一斉に咲く気配が無い。咲いては落ち、咲いては落ちの繰り返しだ。
春はまだ先の話だが「夜来風雨声 花落知多少」だな。
鹿児島本線は明治24年に開業しているが、明治42年に本来の名称となった。
御覧の様に古さがお判りになるだろう。鹿児島本線下り線で、向うに見えるコンクリートが上り線である。
小さな煉瓦を平積みしたものだが・・開業当時のものかは判らないな。
碑が建てられている。墳頂だ。恐らく竪穴式石室があったろう。
向うは熊本方面である。
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