おっ 久しぶりじゃないか お前がここまで降りて来るなんて 何処見ようとや・・・はははは
黒猫のタンゴが気になるか・・・はははは 横目でチラチラ見ているようだぞ・・・
しかし お互い喧嘩しないからいい
おっ 久しぶりじゃないか お前がここまで降りて来るなんて 何処見ようとや・・・はははは
黒猫のタンゴが気になるか・・・はははは 横目でチラチラ見ているようだぞ・・・
しかし お互い喧嘩しないからいい
買物に行く道沿いのお宅に咲いている あのシナミザクラの隣で咲いている
香りが漂う ジャスミン である あっという間に咲いては枯れていった 早かったな
もうすこし香りを楽しみかったのだが
稲荷山古墳(さきたま古墳群)
さきたま古墳群は8基の前方後円墳と1基の円墳で構成(他小円墳群跡)されている。その中で最初に築造されたのがこの稲荷山古墳(前方後円墳 全長120m)で、5世紀末である。後円部には礫槨、粘土槨の埋葬施設が確認されている。ところが不思議なことに礫槨は後円部の中心にはないのである。粘土槨などは礫槨に直交している。中心部には別に本来の主体部があるようでもある。
また、ご存じの様に銘文の入った鉄剣が検出された。言わずもがなかもしれない。銘文には辛亥年=471年に乎獲居が作らしめたとあり、獲加多支鹵大王に仕えたとある。大長谷若建命=雄略天皇(478年 宋に使者を派遣した倭の五王最後に名前が出る「武」と言われる)だ。
この鉄剣がこの礫槨から検出されたのだから被葬者は乎獲居ではないのだろうか。
当該古墳は特筆されるべく長方形で二重の周溝を持つ。この形態が何代か続いていることも見逃せない。政権中央に出仕し大王の側近として存在した集団であったろう。大王と共に倭をまとめたのではなかろうか。
近畿圏ではなく関東地方と言うのが面白いぞ。
当該ブログの記事は令和4年5月2日から22日までである。