
に、行って参りました。
(上記のチラシは、当日貰ったもの。最初に貰ったものは、引越しの際に行方不明)
12時15分に会社出て、手早く昼食をとって、地下鉄西長堀駅へ。1時10分頃に大阪市立中央図書館に到着。
会場は5階。エレベーターに乗って5階を押したら、動かへん。
「何でやねん!」と、職員さんに「高村さんの講演会、5階ですよね」と尋ねてみたら、「1時半に開場ですので、それまで動きません」 ・・・だと。「はあー、そうですか」と呆れるやら、(ずる)賢いと思うやら。
そうか、それで1階の待合で皆さん待っていたのか。
1時半過ぎ。先ほど尋ねた職員さんがエレベーターボーイを務めてくれて、5階の会場へ。会場に入る前に職員さんから、これ↓を貰いました。

図書館に入っている高村さんの著作リスト。書名に印のついているのが、多田和博さんが手がけた作品です。
アンソロジー等は既に絶版・品切れのものもあるので、未読の作品がありますね~。
待つこと約20分(その間、当然のように『新リア王』を読書)、職員の方から注意事項と、お三方の略歴などを兼ねた紹介の後、登場された多田和博さん、高村薫さん、佐藤誠一郎さん。(この順番で登場されたと思う)
以下、私の印象に残ったことを、順不同で紹介します。(←これ、大切! 入力してみたら、「あ~、大分違うな~」と思ってるので。話の通らないところも多々ありますので、ご容赦下さい)
「本がうまれるまで」がメインテーマなので、その部分に重点をおかれてのお話だったことを含んでおいて下さい。・・・メモしてないので、どれだけ思い出せるやら・・・。多少は正確な発言ではなかったところもあるはずですが、最低限のニュアンスだけは汲み取れるのでは、と思われます。後日追加は、必至。
※ということで、後日(2006.11.19)追加修正しております。あしからず。
※※読み返しているうちに、いくつか思い出したので、更に追加しました。ああ、また自分で自分の首を絞めることを・・・。なんだか明日も追記しそうな気がするぞ~(2006.11.19)
・多田さん:(書籍の装幀に関する話で) スピン、花布(はなぎれ)、帯、見返し。「和装」を連想させますね。
・佐藤さん:最初に、日本推理サスペンス大賞の応募作 『リヴィエラ』 (後に『リヴィエラを撃て』 (新潮社)に生まれ変わった) を読んだ時は、度肝を抜かれた。
日本人とIRAなんて馴染みが薄いし、ひょっとして、その筋の人なんじゃないか、と思った。もしやこの人は何か海外作品の原作を持っているんじゃないか・・・だけど文体・表現は、とても翻訳小説のものではないし・・・。
受賞作の『黄金を抱いて翔べ』 (新潮社) にも爆弾が出てくるので、やっぱりその筋の人かな、と。
ところがお会いしてみると、謙虚でおとなしい方なので驚きを隠せなかったですね。
・多田さん:『レディ・ジョーカー』 (毎日新聞社) をやっている頃から、次作(『晴子情歌』 (新潮社))のこと) のことはぼんやりと聞いていたので、一旦、「高村薫」を「白紙」に戻すと言う意味で、『レディ・ジョーカー』の装幀は、白、黒、赤とシンプルに「戦後白書」風のものにした。
これで、次にどんな作品が来ても、対応できると思った。
高村さんから、装幀については「こうして、ああして」と言われたことがないですね。
・高村さん:餅は餅屋にまかせた方がいいですから。わたくしは「なかみ」(小説のこと)を書くのが仕事ですから。それ以外のことは全ておまかせしています。
・多田さん:『レディ・ジョーカー』は、1ページ上下2段組みで、約1050文字。『晴子情歌』 『新リア王』は1ページ約740文字ですね。
・佐藤さん:藤田宜永さんの『鋼鉄の騎士』を担当した時は、900ページで3000円という値段で販売しましたが、そういうのがウケた時代があったんですね。小野不由美さんの『屍鬼』もぶ厚かったでしょう。(←これは担当されてない)
