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なにかの映画を観た後で自分自身にとってこの映画が良かった。悪かった。の評価の判断基準は・・唸らされた。何とも思わない。腹立たしい。^^の直感的な3段階判断なのである。本作「弓」は良い意味で唸らされた作品なのである。
本作もキム・ギドク監督らしい抽象的な表現作品なので色々な解釈が出来楽しめるのである。
(あえてブログ内では本作の解説は致しません。)
映画鑑賞後にプログラムを購入した。
(余程気に入った映画しか買わない何年振りだろうか?)
プログラムの中でNHKの「ハングル講座」でお馴染みの小倉紀蔵が「水平の矢と垂直の矢」という題名で韓国の歴史や文化にも触れ 本作「弓」をコメントしているのが、とても興味深い。(下記 一部引用)
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日本文化における刀剣への傾倒に匹敵する。日本では刀剣の美と精神は極限までにたかめられ思想化されたが、韓国文化においては刀剣に対してそのような精神性の追求という側面は弱かった。刀剣のかわりに、その位置をしめていたのは、弓なのである。
弓の抽象世界は多用だが、韓国においてはおそらく、「あこがれ」という概念と最も強い関係があると思われる。-中略ーところで奇妙なことに、韓国語には「あこがれ」という言葉がない。いや、正確に言えば、「あこがれ」という概念はもちろんあるのだが、それを「憧憬」という漢字語で表現している。-中略ー
「あこがれ」という意味の固有語が韓国語にはないのである。
これはどうしたことか。あれほどあこがれの強い民族が、どうしてそれを中国の漢字でしか表現しないのか。そのわけは、この民族特有の「ハン」という言葉に宿っている。
この「ハン」は漢字では「根」を宛てるが、もともとは漢字語ではなく、日本語の「うらみ」とはことなる概念である。
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つまり「あこがれ」と「無念」がひとつになっているような思い、それを「ハン」という言葉で表し、自ら「われわれはハンの多い民族」と表現する。
この映画では、弓はまさにそれをひく者それぞれの「ハン」を象徴している。男は女を守り、囲い込むために「ハン」の矢を放ち、女は自らを解放し自由へのあこがれを体現するために「ハン」の矢を射る。しかしそれらは互いに衝突し拮抗する
「ハン=あこがれ」なのだ。矢に二種類がある。「水平の矢」と「垂直の矢」である。前者は獲物を殺し、敵を倒し、自らの欲望を満たすために放たれる。
人は「水平の矢」を放ち合いながら、相手を傷つけ、自ら傷つく。
しかしこれとはまったく別の矢が存在することに、やがて気づくようになる。
それは天に向かう「垂直の矢」である。地上の欲望とあこがれを超越し、浄化する天上世界への「ハン」を載せて、人は「垂直の矢」を放つのである。
自ら理想とする世界に、居場所がないと知ったとき、人は絶唱のように「超越へのあこがれ」を籠めて弓をひく。
そして没落するのである。映画の最後で超越(上昇)没落(下降)を描ききったキム・ギドクは、やはり希代の神話家であった。
以上「弓」プログラム一部引用
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本作映画「弓」をご覧になり・・上記の小倉紀蔵氏の引用を一読すればもっと身近にご理解頂けるとおもいます。
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キャッチコピーも泣かせるぞ^^。
「あなたに、魂、つながれて。」
キム・ギドク監督作「弓」URLhttp://yumi-movie.net/index.html