乳がんになってスピリチュアリズムに出会うVol.2

スピリチュアリズムに出会い
生き方が180度かわりました
シルバーバーチの霊訓を人生の指針としています

いつも希望を抱く . 1

2017-07-30 21:51:02 | 私は霊力の証を見た M・H・テスター著
私は学生時代のことはよく憶えていない。

もちろん学校へは通ったのだが、何だか当時のことが夢のような、あるいは何かの本で読んだ物語のような、他人事に思えてならない。

もちろん当時もAとかBとかの評価はあったが、最終的には大学進学ということが教師たちの〝目標〟だった。

要するに受験である。

学科の中では国語(英語)が得意だった。

国語の入試問題はいつも出典が決まっていて、私の時はミルトンの『失楽園』とシェークスピアの『あらし』だった。

私はもともとシェークスピアは好きだったが、ミルトンは苦手で、意味のわからないところが多かった。

でも入試ではスラスラと暗誦できて、今でも屋根裏部屋には国語だけは抜群の成績でパスした賞状が残っている。

そのためには私もミルトンを必死になって暗記したものである。

今でもその中からところどころの文章がふっと口をついて出てくることがある。

学生時代の勉強が無駄でなかったことを証明するために一、二節紹介してみよう。


人の心は、今おかれたその場で、
それみずから地獄を天国となし、
天国を地獄となす。


これは女性患者を治療した際に浮かんだ一節である。

その人は腰のあたりに激痛を覚える。

一か月入院してX線をはじめとする徹底的な診察を受けたが、どこにも異常は見当らなかった。

が痛みは本ものである。

本当に痛いのであるが、原因は精神的なものだったのである。

この方はお子さんにも恵まれ、経済的にも困っていない。

本人も「うちは決してお金持ちではありませんが、要るだけのお金はあります」と述べているほどである。

なのに一体何が不満なのか。

それは、家事に追われ、家に縛りつけられていることが不満なのである。

本当は外に出て働きたい。

大勢の人と触れ合いたい。

が、ご主人がそれを許してくれない。

「家を守るのが女の仕事だ」―そう言われて仕方なく買物と料理と掃除と洗濯と育児の毎日を送っている。

その欲求不満が痛みを惹き起こしているのだった。

私のところへ来て治療を受けると、その時は完全とまではいかないが殆んど痛みらしい痛みを感じないまでになる。

が帰宅して二日もするとまた痛みがぶり返す。

ミルトンが言うように彼女の心が〝それみずから天国を地獄となし〟ているのだった。

こうしたケースは決して珍しくない。

少なく見ても訪れる人の半数が、自分の置かれた環境に対する不平不満からどこかに痛みを覚えている。

それを助長するのが取越苦労と罪悪感である。

既成宗教のほとんどが罪と罰の恐ろしさを説いている。

善い行いは報われ、悪いことをすると神が罰を与えると説き、その原理に基いて善と悪の基準をこしらえている。

ところが実際にはその掟に背いた者が必ずしも不幸になっていない。

中にはむしろのびのびと生き甲斐ある人生を送っている者がいる。

そこで宗教家は因果応報は死後に精算されるのだという言い逃れをする。

教義に忠実に従っておれば死後に永遠の生命を授かり、背いた者は永遠の天罰を受けると説く。

英国ではこれが子供時代に教え込まれる。

公立小学校の教科書には聖者や祈祷書からのそれに関する引用が盛り込まれている。

「ですから、皆さんも良い行いをしましょう。

そうすれば死んだ時に天国に召されます。

もし悪いことをしたら罰として地獄へ送られ、永遠の苦しみを受けることになるのです」という結論になる。

むろん生長するにつれて理性的判断力が出てくる。

もっとあか抜けした哲学に触れるチャンスもある。

死後について、永遠の生命について、あるいは因果律について、その真相に目覚める人もいる。

が大半の人は心の奥に子供時代に吹き込まれた永遠の罰に対する恐怖と罪の意識と、それはどうしても避けられないのだという観念が巣くっているのである。

家庭の主婦がもしも自分の生涯の仕事は家事だと思い、夫に尽くすことだと思い、それ以外のことをすることは悪であると思い込んでいるとしたら、その観念はやがて心理学でいう罪責複合(無意識の罪責感)を生む。