文字の大きさ、つまりポイント数も、最近は大きいのが好まれるようになってきた短くすぐに読めるような作品が、好まれている。その傾向とポイントの大きさとは、無縁ではないですね。
芥川賞を取った作品を書籍にして売り出すという時、ポイントを大きく、行間も広くしないと、「書籍」にならない。高村さんの書籍の形式だと、35ページくらいで終わっちゃいますよ。
・高村さん:わたくしも本を買うことに苦労したので、皆さんに手に取っていただくためにも、出来るだけ安く価格設定をして下さい、とお願いしています。
本、高いですよね。特に法律関係、美術書、医学書は。
・高村さん:『晴子情歌』 で旧仮名旧字体を使用したのは、母がわたくしに手紙を書き寄越す時は、旧仮名旧字体だった。わたくしの母と晴子は1歳しか年齢が違わない。母が息子に手紙を書くのなら、当然、旧仮名旧字体であろうと。
・多田さん:『レディ・ジョーカー』 『晴子情歌』 『新リア王』 の書籍で使用した、精興社さんの活字は、読みやすいですね。
・高村さん:柔らかい明朝体でね。
・多田さん:『新リア王』は連載でしたので、装幀を考える時間は2、3年ありました。
レンブラントの絵画「瞑想する哲学者」(『新リア王』 下巻の表紙)を見た時、これは使えるんじゃないか、と候補に挙げました。ただその時点では、一冊にするのか分冊になるのか、判らないわけです。二冊だったら、もう一冊もレンブラントの方がいいか、ふさわしい作品があるのか、探さなきゃならんわけです。
(『新リア王』の装幀案の貴重な写真を何点か、スクリーンに映し出して見せてくれました)
ほんとはもっとあるんですが、サイカチをイメージしたもの、また、青森を撮影し続けている女性写真家の作品を使用したものなど、いくつも考えました。
最終的にレンブラントの作品を使用することに決定したのですが、日本の美術館や作品だと、許可が下りないことが多い。下りるのに時間がかかる場合も多い。「この部分に文字を載せるな」「絵を切るな」という制限も多い。
海外では厳しい制限は特にありません。(ルーヴル美術館や大英博物館など)
『晴子情歌』で使用した、青木繁の作品は、絵を切った上にぼかしているので、悪い装幀者ですよ。
『新リア王』のレンブラントは海外の作品ですが、決めた時点で許可が下りるかどうかは判らなかったんですが、版元は新潮社さん。「芸術新潮」がありますので、意外と許可が下りるのではないかと思ったんですが・・・。
・佐藤さん:下りない場合もあります。「芸術新潮」とは仲が悪いので。いや、「週刊新潮」のように他紙・他誌にケンカ売っているという意味ではなく、相性の悪いところがありますので。(この辺は微妙な感じだったので、曖昧にぼかします。すみません)
私はゴヤの絵を使用したかったですね。プラド美術館は使用料が6000円と安いんです。高村さんの作品も、ゴヤの絵を彷彿とさせますから。
・多田さん:高村さんは、レンブラントがお好きなんですよね。僕の持っている美術書よりも、もっと大きな詳しい本を持っている。
『晴子情歌』 で「海の幸」を候補にした時も、「私も自分の画集で改めて見たのだが、これが一番いいと思う」と連絡が入ってきました。
・佐藤さん:作品を読まれている皆さんはご承知でしょうが、高村さんは文学、芸術、音楽などにも大変お詳しい。私もクラシック音楽には詳しいと思っているんですが、とても敵わない。
『晴子情歌』は高村さんのお母様がモデルで、お父様も絵を描かれていましたね。
・佐藤さん:『新リア王』 発売前(だったと思いますが)、2日間、各誌・各紙の記者のインタビューに応じていただきました。お昼はお弁当で済ませて。毎回毎回、同じような質問に答えるので、大変だったと思いますが・・・。
・高村さん:次回から、そのやり方は変えましょう。
