良寛。1758~1831
良寛の魅力は何だろう。現代人が忘れがちな心の豊かさに気付かされる人だろうか。私の良寛に抱くイメージは「清貧の文化人」である。和歌、漢詩、書画いづれも当時一流でありながら、地位と名声を嫌い心の豊かさだけを追求した人。貧しい農民や子供たちに好かれたが、一銭も稼ぐことをせず乞食のような生活をした人。峻厳にして近寄り難い鎌倉時代の祖師たちと違い、人間的であり親しみ易い僧。では良寛はいったい何を求めて生きたのだろうか。
良寛の生きた時代は親鸞、道元、日蓮から約500年後の江戸時代後期である。争いが絶えなかった鎌倉時代とは違い、幕藩体制が定着し各藩の政治制度も整い庶民の生活もそれなりに安定していたと思われる。そんな越後(新潟県)の出雲崎に橘屋という名主のもとに良寛は生まれている。生活には不自由はしない筈である。何故良寛は家も親族も棄てて出家したのだろうか。
良寛の73年の足跡を辿りながら、良寛が求めた心の豊かさとは何かについて考えて見たいと思っている。始めに40代の良寛が厳しい寒さに耐えながら暮らした五合庵で作った漢詩を照会したい。
生涯、身を立つるに懶(ものう)く/騰々(とうとう)、天真に任す/嚢中(のうちゅう)、三升の米/炉辺、一束の薪(たきぎ)/誰か問はん、迷悟(めいご)の跡/何ぞ知らん、名利(みょうり)の塵/夜雨、草庵の裡(うち)/双脚、等(とうかん)に伸ばす
もとは全て漢文である。訳文など記すと趣を亡くすことになるとは思うが、自分なりに表現してみると。
立身に興味もなく、生涯を棒に振ってしまい/何とかなるだろうと、天に身を任せてきた/今日はずだ袋には3升の米が入っている/囲炉裏の側には一束の薪もある/迷ったり、悟ったり、その繰り返し/名とか金とか、そんなもの塵のようなもの/外は雨だが、小屋に居るから大丈夫/足を投げ出し、俺はこうして生きている
~~さわやか易の見方~~
******** 上卦は天
******** 剛、強、大、陽
********
******** 下卦は山
*** *** 動かざるもの
*** ***
「天山遯」の卦。遯は逃れる、隠れる。隠遁すること。時流が自分に味方せず、居場所がなくなる時、君子は隠遁して身を隠す。衰運が過ぎるのを待つのである。
その社会に溶け込み、その人に合った人生を送ることが一番である。ところが、社会は兎角平均的人間を求める。平均から外れた人間はどうしても社会からはみ出てしまうことがる。しかし、天はそんなはみ出し者を見捨てはしない。はみ出し者も天に愛されていることに気付いて欲しい。
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