
少しの高みと石室を持つという痕跡がある。案内は無いが、こうして説明看板だけでもあるのは有難い方ではないかな。この地域を山門郡と書いて「やまと」と読ませるものだからこの地域を邪馬台国に比定する者まで現れたことは賢明なる読者諸氏であれば既にご存じなのかもしれないな。
日本書紀神功皇后記にあるのだが、「山門県(やまとのあがた)に行き、土蜘蛛ー田油津媛を殺した。田油津媛の兄ー夏羽が兵を構えて迎えたが、妹の殺されたことを聞いて逃げた。」と見える。それが基になって蜘蛛塚と名付けられたのかもしれん。景行天皇より神功皇后に由来するほうが強いと思われるのだが。
征伐した者にわざわざ石室を持つ古墳を造るかどうか考えても判るだろうに、やはり神功皇后に由来するだろう。