・佐藤さん:『新リア王』の帯コピーは、編集者、つまり私が考えて高村さんに「これでいいですか」とお見せするんですが、高村さんが手直しした案の方が、素晴らしいですね。
(つまり『新リア王』帯コピーは、高村さんが考えられたものと判明)
新聞広告は、私が作成しました。国会議事堂を佐渡の荒波が飲み込むという構図、結構評判が良かったんですよ。
え~、高村さん、ニヤニヤされてますが・・・。
・高村さん:わたくしの写真が使われているんですよ。ニヤニヤするしかないでしょう。
・佐藤さん:高村さんがデビューされた時に、私は「この人についていこう」と思いました。こちらの注文に対して、想像以上、想像を超えた作品を作り上げてくる。
・高村さん:わたくしも負けず嫌いなものですから。佐藤さんに呆れられないものを書いていこうと努めています。
・多田さん:僕は元来怠け癖がありまして。4、5年に一度、高村さんの作品を手がけるので、高村さんに「もうこれでいいです」と言われるのが怖い。
・高村さん:わたくしも多田さんに、手抜きされたら終わりだと思っています。
作家、装幀家、編集者との「たたかい」・・・うーん、「たたかい」としか表現できないですね。
・高村さん:物書きにとって大切なのは、創造(想像)だと思います。究極の創造(想像)とは、「破壊」・・・なのかもしれません。
(どちらの「そうぞう」なのか。私個人は両方の意味を含んでいると受け取ったので、表記も両方選びました)
・高村さん:(『太陽を曳く馬』について) 刑事、僧侶、犯罪者などの人物が出てきますが、主人公は「21世紀の日本」です。「21世紀の日本」をどう表現できるのか。表現できる「言葉」があるのか。それを見つけ探るために、書いています。
初めから、明確にどういう展開になるのか、決めていません。書き進むうちに、見えてくるかもしれないし、見えてこないかもしれない。
その結果、私自身が「破壊」・・・「自爆」するかもしれません。そうならないようにと思っていますが・・・。
***
だいたいこんなものでしょうか。念押ししますが、順不同ですので、ご了承を。
簡単に端折ろうと思ったんですが、私の性分からして、無理でした~(苦笑)
ホントはもっともっといろんなお話が飛び出たのです。キリがないので、申し訳ございません。
さて、いかがでしょう?
作家、装幀家、編集者との間に紡ぎ出されている「信頼関係」としか表現できない空気。一つの作品を生み出そうとする、過程と熱意。
「本は粗末にするな」と昔から言われていたので、簡単に書籍を売りにいくことは出来ない性分の私なのですが、今回のお話を伺って、もっともっと書籍を大事にしようと、認識を新たにしました。
新古書店やネットオークション等で「高値」あるいは「安値」で気軽に売買するのは、どうよ? とも思いました。手軽に「お金になるから」「金儲けできるから」と、「商品」としてしか見ていないのは、心が貧しいことだなあとも思うのです。
本はやっぱり、「読まれてなんぼ」「読んでなんぼ」の世界なのですよ。作家、装幀家、編集者の共通の思いは、「読んで欲しい」・・・これに尽きるのではないでしょうか。
私も、恐らく死ぬまで、あるいは目が見えなくなるまで、本を読み続けることでしょう。何度も何度も、高村薫作品を読みたいです。
さて、講演の後に質疑応答がありまして、「雑誌と書籍の原稿料」について質問された方がいらして、それが最も印象に残りました。・・・やはり「直木賞」は受賞した方が良いのか(苦笑)
高村さんの回答で印象に残っているのは、「飛ばし読みは、私も出来ない」 「デジタルで読むのはすでに「書籍」ではない」 (だから電子ブックに高村作品はないのです)「パソコンは「道具」として利用し、使う」・・・など。
実は私もね~、質問しようと思ったんですがね~、4つ(!)もあったので断念したんです。さすがに一人で4つの質問は反則でしょう?
