乳がんになってスピリチュアリズムに出会うVol.2

スピリチュアリズムに出会い
生き方が180度かわりました
シルバーバーチの霊訓を人生の指針としています

頭痛

2020-05-04 01:07:00 | シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q &A
【Q11】自由意志とカルマは、どう関係づけたらよいのでしょうか?

 生命のすべてが、自然法則による規制を受けています。筋の通らないことや奇跡や偶然によって起きることはありません。すべてが原因と結果、種まきと刈り取りの摂理の働きによります。そうでないと、宇宙は大混乱に陥ります。無限の配剤、無限の知性の働きを示す証拠なら、どこへ目をやっても存在します。

 四季のめぐり、惑星や星雲、潮の満ち引き、無数の姿かたちをした花々にも見られます。どれ一つとっても、法則によって営まれているのです。その法則の枠を離れることがないということですから、そこに制約があるということになります。しかし、法則の裏に別の次元の法則が存在します。物的法則だけに限りません。精神の働きにも法則があり、霊的次元にも法則があります。

 自由意志という要素、ある条件下で、右か左かを選択する力と能力をそなえているということは、神の配剤の一つです。それを最善に、そして最高に活用すれば、あなたの所属する民族、この地上世界、宇宙、森羅万象の霊的発展と進化の一翼を担うことができるのです。なぜなら、あなたも、霊的には大霊の一部だからです。

 全存在物に生命を付与している神性が、あなたにも内在しているのです。その意味で、あなたはミクロの大霊なのです。大霊が所有する無限の属性をあなたも所有しているのであり、それを発現していくための無限の時も用意されているのです。

 明朝、あなたはいつもより一時間早く起きてもよろしいし、一時間遅く起きてもよろしい。起きたくなければ、そのままベッドのなかにいてもよいでしょう。起きてから散歩に行ってもよいし、ドライブに行ってもよいでしょう。かんしゃくを起こしてもかまいませんし、思い直して我慢するのも、あなたの自由です。このように、あなたに許されていることはいろいろとあります。

 しかし、太陽の輝きを消すことは、あなたにはできません。嵐を鎮めることは、あなたにはできません。あなたの力を超えているからです。このように、選択の範囲が限られているという意味で、あなたの自由意思にも制約があります。

 そしてもう一つ、あなたの精神的ならびに霊的発達の程度による制約があります。たとえば、人を殺めるという行為は、だれにでもできます。が、あなたにはできないでしょう。これまでに築いてきた人間性および霊性が、それを許さないからです。

 ですから、どちらかの選択をするとき、そこには人間性と霊性の程度が関わっているのです。ここにも、宇宙によくあるパラドックス(一見矛盾しているかに思えること)があります。自由といっても、一定限度内の自由ということです。

 さて、ここからもう一歩踏み込まねばなりません。カルマの問題が出されたからです。これも、たしかに考慮に入れなくてはならない重大なテーマです。なぜかといえば、地上へ誕生するに当たって、前もって、カルマの解消をスケジュールのなかに入れている人が少なくないからです。その自覚は、すぐには意識の表面に出てきませんが、意識するしないに関係なく、そのことも自由意志に制約を加えます。

(原書では、この項目はここで終了しているが、カルマへの言及が足りないので、霊的治療家のハリー・エドワーズとのQ&Aのなかから、参考になる部分を編集して紹介しておく)

あなたのもとを訪れる患者は、その人なりの霊的成長段階にあります。人生というはしごの一つの段の上に立っているわけです。それがどの段階であるかが、その人に注がれる治癒力の質・量を決します。それが私のいう「カルマ的負債」です。

 あなたにも手の施しようのない人がいます。肉体を犠牲にする、つまり、死ぬこと以外に返済の方法がないほど負債が大きい人もいます。もう一度チャンスを与えられる人もいます。そんな人が、あなたとの縁で完治することになる場合もあります。

 精神的要素のために治らない人もいます。そんな場合は、一時的に快方に向かっても、また別の症状となってぶり返すでしょう。それは、当人に賦課された税金のようなものであり、自分で綴っている物語(ストーリー)であり、その筋書きは他の何者によっても書き換えることはできません。

