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香柏だより

福岡市東区の香椎バプテスト教会です。
聖書の言葉には、ひとを生かす力があります。
礼拝では手話通訳もあります。

復活

2008年11月16日 | 説教要旨・イエスの生涯
マルコ16・1~8/イエスの生涯(30)

ピリポ・カイザリアの地で、初めてご自分のエルサレムにおける受難と三日目の復活を予告された(マコ8・31~33)主は、十字架の上に人間を救う御業を完成された。アリマタヤのヨセフは許可を得て「イエスを取り降ろして亜麻布で包み、岩に掘って造った墓に納め、墓の入口には石をころがしかけた」(15・46)。それは「安息日の前日(金曜日)」の「すっかり夕方になった」(15・42)日没直前の頃であった。イエスの遺体(なきがら)の「納められた所を良く見ていた」(15・47)女性たちは「安息日(土曜日)が終わったので、イエスに塗る香料を買った」。そして「週の初めの日(日曜日)の早朝」「墓の入口のあの石をころがしてくれる人がいるでしょうか」と案じながら墓へと急いだ。そして「日が上(のぼ)ったとき、墓に着いた」彼女たちが「目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石はすでにころがしてあった」。それで女性たちが墓の中にはいると、「真白な長い衣をまとった青年(天使/マタ28・2~3)」がいた。驚く女性たちに、青年は「あなた方は十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です」とイエスの復活を告げ、「ですから行ってお弟子たちとペテロに『イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます』と伝えなさい」と告げた。

それより三年後(33年頃)十字架に懸けられて死んだイエスは復活したと宣べ伝え、神キリストであると信じるクリスチャンたちを迫害し、ダマスコまでも出かけたパウロは、そこで復活の主イエスの顕現に会い、劇的な回心をし、キリストにより福音の宣教者とされた(使徒9章)。当代随一のギリシャ文化の町、キリキアのタルソ出身の、知性と学識に富み、熱心なパリサイ人でキリスト教の迫害者パウロの回心と福音宣教の人生は、この復活のキリストとの出会いが歴史的事実であることなしには説明できない。それより20余年後(55年頃)パウロはコリント教会宛に手紙を書き送り、その15章に「キリストは聖書の示すとおりに、私たちのために死なれたこと、また葬られたこと、また聖書に従って三日目によみがえられたこと」(15・3~4)こそ、私たちが救われる福音の核心であると記している。端的に言えば、復活がなければ十字架はその意味を失うのです。それゆえパウロは「もしキリストが甦らなかったら、あなたがたの信仰は空(むな)しく、今もなお、自分の罪の中にいるのです」(15・17)と言うのです。

しかし、事実キリストは甦り、シモン(・ペテロ=ケパ)にお姿を現わされ、十二弟子に、五百人以上の人々に現われて下さった(ルカ24・24、Ⅰコリ15・5~6)。この人々は約束のようにガリラヤで復活の主イエスにお会いした(照マタ28・16)。ガリラヤは主イエスが「神の国の福音を宣べ」始められた所であった(マコ1・14~15)。またイエスの生前、キリストを信じていなかったヤコブ(イエスの弟)とパウロは、復活した主イエスに出会ってイエスはキリストであると信じた(Ⅰコリ15・7~8/考ガラ1・18~19=使徒9・26~27)。そして、福音のために生きた。主イエスの十字架により救われた私たちも、復活の主と共に堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みましょう(Ⅰコリ15・58)。

埋葬

2008年11月09日 | 説教要旨・イエスの生涯
マルコ15・42~47/イエスの生涯(29)

イエスが三十年余の生涯と十字架を通して人類を救う御業を「完了し」「父よ、わが霊を御手にゆだねます」と言って息を引き取られたのは「安息日の前日」現在の金曜日の午後三時過ぎであった(照ルカ23・44)。太陽は西に傾き「すっかり夕方になっていた」。間もなく日没と同時(とも)に過越祭の第一日目という特別な安息日(照ヨハ19・31)が始まろうとしていた。またモーセの律法によれば、木に懸けられた者は、神に呪われた者であるから、その日のうちに埋葬しなければならなかった(申21・22~23)。

ユダヤの町アリマタヤの出身の金持ちで、神の国を待ち望んでいた善良な正しい人で、またユダヤ議会(サンヘドリン)の有力な議員であり、同僚議員の計画や行動には同意しなかったヨセフは、イエスの弟子になっていたが、ユダヤ人たちを怖れて、そのことを隠していた。そのヨセフが「思い切って」(「勇気を出して」(共)、「臆することなく」(塚本))ピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。ピラトはイエスがもう死んだのかと訝(いぶか)り、百人隊長を呼び寄せ、確かめた上で、遺体をヨセフに下げ渡した。そこでヨセフはイエスを十字架から取り降ろして、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、遺体に香料を添えて、買ってきたきれいな亜麻布に包んだ。ゴルゴタの丘には墓地・園があった。アリマタヤの出身であったヨセフは、神の都エルサレムのこの園に、最近、墓を求めたばかりであった。ヨセフはまだ誰も葬られたことのない自分の墓の中に、イエスの遺体を納め、墓の入口には大きな石を転がしかけて帰った(図イエス時代の墓)。

アリマタヤのヨセフがイエスを埋葬したということは四福音書すべてに記録されている(マコ15・42~47、マタ27・57~61、ルカ23・50~56、ヨハ19・38~42)。このことは、私たちの罪を赦し、救うというキリストの福音にとって埋葬は欠かすことのできない事柄であり(照Ⅰコリ15・1~4、使徒13・29)、ヨセフの行なったことは「世界中のどこででも福音が宣べ伝えられる所では・・・・・・記念として語られる」(照 ベタニヤで香油を注がれる マコ14・9)べき、神キリストの御心にかなった、信仰による行為であったことを物語っている。それゆえ私たちは「主は・・・・・・ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり・・・・・・」(使徒信条)と告白するのです。

