ホワイト・ゴットという映画を見た。
誰もいない、乗り捨てられた車、静かな街をただ一人の女の子が自転車で走る姿が映し出される。
緊張した不思議な感じで幕が開いた。
一転して、冒頭の女の子が甘えん坊の愛犬ハーゲンとじゃれあっていた。
この国は突然雑種の犬を排除する法を制定。雑種を飼うには重税が課せられる。
当然飼うことのできない犬は野良犬として街にあふれた。それを野犬狩りして捕獲してしょぶんされていくわけだ。
雑種は認めないなんて、なんだかナチス ヒットラーのユダヤ人排除のようだ。
植物でも交配があって、新しい性質が生み出されているのに、なぜ純粋種だけが優位だとされるのか。
だいたいその純粋種だって本当はその姿になるまでの間に、いろいろあって変化してきているのに ・・・・。
こんな事で差別や偏見が作り出されているのだ。
ナチスだけでは無い。私たちの中にも過去にチンコロ、チャンコロとか言って中国人、朝鮮人を差別した。
未だに何かの奥に潜んでいてあふれてきて、人種差別の言動をすることがないだろうか。
チンころ ちゃんころの裏返しに、大和民族と日本人を優秀な民族と上に置いた。
民族で一括りになんて考えるのもおかしな話だ。
いろんな人がいろんな得意なことがあって当たり前だ。ちょっと考えてみると分かるのに、なぜ騙されていってしまうのだろう。
人 なつっこい甘えん坊のこの犬ハーゲンは雑種であるため、重税とアパート暮らしだから、父親によって強引に路上に捨てられてしまった。
女の子は必死の探索。
ハーゲンは処分所の捕獲をのがれているうちに、闘犬に依って金を儲ける人間たちによって、獰猛な犬と変えられていった。
それは、これまでのように人間を信じて近寄って行き、優しく餌を与えられたと思うその時に恐怖心や憎しみをかきたてさせるように襲うことを繰り返ししていた。
喉元を狙う闘い方を仕込まれ、全くの別もののハーゲンに作り変えられた。
教育?の恐ろしさ。
とうとう捕獲されたが処分場から係員を襲って逃げ出した。処分所にいた野犬もその後をついて行った。
ハーゲンがリーダーで統率された集団として、自分を苦しめた人間だけを襲って殺害していくのだ。
復讐だ。
最後女の子にも、唸り声をあげ襲いかかろうとするハーゲン。その背後の野犬集団.
しかし、女の子が吹き始めたトランペットの音色メロディーを聴いて、甘えた声を出して座り込んだ。
可愛がってもらった頃を思い出したのだ。
ハーゲンについてきたすべての野犬が、次第に伏せていく。圧巻の不思議な力を感じさせるラストだった。
女の子もその場に伏せてハーゲンと向かい合い見つめ合う。
人間の都合で憎しみを植え付け残虐にさせた。でもそれを解放したのは、優しさ、心のつながりだった。
武力や脅し威圧、暴力で押さえ込んだとしても、それでは本当の力にはならないのだ。
武力暴力を持って制圧したように見えた。でもそれは又別の武力や暴力によって乗り越えられてしまった。
人と人のつながり、心の通い合い、信頼関係が力を発揮するのだ!
軍拡競争に入ろうとしている日本だが、それでは駄目なんだと
そんなことを強く思った、