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ホロドモール!

2022年03月03日 23時38分02秒 | 日記

ソ連政府(ロシア)に対する嫌悪感を長い間ウクライナ国民は胸に秘めて生きてきたのです。それは1932年から1933年に起きたホロドモールと言われる人工的な飢饉をウクライナ人に押し付けた事件を人々は忘れていなかったのです。死者数は400万人から1450万人と言われていますが、定かではありません。

この飢餓の主たる原因は、広範な凶作が生じていたにもかかわらず、ソ連政府が工業化の推進に必要な外貨を獲得するために、国内の農産物を輸出したことにありました。その意味で大飢饉が人為的に引き起こされたものであることは否定できないのです。ウクライナの前々政権は、これをもってウクライナ人に対する大量虐殺であったと主張し、国際的な同意を募った。一方、現代ロシアの歴史家を中心に、大規模で悲惨な飢饉があったという事実認識には同意するが、飢饉の被害はウクライナ人のみならずロシア人やカザフ人にも広く及んだと指摘して、これがウクライナ人に対する民族的なジェノサイドであることを否定する議論もあり、見解の相違は埋まっていない。

2007年、ヴィクトル・ユシチェンコ大統領はホロドモールを否定した者を刑事的に処罰するための法案提出を促した。刑は罰金最大1000ドル、懲役最大4年となる予定であった。

2008年、ホロドモール発生75年を記念して、キエフにウクライナ飢饉犠牲者追悼記念館が開設。2010年には国立化され、ホロドモール犠牲者追悼国立博物館と改称された。

ウクライナで収穫された穀物はロシア人の胃袋を満たしましたが、多くのウクライナ人は飢餓に苦しみました。犬、馬、人間の死肉を食べて生き延びた方の子孫が現在のウクライナ国民なのです。

いままさにこの瞬間も、このホロドモール犠牲者追悼国立博物館まで侵攻ロシア軍の砲撃の危険にさらされているのです。絶対にロシアの侵攻に死ぬまで抵抗することをウクライナ国民はやめないでしょう。このホロドモールの事実を暴いたのは当時のイギリス人記者だったのです。多くの国が大恐慌で苦しんでいるのにも拘わらずソ連だけが潤っている実態を解明しようとソ連を訪問しました。そしてウクライナの穀物を大量輸出してロシアが潤っていた事実をつかんだのです。飢餓で何百万人とウクライナ人が死亡しているのにも関わらず、モスクワでは裕福な暮らしを楽しんでいるという真実を公表したのです。

飢餓に苦しめられたウクライナ人はロシア人憎しの立場から独ソ戦ではドイツに味方してドイツの軍服を着た人も多かったのです。そのため戦後、ロシア人からウクライナ人は裏切り者呼ばわりされましたが、そのような立場に追い込んだのもロシアの指導者だったことを忘れてはいけないのです。

 


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