1.(せっかく佐藤さんがいらっしゃったので) 幻の『リヴィエラ』を、読者が読む手立てはありませんか? あるいは出版する予定は?
2.「親鸞賞受賞」の知らせが入った時の、皆さんの反応や感想は?
3.加納祐介の人物像の変化。特に『太陽を曳く馬』の転身について。話が進むに連れて明らかになるとは思いますが、高村さんご自身が、加納さんを転身させようと思ったのは、(あるいは合田さんと引き離したのは)なぜなのでしょうか?
4.(宗教については明るくありませんが) 彰之の属している曹洞宗(禅宗)は、(簡単に言えば)徹底的に自己を見つめ、磨き、高めていく宗派と認識していますが、キリスト教でも、例えば修道院では同じようなことが行われています。そういう部分で類似点があるかなと思ったのですが、高村さんのお考えはいかがでしょうか?
・・・せめて1と3、ついで4も、質問すべきだったかな・・・?
***
『新リア王』は、本日はp94まで。
政治家って聖徳太子の如く、10の耳と10の口がないと務まらないくらい、めまぐるしい時間を生きているのだなあ。
国家と地元、経済や海外情勢によって方針がころころ変わるのは、仕方ないことなのか。
榮パパの話は、そのまま丸呑みしたらアカンと思いつつも、素直に信じてしまいそうになるんで、困る。彰之のように平静さを保たないとダメですね。
(上記のチラシは、当日貰ったもの。最初に貰ったものは、引越しの際に行方不明)
12時15分に会社出て、手早く昼食をとって、地下鉄西長堀駅へ。1時10分頃に大阪市立中央図書館に到着。
会場は5階。エレベーターに乗って5階を押したら、動かへん。
「何でやねん!」と、職員さんに「高村さんの講演会、5階ですよね」と尋ねてみたら、「1時半に開場ですので、それまで動きません」 ・・・だと。「はあー、そうですか」と呆れるやら、(ずる)賢いと思うやら。
そうか、それで1階の待合で皆さん待っていたのか。
1時半過ぎ。先ほど尋ねた職員さんがエレベーターボーイを務めてくれて、5階の会場へ。会場に入る前に職員さんから、これ↓を貰いました。

図書館に入っている高村さんの著作リスト。書名に印のついているのが、多田和博さんが手がけた作品です。
アンソロジー等は既に絶版・品切れのものもあるので、未読の作品がありますね~。
待つこと約20分(その間、当然のように『新リア王』を読書)、職員の方から注意事項と、お三方の略歴などを兼ねた紹介の後、登場された多田和博さん、高村薫さん、佐藤誠一郎さん。(この順番で登場されたと思う)
以下、私の印象に残ったことを、順不同で紹介します。(←これ、大切! 入力してみたら、「あ~、大分違うな~」と思ってるので。話の通らないところも多々ありますので、ご容赦下さい)
「本がうまれるまで」がメインテーマなので、その部分に重点をおかれてのお話だったことを含んでおいて下さい。・・・メモしてないので、どれだけ思い出せるやら・・・。多少は正確な発言ではなかったところもあるはずですが、最低限のニュアンスだけは汲み取れるのでは、と思われます。後日追加は、必至。
※ということで、後日(2006.11.19)追加修正しております。あしからず。
※※読み返しているうちに、いくつか思い出したので、更に追加しました。ああ、また自分で自分の首を絞めることを・・・。なんだか明日も追記しそうな気がするぞ~(2006.11.19)
・多田さん:(書籍の装幀に関する話で) スピン、花布(はなぎれ)、帯、見返し。「和装」を連想させますね。
・佐藤さん:最初に、日本推理サスペンス大賞の応募作 『リヴィエラ』 (後に『リヴィエラを撃て』 (新潮社)に生まれ変わった) を読んだ時は、度肝を抜かれた。
