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街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

続またまた汐湯

2008-12-11 04:20:49 | 中津街道

 また汐湯に行く。好きなのである。とその前に綱敷天満宮に寄る。
また同じ所なのかと思われているであろうが、こればかりはご勘弁願う。
何故綱敷天満なのか。それはもうお判りであろう。来年の干支である。

 来年の干支が並ぶ。ここは牛の安住の地なのである。
まだまだ、まだまだワンパターンが続くのだ。
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山陽道散策

2008-12-11 03:28:24 | 街道関連

 街道から外れた場所で見つけた酒造元の表の映像である。前面の道幅が狭いので全体像を写すことが出来ないのである。
 もうお判りのように街道沿いとは異なる建物なのだということである。

 迷路を擦抜けて街道に戻り帰路に着く。お互いのホームで電車を待つ人達の姿がある。その向うには美祢線を行くディーゼル車の姿がある。まるでバスのように見える。
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山陽道散策

2008-12-10 00:37:54 | 街道関連

 なだらかな坂が終わり、真直ぐな道になる。ここまで来ると空が大きくなって頭上が開けてくる。向うに峠のある山が見える。だんだんと町から外れてくるので寂しさが増してきたであろう。少し街道から外れてみようと思って適当に四つ角を左に折れた。すると国道2号線に出る。正面に路地があって向うに何かが匂ってくる。

 偶然とは言えこれまで歩いてきた厚狭界隈には見なかった建物があったのだ。
ここは当時は酒造元だったようだ。それにしてもこの周りには迷路のように路地がはりめぐされているようだ。気をつけて歩かねば人家の庭先に侵入してしまうのである。街道を一歩、二歩と外れてしまうとこのようなものなのである。
 街道沿いだけでなくその中に入ってみないと新しい風景を見つけることが出来ないということがよくわかる。やはり歩かねば。
 今日もまた母と一緒に汐湯に行く。又かと思われるだろうが、私はこれで五回目となり、母は三回目だ。単に好きだからと言うだけではなく、母は背中の痒みが取れる。私は腰の痛みが軽くなる。そして薦神社に行くことが出来る。すばらしく一石三鳥なのだ。そして、賢い読者の皆様ならもうお判りであろうが、又、ブログネタか、とお思いになっているだろう。正解だ。もう飽きただろうな。
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山陽道散策

2008-12-09 07:29:13 | 街道関連

 川を渡ったこの付近には大きな建物が残っており、酒造元、酒屋と言った具合である。
 この付近からなだらかな上り坂となり、街道は右に弓なりになって街を外れて行く。街道は厚狭界隈を殆ど直線で通り抜け、峠に差し掛かって行く。
 画面の向うは厚狭駅方向である。

 上の写真と場所は殆ど変わらないが、何年か前に写した写真である。望遠を使ったフィルムカメラ(今はデジカメとの区別をするためいちいち断りを書かないといけないようだ)である。
 私好みの一枚で、名刺を作る時などに利用しているものである。背中を見せているのは私の妻だ。
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山陽道散策

2008-12-08 10:37:23 | 街道関連

 さあ橋を渡る。川の香りが橋上に吹き上がってくる。美味しい空気が鼻腔をくすぐっている。ふと見ると川岸に女の子とお父さんだ。二人で川面を見つめて何か話している。この様な光景を最近見ることがなかったので、ほんの一瞬ではあったが一服の清涼感を味わうことが出来た。この二人を見ることが出来たのは幸運である。

 川を渡ってから少しなだらかな上り坂になる。ここからはこれまでの街並みとは少しばかり趣が違ってくる。これまでは道の両脇が壁のように立ち、頭が締め付けられるような感があったが、これからは大きな建物なのだが、軒は低く大屋根のように三角になっているものだから空が大きく拡がって見えるのである。明るくてよい。
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山陽道散策

2008-12-07 00:59:57 | 街道関連

 厚狭~美祢~長門市を繋ぐ美祢線の踏切を渡る。歩いた道を振り返ってみると、街道は真直ぐに厚狭駅方向に延びて行く。両脇から覆いかぶさるようにして建物が街道に沿うのが良くわかる。その時代、線路によって寸断されてしまいここだけが明るい。なにか気が抜けたような感がする。

 踏み切りから橋までは数十メートル程なのだが、この間もやはり時代を感じさせる建物が立ち並んで、トンネルに入ったような感じになる。また、道幅もじわじわと狭くなってくるし、ほんの少しだが上っていく。
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山陽道散策

2008-12-06 09:45:55 | 街道関連


 厚狭を通る山陽道の佇まいを見ていただこう。街道の両脇に家々が立ち並ぶ。
それぞれに顔があって全体によい雰囲気を醸し出している。まだまだ歩く。
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冬色

2008-12-06 09:27:31 | Weblog

 我が家の裏山が冬色に染まった。標高差だろう。その温度差に境目が出来ている。雪が左から右、山上から裾へと凄い勢いで風が巻いて来る。それがスマートな私の身体に突き刺さってくる。風と雪が塊となってそこらじゅうにぶち当たっていく。

 日本には四季がある。全てに趣があってよいのだが、暖かい場所から冬を眺めるのがいいのであって、寒い真っ只中で見る冬はとてもじゃあないが趣など感じるわけにはいかないだろう。うぉー寒いぜ。
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山陽道散策

2008-12-05 07:32:06 | 街道関連

 間口の広い商店がある。当然のように昔からある建物ではない。昔からの建物であれば間口は狭いものである。納税に関わってくるから間口を狭くし、奥行きを潤沢に取る。所謂鰻の寝床である。
 
 見るに昭和30年代から40年代にかけて繁盛したのではないかと思えるが、その時点で時が止まっている様でもある。いや、確実に止まっている。だからこそこうしてのんびりと散策できるのであろう。道の両側に肩を寄せ合って商店が立ち並んでいるのは往時の名残のようだ。櫛の歯が透けた様にして空き地だけが残るがそこは正に鰻の寝床である。
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山陽道散策

2008-12-04 16:06:20 | 街道関連

 山陽道(西海道)を久しぶりに歩いた。下関、長府、小月、埴生そしてここは厚狭である。電車に乗って厚狭駅下車。すると駅前には三年寝太郎が出迎えてくれる。線路と平行に東西に延びる街道が残っており、左右どちらに行っても殆ど真直ぐな道である。駅から右に折れて歩くとすぐにこの光景となる。
 昭和が残る町の風景である。かの時代的な建物はほとんど残ってはいないが、しごく当然であろう。後背地に石灰岩を産出する美祢を擁して、活気が溢れた町であったろうが、いまは見る影も無い。ただ銘菓「ダイナマイト羊羹」という看板があって、当時の名残を思わせる唯一のもののようだった。

 人も車もほとんど通はない。歩くには持って来いではあるが、少し寂しい感がある。しかし、いまだに残るこの光景は、我々昭和半ば産まれの人間にとっては懐かしさの拠所である。地方の町が整備の名の下に画一化して特長の無い町へと改造されてしまう。ここはまだそのようになっていないだけでも貴重なのかもしれないが。
 ただ街道沿いの建物が消えて空き地が目立つ。これから先どのように変化していくのだろうか。
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