さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

プーチンの挑戦(1)ーソ連崩壊とオリガルヒー

2018-09-06 | 20世紀からの世界史
エリツィン(1931~2007)
 
ソ連が膨大な財政赤字を抱えて崩壊したのは1991年12月、新生ロシアの初代大統領はエリツィンである。エリツィンはIMF(国際通貨基金)から226億ドルを借りることになった。IMFは貸付の条件として「大規模な民営化」と「バウチャー方式」を勧告した。「バウチャー」とは「民営化証券」と訳されるが、民営化された企業の株式と交換できるという引換券のことである。しかし一般の国民にはよく理解できなかった。
 
政府は全国民に一定額の「バウチャー」を配った。ところが長い間共産主義だったロシア国民は「バウチャー」の意味も解らず、ただの紙切れとしか感じなかった。そこに目を付けたのが一部のユダヤ人事業者たちだった。「バウチャー」の買い占めに全国を回った。あるユダヤ人事業者はトラックにウォッカを詰め込み、「バウチャーをウォッカ1本と交換します。」と宣伝すると、住民は喜んで交換に応じてきた。こうしてロシアにユダヤ系新興財閥(オリガルヒ)が生まれた。
 

ベレゾフスキー(1946~2013)
 
オリガルヒたちは銀行をつくり急速に勢力を伸ばした。財政難に苦しむ政府に融資しては石油、鉄鉱などの主要産業を次々と民営化していった。およそ時価総額の10分の1で買い取ってしまうので、正に濡れ手に泡の商売である。ソ連崩壊から5年後には全体の75%が民営企業となり、7人のオリガルヒたちが支配したと言われる。その中の一人が「クレムリンのゴッドファーザー」と呼ばれたボリス・ベレゾフスキーである。
 
ベレゾフスキーは学者を目指したが、43歳のとき事業家に転じた。自動車販売店を始めた頃、ソ連が崩壊した。バウチャーを集めた資金で、テレビ局、ラジオ局、日刊紙、週刊誌を買収、さらに「統一銀行」をつくり、大手石油会社「シブネフチ」を買収した。経済政策に失敗して人気凋落したエリツィンは1996年の大統領選挙では再選不可能と思われた。しかしベレゾフスキーはライバルのオリガルヒたちに「エリツィンが再選されなければ俺たちの権益は水の泡だ。」と結集し、全オリガルヒ支援体制で再選させた。
 

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プリマコフ(1929~2015)
 以後、エリツィンはベレゾフスキーの傀儡政権になってしまった。ベレゾフスキーはロシア安全保障会議副書記、さらに独立国家共同体執行書記という重要ポストについた。しかし、オリガルヒたちは税金を殆ど払わない。ロシア経済はますます悪化し、1998年には「ロシア金融危機」が起こった。首相のキリエンコに代わり外相だったプリマコフが首相が就任した。プリマコフは諸悪の根源はオリガルヒだとして、検事総長スクラトフとともにベレゾフスキーたちの不正を追及し始めた。
 
窮地に立ったベレゾフスキー。その頃、頼みのエリツィンは酒の飲み過ぎで体調を悪化させていた。誰か起死回生のホームランが打てる人材はいないものか。1999年2月22日、その日はベレゾフスキーの妻レーナの誕生日だった。いつもなら大富豪らしく豪勢なパーティーをするところだが、この日の来訪者の姿はまばらだった。ところが意外な人物が大きな花束を抱えて現れる。FSB(秘密警察)長官のプーチンだった。
 
 
プーチン(1952~)
 
ベレゾフスキーはプーチンを疑った。プリマコフはFSB長官の先輩だからである。「君は何故プリマコフとの関係をややこしくするのだ?」「私は貴方の友人だ。貴方が潔白なのは私が知っている。」そう言ってプーチンはにこりと笑った。窮地に立つベレゾフスキーにとってこの会話は決定的だった。ベレゾフスキーはプーチンを次期大統領にしようと決めた。ベレゾフスキーはプーチンに言った。「君は大統領になる気はないか?」「大統領?とんでもない。そんな柄じゃありませんよ。」「じゃあ、何が望みなんだ?」「私はベレゾフスキーになりたい。」二人は固い握手をした。
 
