あるタカムラーの墓碑銘

高村薫さんの作品とキャラクターたちをとことん愛し、こよなく愛してくっちゃべります
関連アイテムや書籍の読書記録も紹介中

外相のサイン入り紹介状を携えてきたジェームズ・ボンド (上巻p38)

2006-03-29 23:53:20 | リヴィエラを撃て 再読日記
3月27日(月)から、『リヴィエラを撃て』 (新潮文庫) の再読を始めました。
今回は約3年前に新しく買った文庫版で再読しています。最初に買った文庫は、読みすぎてボロボロになったので・・・。

読み出してみると、細かい部分を忘れてる・・・というより、ある事柄や人物の感情の「表現」の鋭さや上手さに、唸ることしきり。
読むのはホントに久しぶりなので、初めて読む感覚も同時に味わっている気分です。


それでは、『リヴィエラを撃て』 という作品について簡単に記しておきましょう。

高村薫さんの実質的な処女作で、第2回日本推理サスペンス大賞の最終候補作に残った 『リヴィエラ』 を、大幅に改稿して生まれ変わった作品が、『リヴィエラを撃て』 です。
1993年の第46回日本推理作家協会賞(長編部門)受賞1992年度の第11回日本冒険小説協会大賞受賞 に輝く名作・傑作。
それに更に手を加えて、より完璧になったものが文庫版になります。


個人的意見ですが、この作品が最も完成度が高いと思います。
何と言っても物語のスケールの大きさと、数多のように現れては消えていく、登場人物たちの魅力。それに尽きます。

追うのはただ、《リヴィエラ》という謎のみ。それを巡っての人々の思惑・復讐・利益・秘密などが、複雑に絡み合っているのです。

それ故に当然、物語は大団円とはいきません。いくつかの謎を残したまま、全ては時の彼方へ飲み込まれ、消えていく。
読み手はただ、物語や登場人物たちの在り方と、筆者の語りに身を委ねるだけでいい。最後は、読み手一人一人が想像し、「何か」を「祈る」だけ。
・・・これ以上、書くのは野暮というもの。私は「興味のある方は、ぜひ読んで下さい」としか言えません。
(海外の冒険・スパイ小説を詠み慣れている方ならば、すんなりと読めるはず。慣れていない方は、苦戦しやすいようです)


今回の再読は、全体的な流れと登場人物の描写に重点をおいて、ピックアップしていくつもり。

それではいつものように、注意事項。
最低限のネタバレありとしますので、未読の方はご注意下さい。よっぽどの場合、 の印のある部分で隠し字にします。

***

2006年3月27日(月)の『リヴィエラを撃て』 は、上巻の1992年1月――東京のp47まで読了。ゆっくり読んでいきたいので、まずまずの進み具合かな。


【今回の主な登場人物】
読んだ範囲で、出来るだけ登場順に。詳しい説明はあまりしないようにします。名前だけの登場人物はカット。
外国人はアルファベットの綴りも添えようかと思ったんですが、ウー・リーアンで早々と挫折(笑) 中国語でどう表記するのか、まったく分からないんだもん。

ジョージ・F・モナガン・・・最初の手紙の差出人。直接の登場はまだ。
ジャック・モーガン・・・あの長ったらしい本名はまだ出てきていないので、とりあえずこれで・・・(笑)
手島修三・・・警視庁公安部外事一課の警視。ほとんどのタカムラーさんが、彼を「テッシー(又はテッスィ)」という愛称で呼ぶ。余談ながら、言わずと知れた私の一番のご贔屓の人物 
坂上達彦・・・警視庁公安部外事一課の警部。手島さんの部下。
手島時子・・・手島さんの妻。現時点では名前は出てません。
ウー・リーアン・・・現時点では、本当の名前は出てません。偽名の《安田礼子》だの、クラブで働いている時の《香港から来たリリーちゃん》だので通っている。
ダーラム侯爵夫人レディ・アン・ヘアフィールド・・・イギリスの大貴族・ダーラム侯の妻。中国名は《恵安》(フイアン)。
キム・バーキン・・・MI5所属。日本に来た時の偽名は《サイモン・ピークス》。本名はカール・パトリック・バーキン。「カール」は、ゲール語源で「CAHILL」と綴る。
倉田・・・警視庁公安部外事一課長の警視正。手島さんの上司。


【今回のツボ】
読んだ範囲で、私が「ツボ」だと感じた部分を箇条書きでピックアップ。

・手島さんとキムの息詰まる丁々発止のやり取り。 この緊迫感が好き。しかし負けたのはキムでしょう(笑)

・「手島修三」という人物の描かれ方。 内外面ともに。これは私が手島さんを贔屓にしているからというわけでは決してなくて、複雑かつ秀逸な描写が多いと思うので。

・「ジャック・モーガン」という名前。 実は「モスコミュール」というカクテルの考案者は、「ジャック・モーガン」という人。(このことについては誰も指摘していないように思いますが・・・) これはたまたま、偶然か? それともお酒好きな高村さんのことだから、ひょっとして・・・?