日本人とIRAなんて馴染みが薄いし、ひょっとして、その筋の人なんじゃないか、と思った。もしやこの人は何か海外作品の原作を持っているんじゃないか・・・だけど文体・表現は、とても翻訳小説のものではないし・・・。
受賞作の『黄金を抱いて翔べ』 (新潮社) にも爆弾が出てくるので、やっぱりその筋の人かな、と。
ところがお会いしてみると、謙虚でおとなしい方なので驚きを隠せなかったですね。
・多田さん:『レディ・ジョーカー』 (毎日新聞社) をやっている頃から、次作(『晴子情歌』 (新潮社))のこと) のことはぼんやりと聞いていたので、一旦、「高村薫」を「白紙」に戻すと言う意味で、『レディ・ジョーカー』の装幀は、白、黒、赤とシンプルに「戦後白書」風のものにした。
これで、次にどんな作品が来ても、対応できると思った。
高村さんから、装幀については「こうして、ああして」と言われたことがないですね。
・高村さん:餅は餅屋にまかせた方がいいですから。わたくしは「なかみ」(小説のこと)を書くのが仕事ですから。それ以外のことは全ておまかせしています。
・多田さん:『レディ・ジョーカー』は、1ページ上下2段組みで、約1050文字。『晴子情歌』 『新リア王』は1ページ約740文字ですね。
・佐藤さん:藤田宜永さんの『鋼鉄の騎士』を担当した時は、900ページで3000円という値段で販売しましたが、そういうのがウケた時代があったんですね。小野不由美さんの『屍鬼』もぶ厚かったでしょう。(←これは担当されてない)
文字の大きさ、つまりポイント数も、最近は大きいのが好まれるようになってきた短くすぐに読めるような作品が、好まれている。その傾向とポイントの大きさとは、無縁ではないですね。
芥川賞を取った作品を書籍にして売り出すという時、ポイントを大きく、行間も広くしないと、「書籍」にならない。高村さんの書籍の形式だと、35ページくらいで終わっちゃいますよ。
・高村さん:わたくしも本を買うことに苦労したので、皆さんに手に取っていただくためにも、出来るだけ安く価格設定をして下さい、とお願いしています。
本、高いですよね。特に法律関係、美術書、医学書は。
・高村さん:『晴子情歌』 で旧仮名旧字体を使用したのは、母がわたくしに手紙を書き寄越す時は、旧仮名旧字体だった。わたくしの母と晴子は1歳しか年齢が違わない。母が息子に手紙を書くのなら、当然、旧仮名旧字体であろうと。
・多田さん:『レディ・ジョーカー』 『晴子情歌』 『新リア王』 の書籍で使用した、精興社さんの活字は、読みやすいですね。
・高村さん:柔らかい明朝体でね。
・多田さん:『新リア王』は連載でしたので、装幀を考える時間は2、3年ありました。
レンブラントの絵画「瞑想する哲学者」(『新リア王』 下巻の表紙)を見た時、これは使えるんじゃないか、と候補に挙げました。ただその時点では、一冊にするのか分冊になるのか、判らないわけです。二冊だったら、もう一冊もレンブラントの方がいいか、ふさわしい作品があるのか、探さなきゃならんわけです。
(『新リア王』の装幀案の貴重な写真を何点か、スクリーンに映し出して見せてくれました)
ほんとはもっとあるんですが、サイカチをイメージしたもの、また、青森を撮影し続けている女性写真家の作品を使用したものなど、いくつも考えました。
最終的にレンブラントの作品を使用することに決定したのですが、日本の美術館や作品だと、許可が下りないことが多い。下りるのに時間がかかる場合も多い。「この部分に文字を載せるな」「絵を切るな」という制限も多い。
海外では厳しい制限は特にありません。(ルーヴル美術館や大英博物館など)
『晴子情歌』で使用した、青木繁の作品は、絵を切った上にぼかしているので、悪い装幀者ですよ。
