遠のいのち、復活の希望に生きる者となるのです。

「ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり(照14・27~31)、そこでお会いできます』と言いなさい」。復活された主イエス・キリストは、神の国の福音を宣べ伝えた所(照1・14~15)、また弟子たちの日常の生活の場であったガリラヤで、ご自身を見捨てた弟子たち、三度もご自身を否認したペテロに会うことを約束し、招いて下さるお方です。苦しみや悲しみに満ち、罪と死に脅かされる日常生活の中で、今も、復活の主は私たちに会ってくださるのです!




この方は本当に神の子であった

2010年03月28日 | 説教要旨・受難と復活
マルコ15・22~41/受難週主日

「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」(1・1)と書き出されたマルコの福音書は、イエスの最後の一日を記す15章において、その頂点に達する。15章は使徒信条の四つの証言にまとめられる。「我らの主、イエス・キリスト」は「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け(1~20)、十字架につけられ(21~32)、死にて(33~41)、葬られた(42~47)」。そして、福音の決定的な核心であるイエスの十字架は、淡々と短く(ギリシャ語では2語)「彼らはイエスを十字架につけた」と記される。

オリーブ山で「アバ、父よ・・・・・・この杯をわたしから取りのけてください・・・・・・」と「深く恐れもだえ」祈られたイエスは、ユダの裏切りにより、祭司長、律法学者、長老たちから差し向けられた群衆によって捕らえられた。ユダヤ当局はイエスを死刑にするために、その夜のうちに全議会を開いた。沈黙しているイエス(考/8・31、9・31、10・32~34)に「お前はほむべき方の子、キリストなのか」と尋ねた。するとイエスは「わたしはそれです」と答えられた。議会はイエスを死刑にすべしと決議した(14章)。

夜が明けるとユダヤ議会は「イエスを縛り連れ出し、ピラトに引き渡した」。死刑の権限を持つローマ総督として、イエスを審問したピラトは、イエスが何もお答えにならないことに驚いた。群衆の声に怯えたピラトは「イエスを笞打ち、十字架につけるように引き渡した」。兵士たちは・・・・・・イエスに紫の衣を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、葦の棒でイエスの頭を叩き、唾を吐きかけ・・・・・・侮辱した。そしてイエスをゴルゴタへと連れて行った。そこで「彼らはイエスを十字架につけた」。午前9時であった。道行く人々も、祭司長、律法学者たちも、イエスの左右に磔にされた強盗たちまでも、十字架から降りない神の子イエス・キリストをののしり、嘲った。

昼12時、全地が暗くなり、3時に及んだ。神の子キリストの十字架の死に空も暗くなった。「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マルコの記す唯一の十字架上の言葉)と叫ばれたイエスは「大声をあげて息を引き取られた」(照「完了した」ヨハネ19・30/「父よ、わが霊を御手に委ねます」ルカ23・46)。「すると、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた」。裂かれた神殿の幕は、真の神殿(29)であるイエスの十字架の死によって、神に至る道が開かれたことを示している。今や終りの時、新しい時代が到来したのである(へブル1・1~2)。

罪なき神の子(考マタイ3・13~15、ピラト他の証言)が、父なる神に見捨てられ、十字架に死なれたのは、自分のいのちを私たちの身代金として与えるためであった(10・45)。そのことをパウロは「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは私たちが、この方にあって、神の義となるためです」(Ⅱコリント5・21)と記している。

「イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『この方はまことに神の子であった』と言った」。彼は十字架に懸けられ、死なれた方を、正面に立って、仰ぎ見、「神の子イエス・キリスト」であると信じ、告白し、救われた最初の人である。





復活の主は……

2009年04月12日 | 説教要旨・受難と復活
Ⅰコリント15・1~8/イースター礼拝

福音(ゴスペル)とは「良い音信(グッド・スペル)」、さらには「神の音信(ゴッド・スペル)」に由来する言葉である。それゆえ、キリストの福音とは「キリストによる神からの良い知らせ」ということになろう。そしてパウロが最も大切なこととして告げ知らせたことは、「キリストは旧約聖書に書かれてあるとおりに、私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、三日目によみがえられたこと」であった。そして誰でも、キリストが私たちの罪の赦しのために十字架に死に、私たちを義とするために復活されたことを信じ、しっかりと保っていれば「この福音によって救われる」ということであった。アブラハムがイサクを献げたこと(創世記22章)やヨナの物語(照マタイ12・40)は、イエス・キリストの死と葬りと復活を明白に預言していると言えよう。

イエス・キリストの復活に関する記事を読むとき、驚くことがある。「週の初めの日の朝早くによみがえったイエスは、まずマグダラのマリヤにご自分を現された」。かつて七つの悪霊を追い出していただいたマリヤに、復活の主は先ず現れて下さった(マルコ16・9)。マリヤは「私は(復活の)主にお目にかかりました」、喜んで弟子たちに告げた(ヨハネ21・18)。

復活の主は「ケパに現れた」。主が復活された夕方、十一弟子と仲間がエルサレムに集まり「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現された」と言っていた(ルカ24・34)。十字架の前夜、主がシモンに、あなたの信仰はサタンによりふるいにかけられると言われた(ルカ22・31~34)とおり、ペテロは三度主を否認してしまった(ルカ22・54~62)。そのペテロに、よみがえられたその日、他の弟子に先んじて復活の主は現れて下さったのである。

復活の主は「ヤコブに現れた」。主イエスの弟ヤコブ(マルコ6・3)は初めはイエスに対し懐疑的であった(マルコ3・21)。しかし、復活の主に出会ったヤコブは、復活の40日後、キリストが昇天されるときはエルサレムの信徒の一員となっていた(使徒1・14)。

復活の主は「パウロにも現れた」。初めパウロは教会を迫害し、ステパノの死に関わった(使徒7・58、8・1~3)。迫害の手をダマスコまでも伸ばしたパウロに復活の主が現われた。パウロは復活の主を見た(使徒9・1~5、Ⅰコリント9・1)。三年後、エルサレムに行ったパウロはペテロとヤコブにのみ会ったと記している(ガラテヤ1・18~19)。彼らは復活の主が彼らに現れてくださったことを語り、キリストの死と復活による福音を互いに確認したのである。

復活の記事の中に個人名の挙げられているマグダラのマリヤ、ケパ、ヤコブ、パウロの四人は、それぞれ心に痛みを持つ人々であった。復活された主は、誰よりも先にそうした人々に現れてくださり、失敗や弱さ、間違いを赦し、その痛みや傷をいやし、回復し、福音にふさわしく生きるよう招いてくださっている。今日も、復活の主は自分の罪、弱さに涙し、苦しむ人々に現れてくださるのです。あなたも復活の主にお目にかかり、「キリストとその復活の力を知り」、復活の主と共に生きる者となられますように。