乳がんになってスピリチュアリズムに出会うVol.2

スピリチュアリズムに出会い
生き方が180度かわりました
シルバーバーチの霊訓を人生の指針としています

正直さと勇気をもって

2017-11-14 21:13:49 | シルバーバーチの霊訓
あなたに一個の荷が背負わされる。

それをどう扱うかはあなた次第です。〝よし、担(かつ)ぎ通して見せるぞ。

これは自分の荷物なのだから〟という気持ちになれば軽く感じられるものです。

それだけ魂が成長するからであり、その成長の過程において内部のある力が魂を癒してくれます。

困難に際して真っ正直さと勇気とをもって臨んで、霊的に損をする人は絶対にいません。

何一つ怖がるものはないのです。

「物的なことに関してはそういうことが言えると思いますけど・・・・」

 「私は物的なことを述べているのではありません。

魂と霊と精神について述べているのです。

私は物的なことに言及したことを述べたことはありません。

この点があなた方を指導する上での私の泣きどころなのです。

魂を照らす光明へ向けて順調に頑張っておられるのに、自分では精神的に暗闇にいるように思っておられる。

それで私が、怖がらずに突き進みなさい、とハッパをかけるのです」

 すると別の出席者がこう弁明した。「私たち人間は自分の物的な立場からしか自分が見えないのです。

自分はやるべきことをやっていないのではないか、と思い始めたら、もう、現実にやっていないということになってしまうのです。

あなたからみれば私たちは立派にやっていて、素晴らしい、純心な、光り輝く存在であっても、私たち自身はそうは意識していません。

欠点ばかりが目につくのです」


 「そんなことはありません。

あなた方はご自分で意識しておられる以上に立派な方ばかりです。

高い知識を身につけた方はとかく自分をみじめに思いがちなものです。

その知識が謙虚さ、真の意味での謙虚さを生むからです。

 人間は困難のさなかにある時は、自分の置かれた情況について必ずしも明確な判断が出来ません。

また、これでよかったかという動機づけについても、穏やかな精神状態のときほどの明確な自信がもてないものです。

興奮と衝突と不協和音の中にあっては、冷静な反省は容易に得られるものではありません。

その上、あなた方は全体像がつかめないという宿命的な立場に置かれております。

あなた方に見えるのはホンの一部だけです」




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永遠に変わらぬ真理

2017-11-12 23:39:28 | シルバーバーチの霊訓
自分を愛する如く隣人を愛せよ。

苦しむ者に手を差しのべよ。

人生に疲れた人、潤いを求める者に真理を語って聞かせよ。

病いの人を癒し、悲しみの人を慰め、不幸な人を訪ねてあげよ。

こうした訓えは遠い昔から説かれてきた真実です。

こうしたことを実行しさえすれば地上は一変し、二度と恐ろしい悲劇をもたらす戦争も訪れなくなるでしょう。

そこで、私たち霊団のとるべき態度はどうあるべきか。

人間は自分の成長と(死後への)霊的準備に必要なものはすべて掌中に収めております。

聖なる書も数多くあります。〝師〟と呼ばれる人も数多く輩出しております。

内的世界を垣間(かいま)見てその人なりに解釈した霊覚者が大勢います。

しかし不幸にして、そうした形で啓示された素朴な真理が埋もれております。

人間はその上に教義だの、ドグマだの、信条だの、儀式だのという〝構築物〟を築き上げてしまいました。

単純素朴な真理の基礎の上に神学という名の巨大な砦を築いてしまい、肝心の基礎がすっかり忘れ去られております。

そこで私どもはその埋もれた真理を本来の純粋な姿───何の飾り気も無い素朴な姿のままをお見せするための道具、つまり霊のメッセージをお届けするための霊媒を探し求めてきたのです。

 私どもは人間の精神的産物によって色づけされた信仰体系には関心はありません。

大切なのは地上生活のように錯覚によって惑わされることのない霊の世界からの真理です。

なぜか。

それは、あまりに多くの落伍者、精神的浮浪者のような人間が霊界へ送り込まれる一方、一見立派そうな人間が霊的事実について誤った概念と偏見と無知のために、死後に直面する生活に何一つ備えができていないというケースが又あまりに多すぎる現実を見て、私どもは、いずれは永続的な実在の世界となる死後の生活に備えるための単純な真理を地上にいる間に知ってもらえば、私達の手間も大いに省けるだろうと考えたのです。

そこであらゆる宗教的体系と組織、進歩を妨げる信仰、不必要な障害、人間の精神を曇らせ心を惑わせる迷信に対して厳然と宣戦布告し、神の子が神の意図された通りに生きられるように、不変の霊的真理を授けようと努力しているわけです。

 他人がどう言おうと気にしてはいけません。

非難・中傷など、すべて忘れることです。

霊的真理こそ永遠に変わらぬ真理なのです。

理性が要求するすべてのテストに応えうる真理です。

けっして知性を欺(あざむ)きません。

単純・明快で、誰にでも理解できます。

聖職者によるあらゆる方策が失敗したのちも止まることなく普及発展していく真理です。

不変の自然法則に基づいた単純素朴な永遠の真理だからです。

これには法王も大主教も司祭も牧師も教会も聖堂も礼拝堂もいりません。

私どもはこれを捏(こ)ねまわして神学体系を作ろうなどとも思いません。

ただこうして説くだけです。

が、理解ある伝道者さえいれば、それが社会のあらゆる階層に浸透し、すべての人間が身体的にそして霊的に自由を享受し、二度と束縛の中で生きていくことは無くなるでしょう。