『新リア王』のレンブラントは海外の作品ですが、決めた時点で許可が下りるかどうかは判らなかったんですが、版元は新潮社さん。「芸術新潮」がありますので、意外と許可が下りるのではないかと思ったんですが・・・。
・佐藤さん:下りない場合もあります。「芸術新潮」とは仲が悪いので。いや、「週刊新潮」のように他紙・他誌にケンカ売っているという意味ではなく、相性の悪いところがありますので。(この辺は微妙な感じだったので、曖昧にぼかします。すみません)
私はゴヤの絵を使用したかったですね。プラド美術館は使用料が6000円と安いんです。高村さんの作品も、ゴヤの絵を彷彿とさせますから。
・多田さん:高村さんは、レンブラントがお好きなんですよね。僕の持っている美術書よりも、もっと大きな詳しい本を持っている。
『晴子情歌』 で「海の幸」を候補にした時も、「私も自分の画集で改めて見たのだが、これが一番いいと思う」と連絡が入ってきました。
・佐藤さん:作品を読まれている皆さんはご承知でしょうが、高村さんは文学、芸術、音楽などにも大変お詳しい。私もクラシック音楽には詳しいと思っているんですが、とても敵わない。
『晴子情歌』は高村さんのお母様がモデルで、お父様も絵を描かれていましたね。
・佐藤さん:『新リア王』 発売前(だったと思いますが)、2日間、各誌・各紙の記者のインタビューに応じていただきました。お昼はお弁当で済ませて。毎回毎回、同じような質問に答えるので、大変だったと思いますが・・・。
・高村さん:次回から、そのやり方は変えましょう。
・佐藤さん:『新リア王』の帯コピーは、編集者、つまり私が考えて高村さんに「これでいいですか」とお見せするんですが、高村さんが手直しした案の方が、素晴らしいですね。
(つまり『新リア王』帯コピーは、高村さんが考えられたものと判明)
新聞広告は、私が作成しました。国会議事堂を佐渡の荒波が飲み込むという構図、結構評判が良かったんですよ。
え~、高村さん、ニヤニヤされてますが・・・。
・高村さん:わたくしの写真が使われているんですよ。ニヤニヤするしかないでしょう。
・佐藤さん:高村さんがデビューされた時に、私は「この人についていこう」と思いました。こちらの注文に対して、想像以上、想像を超えた作品を作り上げてくる。
・高村さん:わたくしも負けず嫌いなものですから。佐藤さんに呆れられないものを書いていこうと努めています。
・多田さん:僕は元来怠け癖がありまして。4、5年に一度、高村さんの作品を手がけるので、高村さんに「もうこれでいいです」と言われるのが怖い。
・高村さん:わたくしも多田さんに、手抜きされたら終わりだと思っています。
作家、装幀家、編集者との「たたかい」・・・うーん、「たたかい」としか表現できないですね。
・高村さん:物書きにとって大切なのは、創造(想像)だと思います。究極の創造(想像)とは、「破壊」・・・なのかもしれません。
(どちらの「そうぞう」なのか。私個人は両方の意味を含んでいると受け取ったので、表記も両方選びました)
・高村さん:(『太陽を曳く馬』について) 刑事、僧侶、犯罪者などの人物が出てきますが、主人公は「21世紀の日本」です。「21世紀の日本」をどう表現できるのか。表現できる「言葉」があるのか。それを見つけ探るために、書いています。
初めから、明確にどういう展開になるのか、決めていません。書き進むうちに、見えてくるかもしれないし、見えてこないかもしれない。
その結果、私自身が「破壊」・・・「自爆」するかもしれません。そうならないようにと思っていますが・・・。
***
だいたいこんなものでしょうか。念押ししますが、順不同ですので、ご了承を。
簡単に端折ろうと思ったんですが、私の性分からして、無理でした~(苦笑)
ホントはもっともっといろんなお話が飛び出たのです。キリがないので、申し訳ございません。
さて、いかがでしょう?
