かめ設計室*3丁目通信

2005年4月より、西新宿にて一級建築士事務所かめ設計室がはじまりました。3丁目からのかめバー通信。

大きな屋根の下の大らかな家族3

2007年03月15日 | 仕 事
 シャンプーがなくなるから明日買ってこないとなという暮らしと、シャンプーも歯ブラシも歯磨き粉も人数以上になぜかいっぱい置いてある暮らしとでは、まるで暮らしの作法が違うんじゃないか。
 手に持ちきれないから醤油を買うのはまた今度にしようかという暮らしと、ワゴンに何でも入れて車で持ち帰る暮らしとも、同様でしょうか。お金に頓着しないというのとは別の話です。小さな声・小さな足音の家族と、大きな声・大きな足音の家族とでも、まるで暮らしの作法が違うんじゃないか。
 いろいろとありますが、前者と後者では随分住宅設計も違ってくるのだと思います。建て主の年齢や体格、職業、趣味の差異よりも大きい事かもしれないなどと、勝手な事を考えてしまいます。後者だから洗面台は大きくとか、台所収納をたっぷりと、とかそういう直接的な話というだけでない判断を、住宅の質のようなものを決める時にどこかでしているんだと思います。もちろん関係ないという設計者も多くいることでしょう。
 そういう直接的な話というだけでない判断。何もうまく言葉にできていませんが、ここの所の判断が程よくヒットすれば、いい設計に近づくような気もしています。ただ設計の一面にすぎませんが。

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2 コメント

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Unknown ()
2007-03-16 11:15:57
3連記事、とても楽しんでいます。

彼女は待ちに待った外務省との契約が済み、出発は3/23にほぼ決まりそうです。彼女にとっては希望より大分遅れた出発となりましたが、遅れたことで出来た時間で、沖縄の親族に彼女を紹介しに行こうと思い立ちました。この間の週末を利用した短い期間でしたが、雨と風の寒い沖縄で、石川公園、今帰仁公民館、名護市庁舎を見て回りました。彼女の新しい仕事が始まる前に一緒に行けて、よかったと思っています。

“分かりやすい”ということは、“分かりにくい”ところを排除したに過ぎないんだなぁとよく思います。器用に取り入れ、利用できるほど人間は空っぽではないし、また有能でもないのではないかな。とすれば全体的な価値は下がっているんですよね。様々なことが細分類化されて、とかく“分かりやすい”ことが良いことだと思われる現代にあって、

「これら全てが設計ではないか」

こういう感覚が、とても素敵で大切なことのように思います。当たり前の、ことなのかもしれませんが、こういう感覚で生きていたいです。
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Unknown (かめ)
2007-03-18 15:24:21
沖縄は、二十歳の頃、夏の終わりに行ったきりです。
エイサーを見たくて、確か昔のコザというところの安宿にしばらくいました。夜になると町にエイサーの音が響いてました。まだ象を知る前の事です。ずいぶん時間がたちました。
わかなさんにはよろしくお伝え下さい。
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