ヨセフは十字架の下に立ち、十字架上の主イエスを仰ぎ、そこより語られた七言を聞いた。枕するところもない日々を生きられたイエスは、救いの御業が完成したことに心満ちたり十字架に「頭をたれて」(「枕されて」)、息を引き取られた(ルカ9・58、ヨハ19・30)。それを見ていたヨセフは勇気をもってイエスの体を十字架より取り降し、自分の墓をイエスに提供することによってイエスをキリストと信じ従う弟子であることを公然と示し、イエスと運命を共にする者、復活のキリストと共に生きる者となったのである。

私たちも亦、周囲の目を気にし、怖れて、キリストの弟子であることを隠し、福音を語ることを疎(おろそ)かにしてはいないだろうか。ヨセフのように十字架のイエスの許に立ち、旗幟を鮮明にし、復活の主イエスと共に生きるキリスト者でありたいと切に祈り願う。

十字架上の七言

2008年11月02日 | 説教要旨・イエスの生涯
ルカ23・32~49/イエスの生涯(28)/聖餐式

ユダヤ人の告訴を受け、イエスを尋問したローマ法廷・総督ピラトは「この人には何の罪も見つからない。死罪に当たることは何一つしていない」(4、14、23)と判定したが、人々の脅かしの声(ヨハ19・12)に屈し「イエスを彼らに引き渡した」(25)。「彼らはイエスを引いて」行った。「『どくろ』と呼ばれる所に来ると、そこで彼らはイエスと犯罪人とを十字架につけた」。その十字架上で、主イエスは七つの言葉を語られた。「イエスの生涯」の核心である十字架上で、罪なき神の子・主イエスが発せられた七言はキリスト教とは何かを適切に語っている。

1.「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23・34)。十字架上につけられた主イエスは神を信頼し、「父よ」と呼びかけ、「彼ら」、直接ご自身を十字架につけた人々、延(ひい)ては神に敵対している全人類の罪のために「お赦しください」と執りなされます。神のキリストを十字架につける罪の恐ろしさを「わからない」人々のために、彼らの罪の赦しを祈られたのです。

2.「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしと共にパラダイスにいます」。十字架に懸けられ、初めイエスを嘲っていた強盗が、主のお姿や第一言に触れ、「イエスさま、あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください」と願ったことへのこの第二言は、どんなに罪深い者でも、その罪を悔い、十字架のナザレ人イエスを神の子救主(キリスト)と信じるなら救われ、死後も神の国でイエス・キリストと共に祝福に与ることを約束しています。

3.「女の方、そこにあなたの息子がいます。・・・・・・そこにあなたの母がいます」(ヨハ19・26~27)。「定めの時が来て・・・・・・女から生まれた者、律法の下にある者」(ガラ4・4)として人の子は、母を敬い、十字架上で」苦しみながら母を案じ、弟子に託されたのです。

4.「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタ27・46、マコ15・34/詩22・1)。この叫びは、私たちの罪を負い、十字架につけられた神の独子を、父がお見捨てになったことを示している。

5.「わたしは渇く」(ヨハ19.28)。この第五言は、父なる神が備えられた苦い杯(十字架)を最後の一滴まで飲み干し、耐え難い傷みに嘖まれている主の苦痛を物語っている。

6.「完了した」(ヨハ19・30)。この第六言は罪に堕ちた人間を救おうという神の御業が、十字架の苦しみを通して完成し、神の恵みのゆえに、信仰による救いの道が開かれたことの勝利の宣言です

7.「父よ、わが霊を御手にゆだねます」。私たちの身代わりになり、十字架の上で救いの御業を完成された主は、平安のうちに父の御許に帰り、また私たちをも全能の愛なる神の手に委ねられるのです。

十字架上のイエス・キリストを仰ぎ見、十字架より語られた主の七つの言葉を聞きつつ、恵みの救いを感謝し、新たな献身の思いをもって、十字架上に裂かれた主のからだを表わすパンと、流された血を象徴する杯に与りましょう。

議会とピラトの前で

2008年10月19日 | 説教要旨・イエスの生涯
ルカ22・54~23・25/イエスの生涯(27)

オリーブ山の麓、ゲッセマネの夜陰の中で、ユダに裏切られ、弟子たちに捨てられたイエスは「祭司長、宮の守衛長、長老たち」の手・「暗闇の力」により捕えられ、シオン門の南、中央の谷(チュロペオン)に面した所にあった大祭司の家に連れて来られ(22・47~54)、ユダヤ人の審問をお受けになった(54~71/照マタ16・21)。ルカはそこで先ず、夜の大祭司の館の中庭で火に照らされたペテロに焦点を当てる。三人から「この人は彼らの仲間だ」と言われたペテロは「いや、違う」と三度否定した(「夜の画家」ラ・トゥールの絵)。「主よ、ご一緒なら、牢であろうと死であろうと覚悟はできております」(22・33)と壮語したペテロは、主の予告通り、試みに遭い、鶏が鳴く前に、失敗したのである。そのとき「主は振り向いてペテロを見つめられた」(61)。主のことばを思い出したペテロは外に出て、激しく泣いた。

夜の大祭司の館にひとり残され、目隠しをされたイエスは見張りの人たち・暗闇の力に侮辱され、殴られ、罵(ののし)られた(63~65/照18・32)。イザヤが預言した苦難の僕(53・7)のように、イエスは「罵られても罵り返さず、苦しめられても脅すことをせず、正しく裁かれる方にお任せになられ」、私たちに模範を残された(Ⅰペテ2・21~23)。

夜が明けると民の長老会、祭司長、律法学者たちはイエスを議会(サンヘドリンん)に連行し、「あなたはキリストか」「あなたは神の子か」と尋問した。イエスは①彼らはイエスの言葉を信じない。②ダニ7・13と詩110・1を引用して「人の子は全能の神の右に座る」(共)。③「あなた方の言う通り」と言って、イエスが誰であるかの判断の責任は議会にある、と答えられると人々は激昂した(66~71)。