 はじめに私は、すべては法則の枠のなかに存在すると申しあげました。何ごとも、それを前提として働きます。人間のいう「奇跡」は生じません。自然法則の停止も変更も廃止もありません。すべてが原因と結果から成り立っています。そこに自由の制約があります。もしも因果関係がキャンセルできるとしたら、神の公正が崩れます。

 治療家にできることは魂を解放し、精神に自由を与えることです。その結果が、自然に身体にあらわれます。それが、カルマ的負債を返済する手助けになるのです。私が、霊的治療家はその患者の魂の琴線にふれ、自我に目覚めさせ、生きる目的を自覚させることが最も重要な役目であると申しあげる理由はそこにあります。

最近、頭痛が頻回におこっていた。以前は誰かにヒーリングをして、自分のエネルギーが出てしまって頭痛がおきていた。今はヒーリングはしていないので違うしな。

仕事のストレスか、甘いものの食べ過ぎか?原因不明だったけど、コロナ関連のニュースやテレビばかり見て、いろんな情報に一喜一憂して、不安とストレスが原因な気がする。

不安がゼロにはならないけれど、乗り越えられない試練や困難はないので、きっと何とかなるはず。利他愛の精神で乗り越える。







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変わっとう

2020-05-01 01:00:44 | シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q &A
【Q1】霊的に正しければ、物的な面もおのずから正されるとおっしゃっていますが、痛みつけられ、大量に殺戮され、酷使されるために生まれてきているとしか思えない動物には、それは当てはまらないように思います。
動物は、何も悪いことはしていないのではないでしょうか?

その見方は間違いです。
同じく霊といっても、人間の霊と動物の霊とでは、範疇(カテゴリー)が違うのです。
人間には正しい選択をすべき義務が与えられています。
いい換えれば、そこに自由意志の行使が許されているということです。
それによって人間は、宇宙の進化を促進することもあれば、妨害することもあるわけです。
この天体上で共存している動物に関しても、それをどう扱うかについて、ある一定範囲で選択する自由が与えられています。
人間の世界には悪用・誤用が多過ぎます。そのなかでも決して小さいとはいえない問題が、動物への残酷な医学的行為と、食糧としての身勝手な濫用です。
しかしこれは、人間が進化するための、一種の必要悪なのです。
もしも人間から自由意志を奪ったら、個的存在としての発達と進化を遂げるチャンスがなくなってしまいます。
ここに問題の核心があります。

私は家族からよく「変わっとうな〜」と言われる。今日も娘から言われた。
私はお肉はほとんど食べない。理由は可哀想だから。人間よりも弱い動物を保護し守ってあげこそすれ、食べたりするなんて今はできない。それを言うと、「じゃあ、お母さんは隣で肉を食べる人を許せないと思ってるん?」と

「そうは思ってないけど、お母さんはそれがあかんことを知ってるから、食べないだけで、人に強要しないし、気づいた人が食べなければいいねん」と。
なかなかここは理解をしてもらえないけれど。

この地球上において仲よく協力しあって、生きるべき者すべての幸せを促進する方向で、努力しなくてはいけません。愛こそが摂理を成就させるのです。
(シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A)










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死後の世界

2018-09-21 22:20:48 | シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q &A
死後の世界は、どこにあるのでしょう?


今、あなた方が生活している別の側面、肉眼に見えず肉耳にも聞こえない世界です。

今こうして存在しているのと同じ場所に存在しているのです。

死後、わざわざそこへおもむく必要はありません。

今いるところが霊界なのです。

それが感識できないのは、霊的な感覚が発達していないからで、それが発達して霊界の波動あるいは振動(何と呼ばれてもかまいません)と調和すれば見えるようになります。

つまり、霊界という別の世界が存在するわけではないのです。

顕と幽にまたがる大宇宙を構成する無数の側面の、一つの側面に過ぎません。



この世では、死後の世界があるということを
知らない人が多すぎる。

家の中での夫婦の会話

いつものように、旦那に聞いてみた。

私 「とうちゃんのお父さん、50代で亡くなってるやろ、人間って死んだら終わりやと思う?」

旦那 「死んだら、終わりやな」

私 「じゃーなんで、御墓参り行ったり、お盆、お彼岸になったら、先祖さん帰ってくるとかいうん?