これは魂を蝕む恐ろしい観念である。

みずからの心に地獄をこしらえる。

それがまず心の病を生み、それが身体の病気へと発展していく。

その病気の種類は数え切れないほどである。

患者を一、二度治療して何の変化も見られない時は、私はその人の置かれた環境について質問してみる。

すると挫折感、不満のタネ、憤満、取越苦労、罪悪感、等々が浮かび上がってくる。

これだ、と私は睨む。

本当の治療はこれらの心理的要因を取り除くことにある。

つまりその患者にとって本当に必要なのは人生哲学であり、霊的真理の理解なのだ。

そこで私は霊の世界の話を持ち出す。

そういう世界、そういう真理があることを指摘したあと、その世界の存在を明らかにしてくれた先覚者、書物、道標を紹介する。

患者は人生に希望の灯を見出す。

その灯が迷信を生んだ他愛ないタブーや罪の意識を駆逐していく。


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人のために己を役立てる

2017-07-28 21:39:43 | シルバーバーチの霊訓
「私たちが説く全教説の基調は“人のために己を役立てる”という言葉に尽きます。

あなたの世界のガンとも言うべき利己主義に対して私たちは永遠の宣戦を布告します。

戦争を生み、流血を呼び、混乱を招き、破壊へ陥れる、かの物質万能主義を一掃しようと心を砕いております。

私たちの説く福音は互助と協調と寛容と同情の精神です。

お互いがお互いのために尽くし合う。

持てる者が持たざる者、足らざる者に分け与える。

真理を悟った者が暗闇にいる者を啓発するために真理という名の財産を譲る。

そうあってほしいのです。

地上にはその精神が欠けております。


人間の一人ひとりが持ちつ持たれつの関係にあること、全ての人間に同じ神性が流れていること、故に神の目には全てが平等であること、霊的本性において完全に平等であるとの観念を広める必要があります。

性格において、生長において、進化において、そして悟りにおいて、一歩先んじている者が後れている者に分け与えるという行為の中に偉大さがあるのです。

霊的な仕事に携わる人たち、己の霊的才能を真理探究のために捧げる霊媒は、自己を滅却することによって実は自分が救われていることを知ることでしょう。

なぜならその人たちは人間はかくあるべきという摂理に則った行為をしているからです。


それは取り引きだの報酬だのといった類のものではなく、多くを与える者ほど多くを授かるという因果律の働きの結果に他なりません。

こうしていまあなた方とともに遂行している仕事においても、お互い一人一人が欠かせない役割を担っております。

いま私たちはいわば霊的戦争の兵籍に入り、あらゆる新歩の敵— 改革、改善、改良、人道主義、善意、奉仕の精神を阻止せんとする力と対抗した闘いにおいて、霊界の軍団の指揮下に置かれております。

私たちの仕事は何世紀にもわたって無視されてきた霊的真理を人類に理解させることです。

一部の人間だけに霊力の証を提供するだけでは満足できません。


その豊かな霊的“宝”、驚異的な霊力が一人でも多くの人間に行きわたることを望んでいます。

無数の人間が普段の生活において真理と知識と叡智の恩恵に欲せるように、というのが私どもの願いなのです。

神からの霊的遺産として当然味わうべき生命の優美さ、豊かさをまったく知らない人間の数の多さに愕然とさせられます。

餓死の一歩手前でようやく生きている人々、地上生活の最低限の必需品さえ恵まれずにいる人々を坐視するわけにはまいりません。

地球の富の分配の不公平さを見て平然としてはおれないのです。

それは大変な仕事です。

そしてあなた方はその実現への最短距離に位置しておられます。

あなた方は新しい時代に入りつつあります。

人類の新しい時代の夜明けです。


その恩恵のすべてに浴したければ、真理の受け入れを邪魔してきた愚かな教義をかなぐり棄て、無知の牢獄から抜け出て、自らの自由意志で歩み、神が意図された通りに生きることです。