プリマコフの政策は成功し、ロシア経済は初めてプラスに転じ、ベレゾフスキーをポストから降ろした。しかしベレゾフスキーはエリツィンにプリマコフを解任させプーチンを首相にさせた。プリマコフは共産党委員長のジュガーノフと手を結び次期大統領の最有力候補になるが、ベレゾフスキーはプーチンを支える政党「統一」をつくった。任期満了前にエリツィンは健康悪化で引退、大統領代行になったプーチンが2000年3月の大統領選挙で正式な大統領になった。
 
~~さわやか易の見方~~
 
******** 上卦は火
***   *** 太陽、明知
********
***   *** 下卦は地
***   *** 大地、大衆
***   ***
 
「火地晋」の卦。晋は進む、昇進する。太陽が地上から昇っていく象である。順調に昇進していく様でもある。何をやっても上手くいく。幸運に恵まれた者は遠慮なく能力を発揮すれば良い。ただし、周囲への感謝を忘れないことである。何が起こるか解らないのが私たちの人生である。
 
ソ連が崩壊した時に、IMF(国際通貨基金)は「バウチャー方式」を勧告した。これはどんな目的があってしたことだろうか。始めからロシア国民がバウチャーなど解らないことを承知の上で勧告していると思う。ということはIMFはますますロシアを混乱させ金融危機を起こさせるのが目的だったのではないだろうか。IMFからは絶対に融資を受けてはいけないということである。
 
プーチンとベレゾフスキーの関係はナポレオンとポール・バラスとの関係に似ている。ポール・バラスは「悪徳の士」と呼ばれ、散々不正はしたが、恐怖政治のリーダーだったロペスピエールを仲間と共謀して逮捕、処刑した。お陰で恐怖政治が終了したのだ。また無名だったナポレオンを引き上げたのもポール・バラスである。権力は平穏なところには存在しないようだ。

EUの拡大と試練

2018-09-03 | 20世紀からの世界史
チャーチル(1874~1965)
 
ヨーロッパの歴史は戦争の歴史と思われる程、ヨーロッパ各国は戦争でしのぎを削ってきた。それが20世紀になって二度の大戦争を経験し、もう二度と戦争はしたくないという厭戦気分が起こったのも当然だろう。戦争をせずにお互いが協力すれば経済的にも安全保障の上でも良いことに決まっている。1946年に、ウィンストン・チャーチルは「ヨーロッパ合衆国構想」を唱え反響を呼んだ。
 
フランスとドイツの国境側にあるルール地方は石炭と鉄鋼の生産地であり、いつもこの地方を巡って戦争になっていた。1951年、この地方にフランス、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、西ドイツの5か国は「欧州石炭鉄鋼共同体」という共同体を設立する。さらに、1957年には「欧州経済共同体」と「欧州原子力共同体」が設立された。1967年にこの三つの共同体が「欧州諸共同体」という一つの共同体になった。
 

ベルリンの壁崩壊(1989年
 
ヨーロッパ各国は全て陸続きであり、国境も道路で繋がっている。パスポートも要らず同じ通貨であれば便利である。人、物、金が自由に移動出来れば大きな利益を得られる。紆余曲折はあったが徐々に加盟国が増え、共通の通貨制度も論じられるまでに拡大していく。1973年にデンマーク、アイルランドが、1981年にギリシャが、1985年、スペインとポルトガルが加盟した。1986年には欧州旗が各機関で使用されることになった。
 