無知の暗黒が消滅し、代って真理の光がふんだんに注がれることでしょう


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最善を尽くす

2017-11-10 23:13:43 | シルバーバーチの霊訓
その日一日、その場の一時間、今の一分・一秒を大切に生きることです。

明日のことを思い患うことなく〝今〟という時に最善を尽くすのです。

あなたが煩悩を持つ人間的存在であり、未塾であることは、神は先刻ご承知です。

だからこそ地上に来ているわけです。

もしも完全であれば、今そこに存在していないはずです。

地上生活の目的はその不完全なところを一つでも無くして行くこと、それに尽きます。




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摂理に忠実に

2017-11-08 11:50:11 | シルバーバーチの霊訓
宇宙の大霊すなわち神は無限の存在です。

そしてあなた方もその大霊の一分子です。

不動の信念をもって正しい生活を送れば、きっとその恩恵に浴することができます。

このことに例外はありません。

いかなる身分の人であろうと、魂が何かを求め、その人の信仰に間違いがなければ、かならずやそれを手にすることができます。

それが神の摂理なのです。

その摂理に調和しさえすれば、かならずや良い結果が得られます。

もしも良い結果が得られないとすれば、それは摂理と調和していないことを証明しているに過ぎません。

地上の歴史を繙(ひもと)けば、いかに身分の低い者でも、いかに貧しい人でも、その摂理に忠実に生きて決して裏切られることのなかった人々が大勢いることが分かります。

忠実に生きずして摂理に文句を言う人間を引き合いに出してはいけません。

時として酷(きび)しい環境に閉じ込められ、それが容易に克服できないことがあります。

しかし、正しい信念さえ失わなければ、そのうちきっと全障害を乗り越えることができます。

そんな時は神の象徴であるところの太陽に向かってこう述べるのです。

──自分は神の一部なのだ。

不滅なのだ。永遠の存在なのだ。

無限の可能性を宿しているのだ。

その自分が限りある物質界のことで挫(くじ)けるものか、と。

そう言えるようになれば、決して挫けることありません。


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人のために

2017-11-01 23:24:28 | シルバーバーチの霊訓
 地上の価値判断の基準は私どもの世界とは異なります。

地上では〝物〟を有難がり大切にしますが、こちらでは全く価値を認めません。

人間が必死に求めようとする地位や財産や権威や権力にも重要性を認めません。

そんなものは死とともに消えてなくなるのです。

が、他人のために施した善意は決して消えません。

なぜなら善意を施す行為に携わることによって霊的成長が得られるからです。

博愛と情愛と献身から生まれた行為はその人の性格を増強し魂に消えることのない印象を刻み込んでいきます。

 世間の賞賛はどうでもよろしい。

人気というものは容易に手に入り容易に失われるものです。

が、もしもあなたが他人のために自分なりにできるだけのことをしてあげたいという確信を心の奥に感じることができたら、あなたはまさに、あなたなりの能力の限りを開発したのであり、最善を尽くしたことになります。

言いかえれば、不変の霊的実相の証を提供するためにあなた方を使用する高級霊と協力する資格を身につけたことになるのです。

これは実に偉大で重要な仕事です。

手の及ぶ範囲の人々に、この世に存在する目的つまり何のために地上に生まれて来たのかを悟り、地上を去るまでに何をなすべきかを知ってもらうために、真理と知識と叡知と理解を広める仕事に協力していることになります。

 肝心なことはそれを人生においてどう体現していくかです。

心が豊かになるだけではいけません。

個人的満足を得るだけで終ってはいけません。

こんどはそれを他人と分かち合う義務が生じます。

分かち合うことによって霊的に成長していくのです。

それが神の摂理です。

つまり霊的成長は他人から与えられるものではないということです。

自分で成長していくのです。

自分を改造するのはあくまで自分であって、他人によって改造されるものではなく、他人を改造することもできないのです。

霊的成長にも摂理があり、魂に受け入れる備えが整って初めて受け入れられます。

私どもは改宗を求める宣教師ではありません。

真の福音、霊的実在についての良い知らせをおもちしているだけです。

それを本当に良い知らせであると思って下さるのは、魂にそれを受け入れる備えの出来た方だけです。

良さの分からない人は霊的にまだ備えが出来ていないということです。

 イエスはそのことを〝豚に真珠を投げ与えるべからず〟と表現しましたが、これは決してその言葉から受けるような失礼な意味で述べたのではありません。

いかに高価なものをもってしても他人を変えることはできないのです。

自分で自分を変えるしかないのです。

私たちは同胞の番人ではないのです。

各自が自分の行為に責任をもつのであって、他人の行為の責任は取れません。

あなたが行うこと、心に思うこと、口にする言葉、憧(あこが)れるもの、求めるものがあなたの理解した霊的真理と合致するようになるのは、生涯をかけた仕事と言えるでしょう。



私は介護施設で働いているんだけれど、まだ19歳のイケメン男子がいる。

とても働き者で仕事も完璧。

先輩スタッフから「少し休んだら?」
と言われても

「少しでもお役に立てればいいので」
と手を抜くことがない。

霊的真理を知らずとも
霊性の高い人がまた一人

私が19歳の時は全然ダメダメだったな〜と

今でこそ、最善を尽くせるように努めているけれど、頭の下がる思いである。

人のため、という心がけを忘れずに頑張らねば!





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