さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

アフリカ分割

2016-05-01 | 名画に学ぶ世界史
アフリカ分割

 

ヨーロッパ勢力のアフリカ進出は、15世紀の大航海時代に始まるが、当初は沿岸部に限られており、中央部については長く「暗黒の大陸」と言われる程未開の地であった。19世紀に入り産業革命が進むと工業原料の供給地として、また工業製品の市場として、列強は植民地支配を開始した。
 
奴隷貿易を廃止し、原住民の権利は認めるようにはなったものの、人種的文明的には劣等にあるもので、植民地支配は文明の名のもとに正当化され当然なものとされた。1884年のベルリン会議で「先に征服したもの勝ち」と決められ、植民地獲得競争は一段と激しくなった。
 
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アブド・アルカーディル(1807~1883)
 
フランスはイギリスと植民地獲得競争をし、エジプトとアルジェリアの獲得を目指す。エジプトはスエズ運河建設で一時はフランスが優位に立ったが、エジプト政府所有の株式をイギリスに買われて事実上イギリス支配になった。
 
アルジェリアはオスマン帝国の支配地だったが、16年に及ぶ戦争の末、1847年フランス領になった。最後まで抵抗したアルジェリアの指導者アルカーディルは逮捕、投獄されたが、1860年にナポレオン3世からレジオン・ドヌール勲章を授けられた。
 
 
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キッチナー将軍(1850~1916)
 
その後フランスは1881年にチェニジアを保護国とし、モロッコを影響下に置くとサハラ砂漠を越えて東アフリカを目指す。南北縦断を目指すイギリスに対し、フランスは東西の大陸横断政策を推進した。1881年に東アフリカにジブチ植民地を建設する。同年、スーダンのファショダに於いてナイル川を南下して来たキッチナー将軍率いるイギリス軍と遭遇する。
 
この「ファショダ事件」はあわや両軍の激突かと思われたがキッチナー将軍とフランス軍のマルシャン将軍との会見で事なきを得た。スーダンの植民地問題についてはフランス外相デルカッセの英断により、イギリスに譲ることになる。見返りにフランスはモロッコへの優先権を獲得した。
 
 
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ベルリン会議
 
1871年に統一されたばかりのドイツ帝国は国内問題の解決優先だったので、植民地獲得には大きく出遅れる。1884年、ベルリン会議で早い者勝ちと決まったのでそこから猛ダッシュをかけ、カメルーン、タンザニア、西南アフリカ、トーゴランドを支配下にした。
 
1890年、ビスマルク引退後にヴィルヘルム2世はモロッコを支配しようと、何度もフランスに挑みかかった。この「モロッコ事件」はフランス側に付いたイギリスとの関係が深くなり、ドイツは孤立することになっていく。
 
 
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アドワの戦い
 
イタリアも統一されたばかりなので、植民地競争には出遅れた。残っていた紅海沿岸のエリトリア、ソマリランドをどうにか領有した。1896年にエチオピアに手を伸ばそうとして戦争を始めたが、「アドワの戦い」に敗れてしまう。エチオピアはアフリカで唯一独立を守った国になった。
 
その後20世紀になって、弱体化したオスマン帝国と戦争を起こし1912年にリビアを領有した。
 
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ベルギー王レオポルト2世
 
アフリカの中央にあるコンゴでは許されざる非道支配が行われていた。かねてより植民地を探していたベルギーの国王レオポルト2世は探検家スタンリーより象とゴムの木が豊富なコンゴを知る。議会で反対にあった国王は私費で購入、私有地にする。象牙とゴムの生産で巨額の財をなし、豪華な宮廷をいくつも建設し、何人もの愛人を持ち優雅に旅行する。
 
ゴム生産では強制労働を課し、ノルマを達成できないと右手を切り落とした。そのため働けなくなり死んだコンゴ人は数百万人にもなった。支配する公安軍は完全歩合制で右手の数で賃金が払われたので、腐らないように切った右手を薫製保存していたという。
 
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手を切り落とされたコンゴ人
 
次々と領土を広げ、ベルギー本国の77倍の面積になった。実態を知ったアメリカ人宣教師やイギリス人ジャーナリストにより悲惨な実態が暴かれた。コンゴはベルギー政府が国王より植民地として買い取ることになる。
 
レオポルト2世の名声は地に堕ち、王妃や娘にも疎んじられた。死の直前に愛人と結婚を強行したが、死後は無効とされ愛人は宮廷を追われる。敬意を持つ国民はなく、葬儀での棺に唾を吐きかける者もあったという。生前、親族であるオーストリア帝国のフランツ・ヨーゼフ皇帝は「本物の悪党」と呼んでいた。
 
~~さわやか易の見方~~
 
***   *** 上卦は沢
******** 水が流れる 
********
***   *** 下卦は水
******** 困難、悩み
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「沢水困」の卦。困の字は四角の中に木が閉じ込められている象である。囚われの身ということが出来る。植民地とは支配する方と支配される方がいる。支配される側は困そのものだ。喜んで受け入れることなど出来ないだろう。しかし、希望を失わないことだ。いつか光は必ず差してくる。
 
コンゴ人には本当に気の毒な時代である。新大陸発見で沸いた16世紀のコンキスタドール(征服者)を思い出す。あの時も銀を持参できない原住民の手足を切った。まるで動物扱いである。これでは人間も動物と変わらないではないか。レオポルト2世などは動物以下としか言えない。
 
植民地獲得競争ではドイツが出遅れた。この不公平感が次の大戦争に繋がる。イギリスを最大のライバルとして建艦競争が始まる。帝国主義が戦争につながるのは必然なのだ。世界の指導者が最も戒めねばならないことだろう。「和をもって尊しとなす。」この精神が広くゆき届くことを望まないではいられない。
 

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