死刑の権限を有するのはローマであった。そこで全員が立ち上り「イエスをピラトの許に連れて行った」。人々はイエスが神との関係について証言し、自分を「神のキリスト」とされたことを「神への冒涜」「死刑に当る」(照マタ26・63~66)と判断したが、ローマの法廷に訴えるために、政治的な発言へと言い換え、捏(でっ)ち上げた。「この人はわが国民を惑わし、カイザルに税金を納めることを禁じ、自分は王キリストだといっていることがわかった」と(照20・19~26)。ピラトの任務は服(まつろ)わぬ民の地ユダヤを平和に維持することである。その彼がイエスを尋問して得た結論は「この人には何の罪も見つからない。死罪に当ることは何一つしていない。釈放します」(4・14、22/照ローマ法、使徒18・14~16)であった。ユダヤ教徒として過越祭に上京していたガリラヤの領主ヘロデ・アンティパス(考13・31~33)の結論も「同じ」(23・15)であった。しかし人々は「この男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫び、イエスを「十字架につけよ」と大声で要求し続けた。その声と脅かし(照ヨハ19・12)に屈した「ピラトは彼らの要求通りにすることを宣告し・・・・・・イエスを彼らに引渡し好きなようにさせた」(23・1~25)。



※ 本日の要旨には、「結論」は記しておりません。これらの記事を問いかけとして、読者であるおひとりおひとりが、「結論」を応答してくださいますように。

ゲッセマネ

2008年10月12日 | 説教要旨・イエスの生涯
ルカ22・39~46/イエスの生涯(26)

エルサレムでの十字架の死、「わたしの時」がきたことを知られたイエスは、ご自分こそ過越の子羊であることを示すかのように「過越が神の国において成就するまでは、わたしはもはや二度と過越の食事をすることはありません」(16)と語り、「最後の晩餐」の食卓を「わたしの食卓」(30、14・15)とし、「主の晩餐=聖餐式」を制定されました(14~20)。「それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ……いつもの場所(「ゲッセマネ」オリーブの「油しぼり」の意)に来られた」(39~40照マタ26・30)。

その場所で、主イエスは弟子たちに「誘惑に陥らないよう祈っていなさい」と命じ、ご自分は石を投げて届くほどの所で、ひざまずいてこう祈られた。「父よ。御心ならば、この杯をわたしから取りのけて下さい。しかし、わたしの願いではなく、御心のとおりにして下さい」。

この主のゲッセマネの祈りは二つの裏切りの記事に挟まれている。前はペテロの否認(31~34)、後ろはユダの裏切り(47~48)である。不信と背信のなかで、主はひとり祈られたのである。「誘惑に陥らないよう(目を覚まして)祈りなさい」(40、46)と言われたにも拘らず、弟子たちは「悲しみの果てに眠り込んでしまった」(45、マタイ・マルコでは三度も!)。これらのことは主イエスの十字架の死、私たちの罪を赦す救いの御業は、ただ主ひとりが行って下さったことであり、だれも手助けはしない、できないことであったことを物語っている。ただ「天から御使いが現われて、イエスを力づけた」(43/照マタ4・11)。

さらに祈り(42)の後半「わたしの願望ではなく、そうでなくてあなたのものが、実現するようにして下さい」(左近直訳)は、主イエスが強く意識して来られた十字架は単なる自己実現のためでなく、自分を捨て、御父の御意思を実現することであったことを示している。

そのため主イエスは激しい心の痛みに苦しみ悶えて(照Ⅰコリ9・25)、いよいよ切に祈られ「汗が血の滴(したた)りのようにポタポタ地に落ちた」(44/塚本)。主イエスのゲッセマネでの苦悶の祈りは前半が聞き届けられないこと、即ち、御父とひとつである御子(ヨハ10・30)が「見捨てられる」(マタ27・46、マコ15・34)ことに因(よ)った。ゲッセマネの暗闇の中で、主は「神の蝕」「神の沈黙」という暗く深い淵で魂の苦闘をされたのです。

御父の御心を全身全霊をもって受けとめ、受け容れることによって、この苦しい闘いに勝利された主「イエスは祈り終わって立ち上がられ」ます。「我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ」と祈る私たちも亦、神の見えない夜、祈り叫んでも沈黙される神を経験します。その時、このゲッセマネの主イエスとその祈りを思い、「私の願いではなく、みこころのとおりにしてください」と祈ることができますように。主よ。どうか私を守り助けたまえ。

最後の晩餐

2008年10月05日 | 説教要旨・イエスの生涯
マタイ26・17~30/聖餐式/イエスの生涯(25)

イスラエルの北端ピリポ・カイザリアから南下し、エルサレムに入城されたイエスは、八日間続く種なしパンの祝い=過越祭の初日、弟子たちから「(エルサレム市内でする)過越の食事をどこに用意しましょうか」と訊かれると、「都のこれこれの人の所に行って、先生が『わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする』と言いなさい」と言われた。言われた通り弟子たちは過越の食事の用意をした。「(神の)時が満ちて」(ガラ4・4)世に遣わされた御子イエスは、「わたしの時」即ち十字架の時を深く意識しつつエルサレムに来られ、「過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られた」(ヨハ13・1)。この世(エジプト)の奴隷からの解放とイスラエル民族の誕生を祝う過越祭に重ねて、イエスは最後の晩餐となった過越の食事の席で、ご自分が神の定めに従い「聖い、生きた供え物」(ロマ12・1)として十字架に死ぬことの意味をお語りになりました。

過越の食事では四杯の葡萄酒が飲まれます。最初の杯の後、塩水に苦菜を浸し食べます。次に種入れぬパンを裂き、第二の杯を飲み、パンを食べます。主料理(メーン・コース)の子羊が食された後に、第三の杯を干し、讃美(ハレル)を歌い四杯目を飲みます。「彼らが(過越の)食事をしている時」第二の杯の後、イエスはその食卓の主催者として「パンを取り、祝福して後これを裂き、弟子たちに与え『取って食べなさい。これはわたしの体です』と言われた」。また主料理(メーン・コース)の子羊を食した後「杯を取り、感謝を捧げて後、『皆、この杯から飲みなさい。これはわたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです』と言われ、主の晩餐を制定されました(照Ⅰコリ11・23~25)。

