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よりみち文化財

ちょっと寄り道して出会える、遺跡や石仏、史跡や鹿児島の田の神さぁを紹介

求名(ぐみょう)の田の神さぁ

2007年05月28日 | 田の神さぁ
鹿児島県薩摩郡さつま町

ワラヅト
田の神さぁにたすきがけに掛けられている藁の束は、「ワラヅト」と呼ばれるものである。像はもちろん石造であるが、この「ワラヅト」は本物の藁で丁寧に作られている。
「ワラヅト」は、「シキ」や「メシゲ」と同じく、田の神さぁの持ち物としては非常に例が多い。それもそのはずで、中に入っているのは種籾である。
田圃で稲の成長を見守る田の神さぁは、冬(オフシーズン?)には山に入り、山の神になると言われる。
ワラヅトに種籾をしまい、次の季節まで大切に抱えているのだろうか。

なぜ山に入るのだろう?
山には、強い生命力を与える力があるようにも思える。

国道267号沿い。大口市からさつま町にはいってすぐ、峠を下ったところの、求名におられる。




須杭の田の神さぁ

2007年05月26日 | 田の神さぁ
須杭の田の神
鹿児島県薩摩郡 さつま町

国道267号線の南側に沿って広がる、広大な水田を見渡す少し高台になった場所におられる。ここは須杭、あるいは二渡というところらしい。
この田の神さぁのそばに立って水田を眺めると、田の神さぁが豊穣の神様であるということが改めてよくわかる。
像高約142㎝。像を彫り出してある石は凝灰岩で、先端が尖った形をしており(写真)、仏像によくみられる舟形光背を表現していると思われる。袴や上衣など衣装の彫刻は非常に残りがよく、左手に持っているのは扇子のようである。向かって右側に「安永五歳十月吉日」という銘文がはっきりと読める。(安永5年=西暦1776年





漆の田の神さぁ

2007年05月20日 | 田の神さぁ
鹿児島県蒲生町 漆下

山間部に広がる水田沿いの道端におられる田の神さぁ。
像高約108cmと、腰をかがめているにもかかわらず、どっしりとして大きな像で遠くからでもすぐにわかる。この重量感は豊作の年の豊かな実りを感じさせる。
シキをかぶり、袴を着けて右手にはメシゲを持っていることから、田の神舞(たのかんめ)を映した姿であるらしい。タスキをかけて膝を立てた姿は、正面からみると今にも踊りだしてきそうな雰囲気である。

像立の記念に建てたと思われる石碑が向かって右側にあり、梵字「キリーク」と「享保三天奉御田神講寄進戊戌十二月」という銘が刻まれている。
享保3年は西暦1718年にあたり、田の神像としては最も古いもののひとつということになる。
梵字「キリーク」は本来阿弥陀如来を表すもので、必ずしも田の神さぁを表すものではないが信仰の対象として仏像に対するのと同じ意識があったのだろうか。

いま、この田の神さぁが立っておられる場所は道沿いの川にかかる橋のたもとであるが、広大な水田を眺めるような高台に立つ姿も見てみたくなるような存在感がある。

県指定文化財(1968年3月29日指定)


中福良の田の神さぁ

2007年05月15日 | 田の神さぁ
「中福良の田の神さぁ」
姶良町、中福良の八幡神社境内に立つ、田の神さぁです。
一般的に、田の神さぁ(たのかんさぁ)は、広がる水田が良く見えるような位置に立つことが多いようです。
そのほかには山林、公民館、家の庭先など。そのほか、もともと水田地帯に立っておられたのが、周辺の開発によって環境が変わったりしたものもあります。それぞれ、なぜそこにおられるのか?というと、実は理由があるようです。それについては今後このブログで紹介していきたいと思いますが・・・。