獲得した知識は着実に実生活に生かしていくように心がけましょう。

その知識全体に行きわたる霊的理念にそって生活を律していきましょう。

人間の勝手な考えや言葉や行為によって色づけせず、その理念に忠実に生き、その行為を見た全ての人から成るほど神のメッセンジャー(使者)であり霊界からの朗報の運搬人であると認めてもらえるようになりましょう。

そう努力することが又、より大きな叡智、より大きな愛を受けるに相応しい資質を身につけることになり、また宇宙間の全生命の宿命を担いつつ一切を懐に包んでいるところの、その驚異的な霊力とのいっそう緊密なつながりを得ることになるのです。



別の交霊会でシルバーバーチは「お金は盗まれることがあっても知識は絶対に盗まれません。

叡智も盗まれません。

そうして貴重な真理は一旦身についたら永遠にあなたのものとなります」と述べている。



霊的真理を知っているからといって、この世の問題がなくなるわけではない。

家族の問題、自分の病気、職場でのこと
次から次へと新しい課題が出される。

真理を知らないと、この世的なものに流され、心が折れそうになると思う。

心を広くし、高め、苦しみを乗り越える勇気を与えられ、必ず導きがある。



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停止処分

2017-07-25 22:02:33 | シルバーバーチの霊訓
元気を出してください。

くよくよしてはいけません。

取り越し苦労はやめてください。

心配しても何にもなりません。

心配の念は霊界から届けられる援助の通路を塞ぎます。

自信を持つのです。

道はきっと開けるという確信を持つのです 。

いつの日か それが苦い 体験だったおかげで 精神的にも霊的にも成長したのだから悔いはないと言える日が来ることでしょう。





ある日突然

ブログが非表示に

停止処分になるような違反したかな?
と思いつつ

ちょっと動揺してしまいました。
この世的なものには動じないつもりが・・

まだまだです。



gooブログに問い合わせると

何やら機械的に記事内容を判定し
ブログを非表示にする処理があったためとのこと

機械的にと言うことは
今後も急に非表示になるかもしれません。

無事に解決してよかった。

引き続きブログUPします。

よろしくお願いします。






コメント

物に惑わされない生き方 . 2

2017-07-21 20:39:12 | シルバーバーチの霊訓
人間は物質の中に埋もれた生活をしているためにバイブレーションが低くなっております。

朝、目を覚まし、まだ意識が完全に働かないうちから、あれやこれやと煩わしいことや心配事の波にのみ込まれていきます。

大きい悩み、小さい悩み、真実の悩み、取り越し苦労に過ぎぬもの等々いろいろあります。

が、いずれにせよ全ては一時的なものにすぎないのですが、そういうものに心を奪われてしまうと、背後で霊が働いてくれている事実を忘れ、あなた方の思考の流れの中から霊的要素を閉め出してしまい、霊的流入を遮断する一種の壁をこしらえてしまいます。

これは真理普及の仕事に携わる人にも”よくある話”なのです。

奉仕の情熱、落胆、試練、そして悟り、このパターンの繰り返しです。


これは魂が自我に目覚め、内在する神性を開発せんとして必死にあがく一種のシーソーゲームのようなものです。

神の使途の一人ひとりが、先覚者の一人ひとりが、預言者の一人ひとりが、その他霊感鋭き男女の一人ひとりが辿った道なのです。

悟りの道にも満ち潮と引き潮にも似た盛衰があるということです。

しかし大勢の方々に申し上げたことですが、一人ひとりの人生にはあらかじめ定められた型があります。

静かに振り返ってみれば、何ものかによって一つの道に導かれていることを知るはずです。

あなた方にはわからなくても、ちゃんと神の計画が出来ているのです。

定められた仕事を成就すべく、そのパターンが絶え間なく進行しています。

人生の真っただ中で時としてあなた方は、いったいなぜこうなるのかとか、いつになったらとか、どういう具合にとか、何がどうなるのかといった疑問を抱くことがあることでしょう。