最後の晩餐の席上、過越の食事をしている時、イエスが『あなたがたのうちのひとりがわたしを裏切ります』と言われると、弟子たちは非常に悲しんで、ひとりひとり「主よ、まさか私のことではないでしょう」と言った。そのような弟子たちに主は「パンを受け取り、食べよ」「杯を受け取り、飲め」と命じられる。そして「これは罪が赦されるため、多くの人のために流される、契約のわたしの血です」と言われた。主イエスの十字架の死は、多くの人の罪を赦すためです。罪を赦していただきたいと願う人は、主が十字架にその体を裂き、流して下さった血を「受け取り、飲む」ことです。そうすればあなたの罪は赦され、最早、あなたは神の裁きに遭うことはありません。それが主の契約、新しい契約です。その時、あなたは永遠のいのち・神のいのちを受け、罪の奴隷から解放され、神の子どもとされ、神を喜び、感謝して生きる者とされ、再び来たりたもう主イエスを待ち望む者、救主イエスに相見える希望に生きる者とされるのです(Ⅱコリ11・26)。

最後の晩餐、いえ最初の主の晩餐に与った弟子たちは「讃美の歌を歌ってから、皆オリーブ山に出かけて行った」。彼らは主の十字架の死によって罪を赦され、神の裁きから逃れる道が備えられたことを知ったのです。


★最後の晩餐を教会フォトでもご覧ください。




エルサレム入城

2008年09月28日 | 説教要旨・イエスの生涯
マタイ21・1~11/イエスの生涯(24)

ピリポ・カイザリア地方で「あなたは生ける神の御子キリストです」との信仰告白を聞かれた「イエス・キリストはご自分がエルサレムに行って・・・・・・多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目に甦えらなければならないことを弟子たちに示し始められた」(16・13~21)。そこより反転し、ガリラヤ(17・22)、そしてヨルダン川の東を通ってユダヤ(19・1)へと南下されたイエスは、弟子たちに十字架の待つ「エルサレムに行きます」と語り(20・18)、エリコを通り(20・29)、荒野の急坂を登り、一行は「エルサレムに近づき、オリーブ山の麓のベテパゲまで来た」。

その時イエスは二人の弟子に「向こうの村に行き、つながれた親ろばと共にいる子ろばをわたしの所に引いて来なさい。何か訊かれたら『主がお入用なのです』と言えば、すぐに渡してくれるから」(考ヨハ12・1~2)と言って遣わされた。そこで二人が行って子ろばを引いて来て、その背に自分たちの上着を掛けると、イエスはそれに乗られた。大勢の群集も上着や木の枝(ヨハ12・13は「棕櫚(しゅろ)」→「戦捷木(せんしょうぼく)」)を道に敷き「ダビデの子にホサナ・・・・・・」と叫び、イエスを凱旋する王として歓迎した。

マタイはこのイエスのエルサレム入城を預言の成就であると記す。「見よ。あなたの王があなたの所に来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも雌ろばの子の子ろばに。・・・・・・この方は諸国の民に平和を告げ、・・・・・・その支配は地の果てに至る。・・・・・・あなたとの契約の血によって、わたしはあなたの捕らわれ人を、水のない穴から解き放つ」(ゼカ9・9~11/照イザ62・10~12)。

主の名によって来られるあなたの王は、軍隊を率い、軍馬に跨り、あなたを奴隷とし、支配し、苦しめ、死を求めるこの世の王とは全く異なっている。ろばの子に乗られたあなたの王は正しい方でありながら、自ら十字架にその体を裂き、その血を流して、罪に勝利し、あなたとの契約を結び、あなたを贖い、あなたを救い、諸国民に神との和解を告げ、平和をもたらされる方である。

これまでのあなたの王・支配者は偽りであることに気付かされ、あなたを愛し、いのちを捨てて、あなたを救って下さるあなたの王、あなたのために十字架につかれたイエス・キリストを、どうかあなたの城(こころ)に迎え入れて下さい。その時、あなたの心は安らぎ、滅びの穴から救い出されたことを知り、平和と喜び、感謝に満たされるでしょう。そして人生の様々な場面で「主がお入用なのです」という言葉を聞くことができるようになるでしょう。〝主よ。どうしてお取りになったのですか〟と尋ねた苦しく悲しい出来事も、主が深い御旨の内にお用い下さっていたこと、そして再び持ち主であるにお返し下さったことをいつか知ることでしょう(照マコ11・3)。

「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に」。

ナルドの香油を注がれる

2008年09月07日 | 説教要旨・イエスの生涯
ヨハネ12・1~8/聖餐式/イエスの生涯(23)

「イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた」。ユダヤ人の三大祭の一つである過越祭(他は仮庵祭、五旬節)は、神がエジプトの奴隷であったイスラエルを解放して下さったことを記念する祭りである。主は民に傷のない一歳の雄羊を屠り、その血を家の門柱と鴨居に塗るように命じた。主は血の塗られた家を通り過ぎられたが、塗られていないエジプト人の家を打たれた。その夜、民は種入れぬパンを食し、出立した(出エ12章)。ヨハネによれば、主は「過越の祭りの前に・・・・・・夕食」即ち最後の晩餐に臨まれた(ヨハ13・1~2)。こうして「世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハ1・29)である主イエスは翌日、過越祭の始まる日没を迎える前に、即ち神殿で過越の羊が屠られる時に、十字架につけられたとヨハネは記している(照19・14/比マタ26・17、マコ14・12、ルカ22・7では最後の晩餐は過越の食事である)。今朝、私たちの「罪を取り除く」ために十字架に体を裂き、血を流された救主イエスを、パンと葡萄酒をもって想起し、記念する「主の晩餐・聖餐式」に招かれている。感謝し、信仰をもって与りたい。

