原発を作るのも検査するのも、ほとんど素人がしているという実態でしたが、さらにいい加減さが上塗りされているのです。
原発建設現場工事の現場監督だった、平井氏は、
「経産省(もと通産省)は原発を推進しているところだから、そういうところと全く関係のない天下りや特殊法人ではない本当の第三者機関を作ってそこが検査をする。そして検査官は、配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が、検査と指導を行えば溶接の不具合や手抜き工事も見抜ける」と強く要望してきたけれど、少しも変わらなかったと言っておられる。
平井氏のこの話からすでに20年。未だにそんないい加減なことはなされているはずがないと思いたかったが、この3/11の原発事故からするとそのままだったんだとおもえる。
阪神大震災後、慌ただしく日本中の原発の耐震設計を見直して、その結果が9月に発表された。だがそれは「どの原発も、どんな地震が起きても大丈夫だという発表だった。
平井氏はそのことに対して、「自分が関わった限り初期の原発は、地震のことなどまじめに考えていなかった。それを、新しいものも古いものも一緒くたにして、大丈夫なんてとんでもないことだ。」といかっていた。そしてさらに、
1993年に女川原発の1号機が震度4くらいで出力が急上昇して、自動停止したというじこがあった。東北電力は停まったからよかったといっている。私もそうだ思っていた。ところが平井氏は、大変な事故だという。1984年に、震度5で停まるように設計されているのが震度4で停まったということは、5では停まらない可能性もあったと言うこと。つまり、設計道理にいっていないと言うことの表れなのだ。高速道路を走行中にブレーキを踏まないのに突然急ブレーキがかかってしまったのと同じ事だ。そんな車は欠陥車で、大事故につながりますよね。欠陥車は大問題になるのに、なぜ原発は許されるのか。
しかも、こういう地震で異常な停まり方をした原発は1987年に福島原発でも起きており、同じ型の原発が全国に10基もあるという。
何事も設計通りには行かないという教訓がすでにあったのだ。福島原発は小高い土地をわざわざ削ってたてた。チリ地震の時の津波で、海水が引き水がくめない、炉を冷却するのにあわやという状況にあった。地元の原発を問題視してきた人そして、共産党の人の議会での追及もあったと聞く。なんども見直す機会はあったにもかかわらず、それがなされなかった。その責任は。政府や電力会社にある。しかし、惑わされてしまって深く考えようとしなかったり、無関心に陥っていた私達にもある。無知・無関心はいかん。反省!
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