さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

花と月と歌

2014-04-20 | 名僧たちの求めたもの

奥州藤原三代


西行は元々武士であり、エリート武士としての将来も約束されていた。宮中での評判も良かった。家族もあったし、友人も大勢居た。厭世も人嫌いも西行にはおよそ縁が無い。もともとは出家するなど考えたことがなかった。その点同じく約束された生活を捨てて自ら孤独と自由を求めて出家した良寛とは全く違う。

中宮・璋子(たまこ)との成り行きで出家はしたものの、僧としてどう生きてゆくのか、そこから始まった。都の近く、小倉山や鞍馬山そして吉野山に庵を結んだ。やはり西行は璋子の住む宮中から離れたくはない。璋子が出家し、法金剛院に入ると遭いには行けないが側で見守りたかっただろう。こんな歌が西行の心境を物語る。「世の中を捨てて捨てえぬ心地して 都はなれぬ我が身なりける」

璋子の一周忌が済むと、西行は都を離れた。「涙のみかきくらさるる旅なれや さやかに見よと月はすめども」陸奥の国に旅立った。2年余りの旅だった。奥州藤原氏は西行の一族、しばらく逗留したのだろう。その間に作った月と花の歌は数知れず。その一部。(月も花も璋子の面影)

思ひかへす悟りや今日はなからまし 花にそめおく色なかりせば

春を経て花のさかりにあひ来つつ 思い出多きわが身なりけり

憂き世にはとどめおかじと春風の 散らすは花を惜しむなりけり

吉野山こずゑの花を見し日より 心は身にもそはずなりけり

面影の忘らるまじき別れかな 名残りを人の月にとどめて

ともすれば月すむ空にあくがるる 心の果てを知るよしもがな

あはれなる心の奥をとめゆけば 月ぞ思ひの根にはなりける

ゆくへなく月に心の澄み澄みて はてはいかにかならむとすらむ

~~さわやか易の見方~~

******** 上卦は火
***  *** 文明、文化
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******** 下卦も火
***  ***
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「離為火」の卦。易での「離」は別れるではない。むしろ反対の付く、付着、出会いの意味がある。また、文化、文明を表すことからある文化に遭遇するともとれる。人生は文化により豊かなものになる。

西行が僧となり、先ず陥ったことは目的が持てないことだった。迷い苦悩するばかりだった。人は悩みの中から光明を見出すもの。音楽、美術、文学に目覚めるものは皆苦悩を体験する。西行が悩んだ末に出会ったものが歌であった。

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