ベタニヤ村の人々はイエスのために晩餐を用意した。「マルタは給仕していた。ラザロはイエスと共に食卓に着いている人々の中に混じっていた」。マルタは最早、苛立ち、呟くことなく、イエスと人々に仕えていた。死から甦えらされたラザロは何も語らず、行なわないが、イエスと共に食卓に着いていた。そのようにしてラザロはイエスの救いを証ししていた。「その時、マリアは純粋で非常に高価なナルドの香油三百グラムを持ってきて、イエスの足に塗り、髪の毛でその足を拭った」。こうしてマリアはイエスへの愛を表わした。「家は香油の香りでいっぱいになった」。

すると、後にイエスを裏切るユダが「なぜ、この香油を三百デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか」と、マリアを咎めた。ユダがこう言ったのは、信頼されて預っていた一行の金入れからくすねていたからである。慈善や正論の裏に、貪欲な人間の罪が潜むことは、この世界、私たちの周囲にも多く見られることではないだろうか。

するとイエスは「貧しい人々はいつも居る(そうした人々に手を開くのは当然である。申15・11)。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない(間もなく十字架の時が来る)。マリアはわたしの葬りの日のためにこうしてくれたのだ」と受け止め、彼女を弁護して下さった。マリアの愛の行為・イエスへの油注ぎは、自分では意識していなかったが「この方こそ救い主(キリスト)である」ことを示し、彼女の思いを越えて、イエスの死を予表していたのである。

この美しい物語はイエスとイエスによって死人の中から甦ったラザロを殺そうとする宗教的、政治的な醜い陰謀と計画に挟まれている(11・53、12・11)。私たちもまた、ユダの正論を声高に叫び、宗教・信仰を笑い、キリスト教を非難する人々の少なくない日本という世界に生きている。その社会で、私が行なうことは決して大きくはない。しかし、主は、レプタ二枚の献げ物も(マコ12・41~44)、ナルドの香油も等しく、主への愛、献身として受け取って下さり、その信仰の行為を「美しいこと(カロス,立派なこと/マタ26・10、マコ14・6)」と見て下さっているのです。何という安らぎでしょう。

こうして神は人々の思惑を越えて、救いの計画を進められる。主イエスは過越しの小羊として、十字架の時へと近づいて行かれる。

カイザルのものはカイザルに、神のものは神に

2008年08月24日 | 説教要旨・イエスの生涯
マルコ12・13~17/イエスの生涯(22)

「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」とのイエスのことばは、キリスト教会二千年の歴史の中で最も議論されてきたことばである。

おそらく主イエスが神殿におられる時(照11・27、13・1)、律法の解釈や政治的立場の異なる「パリサイ人とヘロデ党」の数人が、イエスを「わなに陥れよう」とやって来て、「カイザルに税金(人頭税)を納めることは、律法にかなっているか、否か。納めるべきか、否か」を尋ねた。

ローマ帝国の支配下にあったユダヤ人にとり、カイザルに税金(人頭税)を納めること(考ルカ2・1)は単に皇帝を神格化する政治的・経済的問題(照申17・15)だけでなく、極めて宗教的問題でもあった。それは、その当時デナリ銀貨の表には皇帝ティベリウス(後14~37)像が刻まれ「アウグストゥスの子、神なる皇帝ティベリウス」、裏にはナツメヤシと王杖を持つ母リヴィアの像と「大祭司」の文字が刻まれていた。デナリ貨幣は、ただの貨幣であるだけでなく宗教的な主張を持っていたのである(考・宮潔め 11・15~19)。

ヘロデ党・サドカイ派はローマへの納税は認めたが、パリサイ派は反対した。特に、熱心党(ガリラヤに多かった)はカイザルの肖像の刻まれたデナリ貨幣で納税することは第二戒(出エ20・4)に違反し、イスラエルの支配者、王なる神への反逆であると激しく反対し、後6年、反乱を起こした(照・使徒5・37)。こうした背景の中で、ローマへの納税に賛成すれば国民感情に反し、民衆の支持を失うだろうし、反対すればローマへの反逆罪に問われることになるのは必定であった。

前に、納める義務のない神殿税を正しくふさわしいこととして納められた主イエス(マタ17・24~・27/考マタ4・15)は彼らのたくらみ・偽装を見抜き、デナリ銀貨を持って来させ、カイザルの肖像と銘を見せて、「カイザルのものはカイザルに返しなさい」とローマ皇帝への納税を認められ、同時に「神のものは神に返しなさい」と語ることによって、地上の権威の及ばない神に属する別の世界があることを明言されます(照ヨハ18・36、使徒17・7)。政教分離の原則はここに根拠を持つのです。新約聖書は、天に国籍を持つ私たちクリスチャンは、地上の国家の一員として、神の立てた秩序と権威を畏れ、誠実に生きることを教えています(照ロマ13・1~7、Ⅰテモ2・1~2)。

「神のもの」とは何なのか。人間は神の像(かたち)に従って創造された(創1・26~27)。神の像が刻まれた人間こそ神のものであり、その神の像を再び回復された者、クリスチャンとして、自分自身を、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物として献げることこそ、神に返すことです(ロマ12・1)。

それではだれが救われるか

2008年08月03日 | 説教要旨・イエスの生涯
マルコ10・17~27/聖餐式/イエスの生涯(21)

イスラエルの北辺ピリポ・カイザリアで「あなたはキリストです」との弟子たちの信仰告白を受け、主は受難と復活を予告され、「自分を捨て、十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」と人々を招き(8・22~37)、一転ガリラヤへと戻られました。そしていよいよ「イエスが(エルサレムへの)旅に出ようとされるとき」(共)きょうの出来事があった。その時「イエスはエルサレムに行こうとして、御顔をまっすぐ向けられ」「先頭に立って歩いて行かれた。弟子たちは驚き、また後について行く者たちは恐れを覚えた」(ルカ9・51、マコ10・32)。