作家、装幀家、編集者との間に紡ぎ出されている「信頼関係」としか表現できない空気。一つの作品を生み出そうとする、過程と熱意。
「本は粗末にするな」と昔から言われていたので、簡単に書籍を売りにいくことは出来ない性分の私なのですが、今回のお話を伺って、もっともっと書籍を大事にしようと、認識を新たにしました。
新古書店やネットオークション等で「高値」あるいは「安値」で気軽に売買するのは、どうよ? とも思いました。手軽に「お金になるから」「金儲けできるから」と、「商品」としてしか見ていないのは、心が貧しいことだなあとも思うのです。
本はやっぱり、「読まれてなんぼ」「読んでなんぼ」の世界なのですよ。作家、装幀家、編集者の共通の思いは、「読んで欲しい」・・・これに尽きるのではないでしょうか。
私も、恐らく死ぬまで、あるいは目が見えなくなるまで、本を読み続けることでしょう。何度も何度も、高村薫作品を読みたいです。
さて、講演の後に質疑応答がありまして、「雑誌と書籍の原稿料」について質問された方がいらして、それが最も印象に残りました。・・・やはり「直木賞」は受賞した方が良いのか(苦笑)
高村さんの回答で印象に残っているのは、「飛ばし読みは、私も出来ない」 「デジタルで読むのはすでに「書籍」ではない」 (だから電子ブックに高村作品はないのです)「パソコンは「道具」として利用し、使う」・・・など。
実は私もね~、質問しようと思ったんですがね~、4つ(!)もあったので断念したんです。さすがに一人で4つの質問は反則でしょう?
1.(せっかく佐藤さんがいらっしゃったので) 幻の『リヴィエラ』を、読者が読む手立てはありませんか? あるいは出版する予定は?
2.「親鸞賞受賞」の知らせが入った時の、皆さんの反応や感想は?
3.加納祐介の人物像の変化。特に『太陽を曳く馬』の転身について。話が進むに連れて明らかになるとは思いますが、高村さんご自身が、加納さんを転身させようと思ったのは、(あるいは合田さんと引き離したのは)なぜなのでしょうか?
4.(宗教については明るくありませんが) 彰之の属している曹洞宗(禅宗)は、(簡単に言えば)徹底的に自己を見つめ、磨き、高めていく宗派と認識していますが、キリスト教でも、例えば修道院では同じようなことが行われています。そういう部分で類似点があるかなと思ったのですが、高村さんのお考えはいかがでしょうか?
・・・せめて1と3、ついで4も、質問すべきだったかな・・・?
***
『新リア王』は、本日はp94まで。
政治家って聖徳太子の如く、10の耳と10の口がないと務まらないくらい、めまぐるしい時間を生きているのだなあ。
国家と地元、経済や海外情勢によって方針がころころ変わるのは、仕方ないことなのか。
榮パパの話は、そのまま丸呑みしたらアカンと思いつつも、素直に信じてしまいそうになるんで、困る。彰之のように平静さを保たないとダメですね。
昨日のお話ですが、記事を読ませて頂いて、あっこんな話もあったな~。と思い出しました。楽しかったです。
からなさんの質問に対してなんとお答えになるか、聞いて見たいですね。特に加納様について
昨日は野鍛治屋さんの記事を先に拝見していましたので、「あ、こういうもがあったな」と思い出すことが出来ました(笑) ありがとうございました。
★パステルさんへ
どうしましょう、読み返していると、またまた重要なことが思い出されてしまいまして(苦笑) これからちょこっと追記します。
>特に加納様について
これはかなり迷いました。会場にいらしている方で、『照柿』や『太陽を曳く馬』を読まれていない方もいらっしゃるだろうなと、思いとどまりました。
(上記の質問の内容も、微妙にぼかしてますでしょ?)