鹿児島県霧島市国分止上
「隼人塚」と伝承されるもうひとつの場所は、霧島市国分止上にある止上神社の南方、数百メートルほどの水田の中です。
現在、霧島市教育委員会によって石碑が建てられていますが、そこには
「止上神社の西南三百十六間の、真板田(まないただ)と呼ばれる水田の中に小さい森があり、そこは隼人の首塚である」という伝承を紹介しています。また、ここでは毎年正月の14日を初猟として、この日捕れた猪の肉を切って33本の串にさして地面に立てるという、隼人の霊を鎮めるための祭りを行っていたそうです。
前回紹介した隼人塚の性格がよくわかっていないので、どちらが本当の隼人塚であるか、ということは判断できませんが、或いはこのあたり一帯に住んだ子孫の隼人達や、他の地域から新たに入ってきた人々が、戦に斃れた人々の供養としてそれぞれ各々の場所でに祀っていたのかもしれません。
写真は、隼人が抗戦した際、最後まで残って抵抗した「姫城」であるとされる場所です。このあたりには「姫城」の地名が残ります。
下の写真は、止上神社です。
「隼人塚」と伝承されるもうひとつの場所は、霧島市国分止上にある止上神社の南方、数百メートルほどの水田の中です。
現在、霧島市教育委員会によって石碑が建てられていますが、そこには
「止上神社の西南三百十六間の、真板田(まないただ)と呼ばれる水田の中に小さい森があり、そこは隼人の首塚である」という伝承を紹介しています。また、ここでは毎年正月の14日を初猟として、この日捕れた猪の肉を切って33本の串にさして地面に立てるという、隼人の霊を鎮めるための祭りを行っていたそうです。
前回紹介した隼人塚の性格がよくわかっていないので、どちらが本当の隼人塚であるか、ということは判断できませんが、或いはこのあたり一帯に住んだ子孫の隼人達や、他の地域から新たに入ってきた人々が、戦に斃れた人々の供養としてそれぞれ各々の場所でに祀っていたのかもしれません。
写真は、隼人が抗戦した際、最後まで残って抵抗した「姫城」であるとされる場所です。このあたりには「姫城」の地名が残ります。
下の写真は、止上神社です。