kananagaの日記

音楽したり絵を描いたり紙芝居したりするkananagaの暮らし

夏の旅

2007-07-13 | 日記
向井山朋子さんのコンサート「夏の旅~シューベルトとまちの音」@門仲天井ホールへ。

「旅に出るといつも考えることがある。
 知っている、ってなんだろうって。
 知っていたつもりだった事柄が、一瞬のうちに無効になったり、
 知らない場所の知らない人たちに妙に親しみを覚えたり。

 誰もが聴いたことのあるシューベルトの即興曲に、そこに住む人たちが
 集めた街の音のサンプルを織り込んでいく。
 それは東京から始まって、北に進む旅とともに少しずつ形を変え続ける。
 ゆっくりと、私達が「知る」まえに。」

と、ある。コンサートは、とても印象に残るものだった、朋子さんを、観た。すごい。朋子さんの演奏は、すごく向き合っている音がする。そこまで見なくてもいいのかもしれない(たぶんキツイ)ところにも、ぱっと見、軽々と、境目なしに踏み込んでいく。そこには、ある意味気負いはなく、もしくは、生まれてからずっと気負っていて、もしそうだったら、どこまでも自然体で、無防備なまま動いている、ってことになる。とにかく、そういうところまでいっていることで、その表現は、強烈でしかも優しい。それにふれることで、kananagaのまわりにドロドロとはりついているなにかに、溶解液をいれてもらったみたいな感じがする。

朋子さんが今準備中のプロジェクト「wasted」への参加呼びかけメッセージが書かれたものを、コンサート後に手渡される。冒頭、書いておいてみる。

「今夜はそこに座っていてくれてありがとうございました。

コンサートホールという特殊な空間で音楽の持つ熱のようなものをみなさんと共有できることは私にとっていちばんの喜びです。
いつの頃からか、私はその熱の行方が気になっていました。
それはすぐに散ってしまうものなのか、どこかに残って保たれていくものなのか、観客の方が家に持って帰って、何か別のものに変容していくのか、って。
ここで交換したこの熱(エネルギーといってもいいか)を取り出し、繋げて、新たな形を与えたいと思って始めたのがwastedです。」

やりたいこと、思ってることが、ストレートに、すごく、よくわかる。うまくいえないけど、色々思う、感じる、あー、感覚的に、わかる、という感じ。これに参加することは、ひとによっては、嫌なわけではなくとも、かなり躊躇する内容のようなんだけど、kananagaは全くためらいなく、参加表明を出してきた。ふーん、そのへん、なんでだろう。年末にはwastedの3か国語のサイトが立ち上がるらしい。

今日、久しぶりに、朋子さんの娘のキリコに会った。無茶苦茶かわいい、12歳。彼女が3歳の頃、お家に何日か泊めてもらってて、だいぶ一緒に遊んだ。朋子さんなしで、野村誠とキリコと3人で、美術館におでかけなんかもしたなあ。7歳か8歳の頃、ちょっとお家をたずねたときも、少しおしゃべりしたけど、でもキリコは、憶えてないらしい、ありゃー。でも、ちょっとしゃべると、ああ、本質的には、3歳の頃とかわらないなあ、と思った。打ち上げでキリコが、みんながちゃんこ鍋をつついているところを、丁寧にスケッチしていた。すごい集中力だ。「夏の旅」の当日パンフの中にある青空背景の写真は、キリコが撮ったものらしい。