神社の境内に立つ田の神さぁは、ある集落のまとまりがそれをひとつの単位として一体の田の神さぁをお祭りしている。一つの集落がその田の神さぁを共同の信仰の対象とし、同じく信仰の対象であり公共の場でもある神社にお祭りしている。ということになると思います。
田の神さぁは、ほとんどが集落ごとに祭られます。
江戸時代の建立であると思いますが、銘がなく時代は特定できません。

田の神さぁの紹介が続きましたが、このブログでは田の神さぁ以外にも、
「ちょっと寄り道して楽しめる文化財」「それほど知られていなくて、大掛かりでもないけれど、はるかむかしの人々のことを懸命に伝え続ける存在としての文化財」
を紹介していきたいと思います。
それに、ちょっと自分の趣味なども・・・。


塚崎の田の神さぁ

2007年05月14日 | 田の神さぁ
鹿児島県肝属郡肝付町塚崎

国指定史跡塚崎古墳群を訪れた際、近くに田の神さぁがあると聞いたので立ち寄った。
僧侶の姿を映した僧形立像である。シキをかぶって右手にメシゲを持ち、左手には宝珠と思われるものを持つ。写真には写っていないが、二個ならべた米俵の上に立っておられる。
男性像であるが、女性像のようにも見える。田の神さぁは男性の場合も女性の場合も、またその両方、ふたり並んでいるのもある。たいてい穏やかな笑顔なので、表情からは男性か女性かわからないものが多いが、たいていは男性像のようである。
田の神舞の姿を映したものがやはり大半だが、田の神舞を演じるのは男性の役割なのだろうか。女性のみで演じられる田の神舞もあるが、やはり珍しいものらしい。男性像ではほかに神職や田の神舞を舞う姿、坐像といろいろある。女性像に見える場合はこれのように穏やかな表情の立像が多い。信仰の対象としての女性像はやはり観音様のイメージが強い。田の神さぁの笑顔はまた、仏像の表情の穏やかさに似ている。
さらに近くに「野崎の田の神さぁ」があるが、非常によく似ていてどちらも同じ人物による作と思われる。
像の前の花生けには延享三年(西暦1746年)とあり、江戸時代の作である。

塚崎古墳群資料館前から県道539号を東に200mほど進むと、「塚崎の大楠」方面に向かう細い道路がある。
「塚崎の大楠」を左手に、さらにその道を南へ向かうと池があり、その池の堤防の東端に田の神さあがおられる。






田の神さぁ 加治木町日木山

2007年05月12日 | 田の神さぁ
鹿児島県姶良郡加治木町、日木山の「田の神さぁ」(田の神さん)。

九州道加治木ICから高速道路に入る前に立ち寄りました。
田の神さんは鹿児島と宮崎の主に水田近辺に見られる、豊作を願って建てられた石像で、「たのかんさぁ」と呼ばれます。この田の神さぁを祭るお祭りの際に踊るのが「田の神舞」と呼ばれる舞(踊り)ですが、この田の神さぁはその「舞」を舞っている姿を映したものと言われます。
江戸時代の建立で、当時田の神さぁの眼の前に広がっていたであろう水田も、周辺の開発で少なくなってしまったようですが、ずっと笑顔で立っておられます。
表情や仕草の表現はリアルで、「今年はこれまでになく豊作の年で、思わず笑みがこぼれてしようがない」といったような、喜びにあふれています。
「田の神さぁ」といえばまずこの笑顔を思い出すのは私だけでしょうか?
石仏や石像を巡り歩いていると、たしかに心和むような笑顔によく出会いますが、ここまでうれしそうな表情をされると、こちらも思わず微笑んでしまいます。
右手に持っているのは飯をつぐ「メシゲ」と呼ばれる、しゃもじのようなものです。
現地の案内板によると、江戸時代・天保年間(西暦1830~1843年)の建立で、現地の石工、名島喜六の作だそうです。
加治木産二瀬戸石(ふたせといし)製
像高:約85cm
精矛神社(日木山神社)の参道を鳥居の手前で道なりに西へ向かい、徒歩7.8分。高速道路をくぐって北へ向かうとすぐ。