「ひとりの人が走り寄って、御前にひざまずいて尋ねた『尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいのでしょうか』と。この人は青年で(マタ19・22)、役人(議員(共)/ルカ18・18)で「多くの財産を持っていた」。また彼は「小さい時から十戒・律法を全部守っている」というほど善良な、宗教的な人でした(比パウロ/ピリ・4~6)。人も羨むばかりの、だれもがそうなりたいようなこの人が衆人環視の中で、勇気をもって(比ニコデモ/ヨハ3・1~2)、この機会を逸してはならずと「走り寄って」、謙虚に「ひざまずき」、正直に「永遠のいのちを受けるには何をしたらいいか」とイエスに尋ねたのです。人間的には最優等生、律法の義についてならば非難されるところのない者と自負していた彼でしたが、内に起こる不安、永遠への問いを解決することはできなかったのです。「神により永遠への思いを与えられた」(伝道3・12)「人間はその創造者なる神に帰るまで、平安はない」(アウガスチヌス)のです。

その彼を「イエスは見つめ、いつくしんで『あなたには欠けたことが一つある』」と厳しく仰言った。富も善行も全て完全です。あと何をしたら・・・・・・と言う彼に、イエスは彼を愛するが故に、彼に根本的な間違いを指摘された。それは彼の持っているもの(富・善行=彼の義)を捨てることです。そして「律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義・・・・・・神から与えられる義」(ピリ・3・9/照ルカ18・9~14)こそ、永遠のいのち、救いを得る道です。このことが弟子たちとの対話で教えられます。

ユダヤ人にとり財産、長寿、子孫の繁栄は神の祝福のしるしでした(照ヨブ42・12~17)。だから主が「裕福な者が神の国にはいることは、駱駝が針の穴を通るよりも難しい」と言われると、弟子たちは非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。イエスは弟子たちを「見つめて」言われた。「それは人にはできないが、神にはそうではない。神にはどんなことでもできる」と。永遠のいのち、神の国は、人間が自分で持っているものに依って獲得し、入ることのできるようなものではないのです。それは行いによる自分の義を放棄し、キリストを信じる信仰による義によって善き方である神から与えられるものなのです。そのとき、人は初めて自分とその所有から解放され「自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてイエスに従える」のです(21、8・34)。

「悲しみながら立ち去った」富める若人、「それではだれが救われるのか」と驚き、恐れた弟子たちを「見つめ、いつくしまれた」人となった神イエスは、十字架につき、人にはできない永遠のいのちと救いをそうした彼ら、また私たちに与えて下さるのです。この恵みの救いに感謝し、この恵みに応える生き方をして、神の栄光を現わすものとされましょう(エペ2・8~10)。

あなたはキリストです

2008年07月27日 | 説教要旨・イエスの生涯
マタイ16・13~20/イエスの生涯(20)

マタイはイエスの公生涯の前半、ガリラヤ伝道(4・12~16・20)において 〝イエスは何者か〟 を問いかけてきた(照8・27、11・3他)。その終りにイエスはわざわざ弟子たちを連れてガリラヤからピリポ・カイザリアの地方へ行かれた。ヘルモン山麓イスラエルの北辺ダン(照Ⅱサム3・10他)の近くにある皇帝と偶像の支配するピリポのカイザリアはヨルダン川の源流の一つが湧出する所である。父ヘロデ大王の建設した海辺のカイザリアと区別するためその息子、トランス・ヨルダンの領主ピリポが建てたのでそう呼ばれた(現在名バニアス←パニアス=パンの神を祭った泉水洞/バアル・ガド(ヨシュア11・17))。

その所でイエスは弟子たちに「あなたがたはわたしを何者だと言うか」と問われた。主は今朝、同じことを私たちにも問うておられる。人々はイエスを「バプテスマのヨハネ、エリヤ、エレミヤ、預言者のひとり」と言っていた。その中で弟子たちを代表してシモン・ペテロは「あなたは生ける神の御子キリストです」と告白した。人々は自分の思索や経験に基づいて、自分の期待するキリスト像を作り出した。しかし、ペテロがイエスを「神の子キリスト」と告白したのは人間によることではなく、天の父なる神の啓示によったのである。

イエスの真の姿を認めたペテロに、イエスは「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」と言われた。教会が建つ岩とは無条件に肯定されるペテロ個人(ロマ・カトリック)でもなく、単にペテロの信仰のみに限定されたもの(宗教改革者)でもない。この直後、イエスがエルサレムでの受難を予告されると、自分の考えている伝統的メシア像と大きく違っていたためペテロはそれを受け入れられず、何とイエスを諫め始めた。そのペテロをイエスは「下がれ、サタン。わたしの邪魔をするもの」(照4・10)と叱責された。彼は亦、三度も主を知らないと言った(26・69~75)。ルカはこのようなペテロにイエスが語られた言葉を書き残している(22・31~32)。主がペテロにご自分の教会を「この岩」の上に建てる、と仰言ったのは、、神・聖霊によってイエスをキリストと告白し、主の祈りに支えられたペテロ、弟子たち、キリスト者である。そのことをパウロは「あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です」(エペ2・20)と記し、ルターはこの岩とは主イエスご自身であるとはっきり述べたのです。

このことは「わたしはあなたに天の御国の鍵を上げます・・・・・・」との言葉からも明らかです。天国の門を開閉できるのは主イエスのみです(黙示3・7~8)。人となられた御子は十字架と復活により、イエスをキリストと信じる人に天の門を開き、御国に救い入れて下さいます。その御国の福音、天国の鍵を、主は「この岩」の上に建てられた「わたしの教会」「あなたがた」に授けられたのです(照18・18)。「ハデスの門、陰府の力」も打ち勝つことのできないキリストの教会、主の祈りに支えられた教会は天国の鍵を授けられたものとして、キリストの十字架の死と三日目の復活による恵みの福音(照Ⅰコリ15・1~5)を人々に伝えていくのです。

誰が隣人になったか

2008年07月13日 | 説教要旨・イエスの生涯
ルカ10・25~37/H姉バプテスマ式/イエスの生涯(19)