1989年、東ヨーロッパ諸国の政変、ベルリンの壁が崩壊する。ドイツは再統一され、東側諸国にも共同体加盟のドアが開かれた。1993年、12か国の加盟で、欧州共同体に外交、内務を加えた三つの柱からなる欧州連合(EU)が発足した。同時に単一通貨「ユーロ」発行が決議された。欧州中央銀行が設立され、1999年、ユーロが導入される。2002年1月、念願のユーロの紙幣と硬貨の一般流通が開始され、旧通貨からの移行が始まった。
 
 
ギリシャ・パルテノン神殿
EUは一方で、加盟国の外交、安全保障政策にも取り組んでいかなければならない。ヨーロッパには火薬庫といわれるバルカン半島も抱えている。1990年代にはユーゴスラヴィア紛争が起こり、複雑な民族問題にEUがどこまで介入し紛争を解決出来るかが問われる。1999年には「アムステルダム条約」にて、雇用問題や自由、安全保障、司法政策についても機能するべく進化させた。
 
各国間の国民性の違いもあるし、経済格差の問題もある。2010年の「ギリシャ危機」ではEUの改善指摘に対してギリシャ政府の出した3か年財政健全化計画は余りにも楽観的だった。その結果、外国為替市場ではユーロが下落し、各国の株価まで下落してしまった。EUはギリシャに対し支援の条件として増税、年金改革、公務員改革、公共投資削減など厳しい緊縮政策を求めたが、ギリシャ政府の動きは遅い。ギリシャの国民投票では「緊縮反対」「ユーロに残りたい」である。
 

メイ英首相
 
EUの基本は人、物、金の移動自由であるので、東欧を加盟国にすると東欧から経済的に豊かなドイツやイギリスへの移民が急増した。フランスでも移民が増え、自国民の失業率が高まる問題も出てきた。また中東情勢の悪化を受け、リビアやシリアからの難民問題は各国をさらに悩ませることになった。その上、移民と称してテロ組織が入国した事実もあり、各国はその予防対策が政局を左右、移民を拒絶する政党が勢力を拡大しつつある。
 
2016年、世界を驚かせたのはイギリスの国民投票でEUの離脱が決まったことである。移民の増加によりイギリスの文化、コミュニティ、職場が奪われているという理由でイギリス国民は離脱を選択した。数々の試練を乗り越えながら拡大してきたEUが最大のピンチに立った。世界のグローバリズムから各国のナショナリズムへの方向転換になるのか、EUだけではなく世界中が今後の行く末を考え始めた。
 
 
 
~~さわやか易の見方~~
 
 
 
***   *** 上卦は沢
******** 喜び、親睦
********
***   *** 下卦は地
***   *** 従順、大衆
***   ***
 
 
 「沢地萃」の卦。萃(すい)とは人や物が集まることである。草や木が群生している象からきている。ちょうど砂漠にオアシスがあるように旅人や動物たちが集まってくる。平和や繁栄は人々の調和があればこそ得られる。指導者たるものは天や祖先に感謝を捧げ、自分の力を過信せず、傲慢を戒めねばならない。
 
ヨーロッパを一つにするという夢に過去二人の英傑が挑戦した。16世紀に出たハプスブルグ家のカール5世と19世紀に出たフランスのナポレオンである。カール5世は宗教対立によって果たせなかった。ナポレオンはロシアの冬将軍に敗れた。「ヨーロッパ合衆国」の夢は実現できるだろうか。国民性の違い、経済レベルの違いを超えて、統一する大政治家が出現するだろうか。
 
かつては世界の中心はヨーロッパであったが、現在はアメリカ、ロシア、中国の陰に隠れている存在になった。ヨーロッパ全体が一つになれば、新しい世界が始まるだろう。その前には人類が衝撃を受ける程の大試練があるかも知れない。何が起こるか解らないのが人類の歴史である。その時、日本はどんな役割を果たすのだろうか。何が起こってもあわてない精神だけは持っていたいものである。