後円部に埴輪が樹立されている。
主体部のレプリカ。どのように埋葬されていたかを表しているようだが・・・うーむ。
大友氏上原館土塁跡
大友氏は、鎌倉時代から戦国時代にかけて、九州の豊後国(現大分県)を本拠とした一族。豊後・筑後など北九州を支配した守護職・守護大名で、戦国時代には戦国大名に成長し、最盛期には豊後・筑後に加え豊前・肥前・肥後・筑前の6ヶ国と日向・伊予の各半国を領有したが、豊臣政権期に除封された。江戸時代には江戸幕府の旗本(高家)や大名家の家臣となって存続した。(ウイキペディア抜粋)大分市内に点在する古墳探訪のうち大臣塚古墳に立ち寄った際に少し散策したものである。
完璧なまでに修復されている。ただ主体部がちょっとね。5世紀初頭に築造された前方後円墳で三段築盛、しかも小さいながらも造り出しを持つ。写真でお判りだろうが埴輪が樹立されており、円筒形埴輪、家形埴輪、壺形埴輪と目を見張るものがある。全長は115mを測り大分県内では小熊山古墳と同じで最大である。海上から一目でわかるようにこの様な古墳を造りあげているのは大和政権連合国の証であり、ランドマークとしての役目も果たしているのであろう。兎に角素晴らしい古墳である。早朝ともなると古墳を巡る周回コースを健康のために歩いている人を多く見かけるぞ。良い空気を吸って健康にも持って来いだ。
大臣塚古墳近くに所在する。鎌倉時代から戦国時代にかけて北部九州を支配下に置いていた。一時期版図を広げ日向までをも取り込んでいた。それほどの力を持っていたが豊臣政権には赤子の様であった。