主イエスによって二人一組で伝道に派遣された72人の弟子たちが帰って来て、悪霊でさえ私たちに屈服した、と誇らし気に報告した。それに対しイエスは「(そうしたことよりも)あなたがたの名が天に書き記されていることを喜べ」(照黙示20・15)と諭され、神の国の秘密、父と子の関係を学問のない、幼子のような弟子たちに示して下さったことを喜ばれた(10・1~24)。すると律法の専門家が、イエスを試そうとして「先生。何をしたら永遠のいのちを嗣ぐことができますか」と質問した。彼は聖書の中で最も大切な根本的なこの問いをもって、「イエスを試した」のです。即ち、前の話しを聞き、イエスの口から、永遠のいのちを嗣ぐためには律法は不要と言わせようとしたのです。イエスはその魂胆を見抜いて逆に律法の専門家に「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」、即ちあなたの律法解釈、聖書理解はいかにと問い返されました。律法の専門家の彼が申6・5とレビ19・18をもって答えますと、イエスは「答えは正しい(照マタ19・16~19)。それを実行しなさい。そうすれば永遠のいのちを嗣げる」と言われた。かつては律法による義については非難される所がないと自負していたパウロ(ピリ3・6)は、したい善・律法を行なわず、したくない悪を行なっている惨めな自分に気付き(ロマ7・28)、「律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められない。律法によってはかえって罪の意識が生じる」(ロマ3・20)ことを知り、「罪から来る報酬は死です」(ロマ6・23)と告白し、人間はただキリストのゆえにこの窮地から救われる、と信仰による義を高らかに謳いました(ロマ7・28~8・2)。

知ってはいても正しく行なっていないことを示された律法の専門家は自分を正当化しようとして「では、私の隣人とはだれですか」と反問した。それに対するイエスの答えが「善きサマリヤ人の譬え」です。当時のユダヤ人にとり隣人とは謂る善良なユダヤ人のみで、罪人、取税人は勿論、混血のサマリヤ人(照ヨハ4・7~9)、異邦人は含まれていなかった。エルサレムからエリコへ下る街道で強盗に襲われ、瀕死の状態にあるユダヤ人の旅人に近寄り、介抱した「善きサマリヤ人」のように、「あなたも行って同じようにしなさい」と主イエスは言われます。私たちはどうしたらこのサマリヤ人のような隣人になれるのでしょうか。

祭司やレビ人のように、どうすることもできない肉、利己的な人間性を持つ私たちは「本当に惨めな人間、死のからだの私」です。瀕死の旅人と同じです。ですから私が自力で隣人になることはできません。先ず善きサマリヤ人であるイエス(照ヨハ8・48)が、私の隣人になって、私を救って下さることを信じること、行為義認でなく信仰義認に生きることです。そのとき私は傷ついた人、苦しんでいる人、悲しんでいる人を見て、寄り添い、「自分と同じように」その人に関わることが可能になるでしょう。そうして初めてイエス・キリストを信じて与えられた永遠のいのちを持つ私たち信仰による義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものとなるのです(照マタ5・20、ヨハ13・34)。

放蕩息子を抱く父

2008年07月06日 | 説教要旨・イエスの生涯
ルカ15・11~32/聖餐式/イエスの生涯(18)

譬え(パラボレー)の原意は〝傍らに投げる・置く〟であり、ある考えを具体的な表現によって語ることであります。ここで主イエスは「父と二人の息子の譬え」を通して、神と人間のことを語られています。ここは一般には「放蕩息子の譬え」と呼ばれていますが、「死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかった」ことを喜び祝う父親(24、32)が主役であることから言えば「二人の息子の父親の物語」と言えましょう。

取税人や罪人が、話を聞こうと主イエスに近寄って来るのを見たパリサイ人や律法学者たちは「この人は罪人たちを受け入れて、食事まで一緒にする」と呟いた。そこでイエスは彼らに譬えを話された(1~3)。主は罪人・取税人にだけでなく、パリサイ人・律法学者にも、神の憐み深い御心を知り、その愛の懐に抱かれるよう語られたのです。

弟が財産の分け前を要求すると、父親は二人に財産を分けてやった。幾日もたゝぬうちに弟は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、放蕩し、散財し、無一文になり、豚飼いにまで落ちた。だれも食べ物もくれなかった。この期に及んで弟は我に返った。ようやく彼は自分の惨めな姿を見、ゆたかな父の家を思い出した。彼は立ち上がり、父の許に行った。ところが家まではまだ遠かったのに、父親は息子を見つけて、可哀想に思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。父の大きく暖かな胸に抱かれた息子は、もう自分の罪の量(かさ)を計ったり、子としての資格の有無など口にしなかった。過去を問わず、咎め立てせず、ありのまゝに受け入れてくれた父の懐で、弟は初めて本当に父から離れ去った自分の罪を知ったのです。

父親は「死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかった」と弟息子の帰還を喜び、祝宴を催した。そこに仕事から戻って来た兄は怒って家に入ろうともしなかった。そして自分が弟と比べどれだけ立派であるかを披瀝し、父のやり方に不服を言った。それは「自分は義人だと自任する」(18・9)パリサイ人・律法学者が、罪人・取税人へのイエスの処遇が気に入らぬと非難することと同じです。「いつも一緒に」いながら、兄も弟と同じように父の心が分かっていなかったのです。だから弟を「可哀想に思う(スプラングニゾマイ)」どころか、腸(はらわた())の煮えくり返る思いで、父に文句を言ったのです。

父親は兄に「死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか」と、父親の心を語ります。取税人・罪人も、パリサイ人・律法学者も、どんな人も、私たちもみんな、父の息子、神の像(かたち)に創造され、神に愛されている人間なのです。放蕩息子に遠くから駆け寄る父親こそ、その独子キリストを世に遣わし、私たちの罪を赦し、神の子どもにするために十字架に付かせられた愛の神を表わしているのです。ご自分を十字架に付けた人々を赦し、強盗にパラダイスを約束された十字架のキリストを仰ぐとき、私たちは自分の罪を知り、そして神の御心を知るのです。

急いで降りて来なさい

2008年06月29日 | 説教要旨・イエスの生涯
ルカ19・1~10/イエスの生涯(17)

