物事を私と同じように考える人はいないということはわかってます。
それをあえて公表するためにブログを書いてます。
ブログのプロフィール、自己紹介に書いている文です。
自分は人と違うということは
今回のロシアとウクライナとの戦争に関する記事を見ていてもわかります。
皆様方の多くは日本人としての一般的な考え、マスコミのコメンテーターの意見同様
人道面、反戦平和という観点から記事を書かれています。
しかし私は全く違います。
もちろん中国や北朝鮮のコメントとも全く違います。
私の考えは一昨日の記事に書いた、「白人同士勝手に殺しあってろ」
で既に書いてますが
要するに「毛唐はいくら死んでも全くかまわない」「毛唐はいくら殺されても全くかまわない」
「毛唐はいくら不幸になってもかまわない」という思想が大前提にあります。
だから安心して
他人事として、対岸の火事として、高みの見物をして見ていられるのです。
こういう時にやはり自分は他人とは違うのだなと感じます。
もともと人間、人類はあまり好きではないですが、その最たるものが白人です。
この考えは中1の時からのもので
その後、ある思想の影響で変わった(といっても人類全体に関する考え方ですが)のですが
その思想と決別してほとんど元の考えに戻りました。
そんなこともあって、その思想と出会って人生観が360°変わりました、とガッツ石松みたいなことを言ってますw
今回は白人(主導)国家同士の戦争です。
ウクライナ側の圧倒的負けになることは目に見えてますが
それとてウクライナ側のプライド、愛国心に起因している面が多いです。
愛国心、民族意識というのも私はあまり好きではありません。
だからどうでもいいのです。
第二次大戦の時の日本人のように言論の自由が奪われ反戦が唱えにくい状況にあるとは思いますが
それも大前提である「白人の命などどうでもいい」という考えが上位にあるので
ウクライナ国民などどうでもいいのです。
まして奴らは好きで戦争を選んでいるのですからどうでもいいです。
民主主義(特にウクライナ)で選ばれた大統領がそうしているのだから
国民の移動禁止にして戦えと言っているのだから、それは国民の総意であり国民の責任です。
プーチンもゼレンスキーも毛唐です。
その毛唐の大統領たちが毛唐に犠牲者が出る戦争を選んでいるのだから、まあ、お目出たいことではないですか。
黄色人の私が同情するような理由一切はありません。
そういえば米軍によるアフガン侵攻やイラク侵攻の時に
日刊スポーツはスポーツの試合あるいはゲームのような感覚で報道してましたが
今回の戦争や世界情勢も野次馬として高みの見物をしています。
そんなシヤマさんのご姿勢を、改めて理解申し上げました。
この私もその部類だと思っていましたが、もしかしたら自分に都合よくかなり歪みを内在させている事実を、改めて自己分析させていただきました。
タイトルや自己紹介通り私の考え方は他人とは異なります。
黒人に関しては白人が黒人国家に侵略その他を行っているのなら白人側を批難しますが
黒人同士の内戦はどうでもいいです。
アフリカでも人口増加などで自然破壊が起きているので
少しは減らしたほうがいいでしょう。
アメリカで黒人が白人警官に射殺される事件が相次いで
快く思ってはいませんでしたが
コロナ禍で今度はアジア系が襲われることが増え
加害者に黒人が結構多いので
かつて黒人が射殺されたことについては全てチャラになりました。
そしてシヤマさんがおっしゃる通り、私も民族や人種ではなく、人間関係に於いてはいつも「個人対個人」として付き合っています。
ただシヤマさんが書かれている、「白人では余計にそうなる」との文言がやはり気になります。 そこにはアプリオリに「白人」を差別する思考が存在するとしか考えられません。
例えば、じゃあ、相手が黒人ならばどうなのでしょうか??
もしもそれは受け入れられるとおっしゃるならば、やはり人種間差別意識が内在しているということにならないでしょうか??
いやもちろん、人には誰しも「好み」もあるでしょうから、それは自由にされたらいいとも思いますが。
あったとしても仲間意識は民族や人類ではなく個人にとどまってます。
日本人であっても同胞意識はないので白人では余計にそうなります。
それに奴らが勝手にやっている戦争で心を痛めていてもしょうがないです。
私の場合,過去に米国人男性と国際恋愛をした経験もあり、シヤマさんがおっしゃるところの「白人」も未だに同じ地球人との感覚があります。
本日先程、プーチンのキエフ攻撃のエッセイを記しましたが。
やはり元々キエフバレエファンの私としては、キエフの芸術家やその他の人々の命が気がかりです…