・レディ・アンの本名《恵安(フイアン)》という名前。 実は、『わが手に拳銃を』 (講談社) にも、この名のついた脇役が出ています・・・男性なんですが。中国では、男女どちらでもOKな名前なの?


【今回の音楽】
この作品に「音楽」は欠かせません。教養部門として「書籍」と2本立てでやっていく予定。但し今回は「書籍」はありません。

 シューマンの幻想曲ハ長調・・・シューマンのピアノ曲のCDは2、3枚持っていますが、これが収められているのかどうかは不明。段ボール箱ひっくり返して捜すのもねえ・・・(←未だに引越しした際の荷解きをやってない)

***

【登場人物の描写】
とはいっても、私のツボにハマった人物のみの描写だけ取り上げます。・・・また自分で自分の首を絞めるような項目を設けて・・・

手島修三から見た、キム・バーキン

★そのとき、日本の公務員住宅では標準的な、狭く薄暗い廊下にぽつんと立っていた男の第一印象を、どう言えばいいか。肉親の死に目に間に合わず、慌てて駆けつけた火葬場で、間違えて他人の骨を拾っている粗忽者の素朴な当惑。一方で、それに気づいた後も、悠然と演技を続けることの出来る冷徹な素質を、隠そうともしない、あるいは隠せないことによる当惑。二つの当惑が、完璧無比に訓練された情報部員の石の表情と、不安げな、未だ若さの名残りのある端正な顔にそれぞれ同居していた。とはいえ、男は実際、手島と同年代だったろう。 (p36)

よもやキムも、手島さんにこんなふうに思われていたとは思うまい。まあね、遠いイギリスからやってきて、時差ボケもあったでしょうし、寝不足に加えて疲労も蓄積されてたでしょうし・・・。

★こういう笑みが現すのは、そのときの状況判断でも感情でもない。男の生まれ育った池から湧き出す水泡のように、自動的に現れるものだった。男の国にはいろいろな池があり、それぞれ発する水泡の形が違い、臭いが違う。男は、堅実な資産と教養と、中庸な社会感覚を身につけた保守的な中産富裕階級の出身と思われた。ただし、本人はそういうことには無頓着な方かも知れない。もちろん情報部ならば、左でもアナーキーでもあるはずはないが、育ちの良い木もさまざまな風雪でかなり傷ついているように見えた。 (p37)

上記に比べたら、ちょっと柔らかく同情的になった見方かな。特に最後の一文が。


【今回の名文・名台詞・名場面】
付箋紙を貼った部分から、ピックアップ。今回に限っては、手島さん関連が多いですね。・・・やっぱりご贔屓キャラだから?(笑)
余談ですが、先ほどボロボロの文庫を引っ張り出して見てみたら、今回貼った部分とほとんど同じ部分に付箋紙が貼ってあったので、ちょっとビックリ・・・。

★親愛なる友人へ (p5)

モナガンさんの手紙から、物語は始まります。この「友人」が誰なのか、この時点では不明。
モナガンさんの手紙は、物語の狂言回しとして非常に重要な要素ですが、間接的でもあり、時として物語全体を俯瞰して見ています。
モナガンさんの「親愛なる友人」。これはいつの日かその人物へとたどり着く、モナガンさんの旅の始まりでもあるのでした。

★私の四十年間の警察勤めの経験では、事件の大小は必ずしも犯意の大小には比例しない。厳粛に比例するのは、犠牲者の数だ。 (p6~7)

モナガンさんの手紙から。重い言葉ですが、これが事実であり、現実なんですよね・・・。

★「いや、私は葬儀社の者です」 (p14)

手島さんの初台詞が、これ。ジャック・モーガンの遺体を確認すべく監察医務院へ車で到着した手島さんを関係者と踏んで、にじり寄ろうとする記者たちに対して先手を打って発したのが、この言葉。