イエスはエルサレムでの十字架の死と復活の三度目の予告(①9・22②9・44→9・51→17・11③18・31以下)の後、エリコに入られた。その名は月神イェラハに由来するエリコはヨルダン川西岸、死海北方9.5㎞、海面下250mに位置する緑ゆたかなオアシスにある太古からの町です(申34・3)。そこにザアカイ(「純粋)「正義」の意)という「取税人の頭(かしら)で、金持ち」がいた。彼はエリコ地区におけるローマ帝国のための通行税や租税の徴収を請負い、取税人を雇い、阿漕(あこぎ)な取り立てをしていた。それゆえユダヤ人からはひどく憎まれ、軽蔑されていた(照レビ/5・27~32/イエスの生涯12)。

かねてイエスの噂を聞いていた彼は「イエスがどんな方か見ようとした」。しかし「背が低かった(ミクロス)ので、群衆に遮(さえぎ)られて見ることができなかった」。「それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った」。イエスはその場所に来ると、上を見上げて「ザアカイ、急いで降りて来なさい。きょうはあなたの家に泊まることにしている」と言われた。ザアカイは誰からも愛されず、顧みられず、悲哀と孤独、己の小ささ、失われた者であることを深く感じていたに違いない。木に登り、繁みに隠れているその彼の下に、最も低い所の、最も卑しい人間のその下に、主イエスが来られたのです(考創3・8~9)。そして「急いで降りて来なさい」と彼の間違い(考「神のようになる」(創3・5、イザ14・13~14)を糺し、創造主なる神と被造物である人間との正しい関係・秩序に戻るように命ぜられます。それから彼の人生のすべてを御存知である主は「ザアカイ」と呼びかけ、「きょう、あなたの家に泊まる」と言って、「取税人と罪人の友」(7・34)となり、ユダヤ人が入ってはならない「罪人の所に行って客となられた」のです。

急いで木から降り、大喜びでイエスを家に迎え入れたザアカイは「主よ、私は財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから騙し取った物は四倍にして返します(照民5・7)」と言った。守銭奴ザアカイが富から解放され、生き方が一変したのです。それは主イエスが彼に出会って、彼の家・魂に宿って下さったからです(考16・13、18・18~27)。キリストの恵みのゆたかさ・福音の力がザアカイを一新し、悔い改めの実を結ばせたのです。こうして石ころにも値しないと自他共に認めていた取税人の頭(かしら)ザアカイは「アブラハムの子」とされたのです(照3・8)。それゆえ主は「きょう、救いがこの家に来ました」と言われます。ザアカイの回心は彼個人だけでなく、家族や使用人、更には彼が騙し取った人々や他の全ての人に益を齎(もたら)したのです。換言すると、彼の救いは個人的・家庭的・社会的・経済的な次元にわたるものです。そのことを確認するため、主は「人の子は、失われた人を捜して救う(ソーゾー)(「良くする」「癒す」「完全にする」)ために来た」と言われます。救いは魂だけではなく、生の全体に影響を与えるのです。

きょうも「木の間に隠れ」色々と言い訳けしたり、「いちじく桑の木に登り」自分を神とするような思い上がった私たち失われた者を捜して救うために、罪の世に最も低い姿となり、あなたに呼びかけられている神・キリストの御声を聞き、「急ぎ降りて」救主イエスをあなたの家・心に迎え入れて下さい。

あなたを罪に定めない

2008年06月22日 | 説教要旨・イエスの生涯
ヨハネ7・53~8・11/イエスの生涯(16)

有力な写本のほとんど全部がこの記事を欠いているが、イエスの人となりを生き生きと伝え、古来より読む人に深い感銘を与えてきたこの物語は、後代(2~3世紀)ヨハネ福音書に挿入されたものと思われる(照 新改訳聖書脚注)。

前夜、オリーブ山に行かれたイエスはこの朝早く、再び神殿境内に入られ、人々が集まってきたので座って教えておられた。すると律法学者とパリサイ人が姦淫の現場で捕らえられた女を引き立てて来て、真中に立たせ、イエスに「モーセは律法の中でこういう女は石で打ち殺せと命じています(照レビ20・10、申22・22)が、あなたは何と言われますか」と言った。律法の番人を自ら任じていた学者・パリサイ人は、イエスが殺すな、赦せと言えばモーセの律法に反し、殺せと言えば平常のイエスの言動に反し、罪人の友でなくなると、イエスを窮地に陥れ、イエスを告発する口実を得ようとしたのです。モーセ律法を盾に、憐れな女を種にしてイエスを罠に架けようとする彼らは、律法の精神から最も遠く離れた人々です。

執拗に問い続ける彼らに、イエスは立ち上がって「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げつけよ」と言われました。姦淫の女の罪と罰だけを論じている彼らに、そういうあなたがた自身はどうなのか、彼女を裁く資格があるのか、と言われたのです(考マタ5・28)。こう問い返すことにより、イエスは自分の罪・悪徳は大目に見ながら、他人に対しては極めて厳格に対処し、冷酷な告発者となる偽善者たちの罪の方が、この女の罪より大きいとされたのです(照マタ7・1~5、ヨハ9・41)。

「これを聞くと、彼らは(良心に責められ)老人を始めとして、一人、また一人と立ち去った」。そしてイエスと女が残った。イエスは女に言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは罪を犯してはならない」。罪を犯したことがなく、それゆえただひとり罪を裁く資格を持つ主イエスが、女を裁かない、と言われる。主は女の罪を是認されたのではなく、赦されたのです。だから主は「これからはもう罪を犯さないように」と奨め、赦されて生きるよう「行きなさい」と励まされます。

自分は義人だと自任し、他を見下していた律法学者・パリサイ人は、イエスにより罪を示され、良心に責められても、イエスの許から去って行きました。彼らは光よりも闇を愛したのです。しかし、そのまゝイエスの許に留まっていた女は、イエスの赦しの声を聞きました。そして悔い改め、新しく生きるように招かれました。私たちも今朝、主イエス・キリストの力強くも慰めに満ちた「わたしもあなたを罪に定めない」との御声を聞きました。心から安心して「行きなさい」との御声に励まされて、「罪を犯さないように」助け導きたもうインマヌエルの主の御霊と共に、新しい一週のこの世の旅路にのぼりましょう。