
なだらかな坂が終わり、真直ぐな道になる。ここまで来ると空が大きくなって頭上が開けてくる。向うに峠のある山が見える。だんだんと町から外れてくるので寂しさが増してきたであろう。少し街道から外れてみようと思って適当に四つ角を左に折れた。すると国道2号線に出る。正面に路地があって向うに何かが匂ってくる。

偶然とは言えこれまで歩いてきた厚狭界隈には見なかった建物があったのだ。
ここは当時は酒造元だったようだ。それにしてもこの周りには迷路のように路地がはりめぐされているようだ。気をつけて歩かねば人家の庭先に侵入してしまうのである。街道を一歩、二歩と外れてしまうとこのようなものなのである。
街道沿いだけでなくその中に入ってみないと新しい風景を見つけることが出来ないということがよくわかる。やはり歩かねば。
今日もまた母と一緒に汐湯に行く。又かと思われるだろうが、私はこれで五回目となり、母は三回目だ。単に好きだからと言うだけではなく、母は背中の痒みが取れる。私は腰の痛みが軽くなる。そして薦神社に行くことが出来る。すばらしく一石三鳥なのだ。そして、賢い読者の皆様ならもうお判りであろうが、又、ブログネタか、とお思いになっているだろう。正解だ。もう飽きただろうな。

山陽道(西海道)を久しぶりに歩いた。下関、長府、小月、埴生そしてここは厚狭である。電車に乗って厚狭駅下車。すると駅前には三年寝太郎が出迎えてくれる。線路と平行に東西に延びる街道が残っており、左右どちらに行っても殆ど真直ぐな道である。駅から右に折れて歩くとすぐにこの光景となる。
昭和が残る町の風景である。かの時代的な建物はほとんど残ってはいないが、しごく当然であろう。後背地に石灰岩を産出する美祢を擁して、活気が溢れた町であったろうが、いまは見る影も無い。ただ銘菓「ダイナマイト羊羹」という看板があって、当時の名残を思わせる唯一のもののようだった。

人も車もほとんど通はない。歩くには持って来いではあるが、少し寂しい感がある。しかし、いまだに残るこの光景は、我々昭和半ば産まれの人間にとっては懐かしさの拠所である。地方の町が整備の名の下に画一化して特長の無い町へと改造されてしまう。ここはまだそのようになっていないだけでも貴重なのかもしれないが。
ただ街道沿いの建物が消えて空き地が目立つ。これから先どのように変化していくのだろうか。
