・・・何だ、これは。後日のモナガンさんの手紙で判明しますが、キム・バーキンによる手島さんの第一印象も、《食えなかった》 (下巻p174) とありました。確かに食えないわ、この方・・・(笑) こんなこと言われたら、ぐうの音も出ません。
でもこんな葬儀社の方がいらしたら、私は喜んで葬式に行くぞ!  ハッ、自分の葬式ということもありえるのか・・・? あれ、何書いてんだ、私(←錯乱中)

もしや手島さん、とっつきにくくひねくれた印象や言動を匂わせる雰囲気でも醸し出していたのでしょうか・・・。ところがどっこい、次に続く。

★手島の顔は本庁でも最も知られていない地味な顔の一つだった。 (p14)

嘘つけっ!
どこが地味なのよ? と首を傾げた方も多いでしょうが、実はこの時点では手島さんは日英ハーフだとは書かれておりません。

ところで手島さんとよく似た評価を下された刑事さんが、いましたね? そう、『レディ・ジョーカー』 の合田雄一郎さんです。日之出ビールの城山恭介社長の警護とスパイを兼ねた役目を、神崎秀嗣捜査一課長から課された時に、「私が壇上から見ている限り、目鼻だち、体格、雰囲気ともに貴方が一番目立たない」 (『LJ』上巻P416) と言われ、
どこが目立ってへんねん! ・・・とツッコミ入れた方も多いはず。

ともあれ手島さんも合田さんも、刑事の絶対条件の一つ、「地味」で「目立たない」雰囲気を持っているんだそうですよ。・・・ホンマかいな。
あ、そうか! ここで大抵の読み手は「手島さんは地味」だと刷り込まれてしまったのか・・・?

★手島は最後にもう一度遺体の顔を目に刻んだ。生前この緑色の眼球の見ていた世界がどんなものであったのかは知るすべもないが、すべての死はそれぞれの苦しみを表し、生きているものにその苦しみを移してくる。手島はいつもそう感じた。こうして自分の目で見つめた死者の顔はもはや、数日たてば忘れてしまう顔の一つには、なりそうになかった。死者の苦しみのために自分に何か出来ることはあるのか、ないのか。最低限、それを確かめるまでは忘れるわけにはいかない。 (p22~23)

ジャックの遺体と対峙した手島さん。これだけでも手島さんの「優しさ」が分かりますね。この直後、手島さんはジャックのために十字を切りました。

★「ダーラム侯エードリアン・ヘアフィールドといえば、週一回の契約でスキャンダルをバラまくのが商売かと思ってた」  (p29~30)

手島さんのダーラム侯の講評。実はこれが世間一般による、ごく当たり前のダーラム侯の評判でもあるのですよね。手島さんはイギリスで生まれ育ったし、ロンドンで日本大使館の一等書記官の務めも果たしていたし、この台詞の信憑性は高いでしょう。
しかし部下の坂上さんは、それは昔の話で、最近はまともになっていると発言。

★こうした生活に不満はなくても、それは個人の魂のレベルでは、充足とは別語だった。あえて言えば、自分の心身すべてにわたって、この二十年何か欠けていると思い続けてきた。大したものではない。単に靴下の片方のようなもの。二つ揃わなければ用はなさないが、別に片方でも死にはしない。そして、仮に二つ揃っても、色違いの、決して一緒に履けない靴下。二つの土地、二つの言葉、二つの文化は手島の中では、大人になってからの二十年、そういうものだった。
いや。そういうことを言い始めると、今履いている片方の靴下も、履いているという実感はなかった。それでもこの十三年、一応は国家公務員を務めてきたのだが。
 (p34)

大人になるまではイギリス人で、国家公務員としては日本人で生きてきた手島さん。
「今履いている片方の靴下」・・・つまり「日本人の手島修三」には、どうやら違和感をがつきまとっている様子。

★東京は、皇居の森と堀が象徴する不可視の都だ。一千万の民の知らないエイリアンが潜み、それを知っている一部のものどもの密かな目配せが霞ヶ関に飛び交っている。その目配せの一つを、計らずも課長の顔に見たように思った。
手島はそのとき、自分の受けた侮辱について考えた時間はほんとうに少なかった。負け惜しみではない。個人の領域に土足で踏み込まれるのに慣れなければ、この国では男は生きていけない。
 (p46~47)

手島さんの「靴下が違う、どこにあるのか」という感覚は今も続いて、それを強く感じることの一つが、上司からのイヤミ。
しかし手島さんは大人の男なのか、我慢強いのか、きちんと腹に収めて受け流しています。(まるで某義兄やん) 



コメントを投稿