人間死んで終わりでなくて、魂は残るんやで、心の中で想うだけで、お父さんに伝わるんやで」


と夫婦の会話を聞いていた娘が、


娘 「お父さん、なんで、お母さんにそんな話させるん、お母さん、シルバーバーチとかなんとの・・・」と言い出した。


私の話を、今は受け入れてもらえてないけれど、着実に霊的真理の話をする機会は増えている。


死後、自分が死んだことに気づかず、霊界に上がれず、幽界にいて地縛霊化している人が多すぎるとのこと

「人は死んで、肉体が無くなっても、魂は生き続ける」という最低限、知っとかないといけないことがあるのだ。







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ベストを尽くす

2018-09-08 23:22:57 | シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q &A
鼓舞されるままに進めばよろしい。

あらかじめ用意されたものというものは何もありません。

現在のあなたも、何かに鼓舞されてここまで来たのです。

それと同じ力に任せればよろしい。

その力は、これまで一度もあなたを見捨てたことはありませんでした。

地上のいかなるものよりも大切な霊的知識を手にするよう、今日まで導いてくれたのです。

ひたすら前進することです。

ベストを尽くすことです。

その力が導きを支えてくれます。



ここ最近ブログの更新が滞り気味にもかかわらず、いつも、たくさんの方に訪問していただき、ありがとうございます。

文章を書くことに、スランプ気味で、これも書こうあれも書こうといつも、いろいろと考えているのですが、いざとなると全く進まず。

毎日が順調で感謝の連続ならば、スラスラと前向きな文章がどんどんでてくるはずなのですが、筆が全く進まずでした。



私が、昨日からやっている
山村幸夫さんの
積極的になれる方法をご紹介します。

1.自己暗示の瞑想

夜眠る前に「一日、一日、私はすべてにおいて良くなっていく」と楽しい気分で10回唱える。


2.言霊の活用

日常、何げなく使っている言葉にも積極的なものを選ぶこと。

私たちの周りに感謝しなければいけないことは、無数に存在します。いまが、どんなに苦しくても、心には常に感謝の想いを抱く


3.取り越し苦労をしない。

毎日を一生懸命に生きる。

私たちには、この「いま」しかないのです。
いまの心の思い変えが、あなたの未来を創造していく。






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やり直すチャンス

2018-06-22 00:13:27 | シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q &A
もう一度やり直すチャンスは、だれにでも与えられているのでしょうか?


もちろんです。

やり直すチャンスが与えられないとしたら、宇宙は愛と公正によって支配されていないことになります。

もしも地上人生の物語が墓場で一巻の終わりになるとしたら、地上世界は矛盾だらけで、せっかく送った人生への報奨も罰も与えられない人が無数にいることになります。

地上界の人間にお届けしようと、私たちが奮闘している知識のなかでも最高に輝いているのは、墓場で人生が終わるのではないこと、苦難の生涯を送った人や挫折の人生に終わった人にも、埋め合わせとやり直しのチャンスが与えられ、地上界のために貢献しながら逆賊の汚名を着せられた人にも、悔し涙をぬぐうチャンスが与えられるという知識です。


生命は、死後にも続くのです。

続くからこそ、内部の資質(地上での発現を妨げられた資質)を改めて発現させるチャンスが与えられますし、逆に、愚かにも地上で威張り散らし、自然の摂理も逃れられるのだと思い込んでいた者は、その誤りを矯正するための試練を体験しなければなりません。

そうした事実を知って、少しもおそれを抱く必要はありません。

他人を思いやり、慎み深い生活を送っている人は、何一つ怖がることはありません。

怖がるべきは、利己的な人生を送っている人たちです。



(ヤマアジサイ)
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