無理もないことです。

しかし私には、全てはちゃんとした計画があってのことです、としか言いようがありません。

天体の一部一厘の狂いのない運行をみれば分かるように、宇宙には偶然のめぐり合わせとか偶然の一致とか、ひょんな出来ごとといったものは決して起きません。

全ての魂がそうであるように、あなたの魂も、地上でいかなる人生を辿るかを誕生前から承知していたのです。

その人生で遭遇する困難、障害、失敗の全てがあなたの魂を目覚めさせるうえでの意味をもっているのです。

価値ある賞ほど手に入れるのが困難なのです。

容易にもらえるものはもらう価値はないことになります。

簡単に達成したものほど忘れやすいものです。

内部の神性の開発は達成困難なものの中でも最も困難なものです。

人生は全て比較対照の中で展開しております。


光も闇もともに神を理解するうえでの大切な要素です。

もし光と闇とが存在しなければ、光は光でなくなり闇は闇でなくなります。

つまり光があるから闇があり、闇があるから光があるのです。

同じく昼と夜がなければ昼は昼でなくなり夜は夜でなくなります。

愛と憎しみがなければ愛は愛でなくなり憎しみは憎しみでなくなります。

その違いが分かるのは相対的だからです。

しかし実は両者は一本の棒の両端にすぎないのです。

元は一つなのです。

しかしその一つを理解するには両端を見なければならないのです。

それが人生です。

光と闇の両方がなければなりません。

暖かさと寒さの両方がなければなりません。

喜びと悲しみの両方がなければなりません。

自我を悟るにはこうしたさまざまな経験が必要です。


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物に惑わされない生き方 . 1

2017-07-19 20:19:37 | シルバーバーチの霊訓
その日その日の煩わしい雑事に追いまくられ、心配事や悩み事を抱えた生活を送っていると、時としてあなた方は、なぜこんな目に遭わなければならないのかと思ったり、また、これもよくあることですが、気持ちの通じ合った仲だと思っていた人から冷たい態度に出られたりして、理想を求める旅路で初めて光を見た時の感激をつい忘れてしまいがちです。

その感激的体験の純粋無垢の美しさは時の経過とともにある程度その輝きを失いがちなものであり、体験当初のあの喜悦を今一度味わうことは必ずしも可能ではありません。


しかし、いま私たちが携わっている仕事は、それぞれの持ち場において測り知れない重大性をもっております。

肉体という物質の牢に閉じ込められ、意識を制限された状態で物的生活を送っているあなた方には、霊と心と身体の関係について明確な理解をもつことは不可能です。

気苦労の絶え間がありません。

身体の要求を満たしてやらなくてはなりません。

金銭の問題にもかかわらなくてはなりません。

そうした息つく暇もない生活の中であなた方はつい意識の焦点をはずし、支援しようとして待機している背後霊の存在を忘れがちです。


この交霊会での私のうれしい役目の一つは、そうした状況下に置かれているあなた方が、所期の聖なる目的に向けて導かんとする愛の力によって、意識するしないにお構いなく見守られているということを思い出させてあげることです。

その愛の光の証をお見せしたり、あなた方を取りまいているところの霊の世界の美しさを披露することは、たとえ要求されてもなかなか叶えられるものではありません。

しかし、事実、間違いなく存在するのです。

霧が視野を遮ることがあるかもしれません。

しかし、しょせんは霧です。

私どもの世界から光を射し込むことができるし、現にこうして射し込んでおります。

これまで何年もの準備期を経て、こうしてあなた方を奉仕の仕事に導いてきたように、これからもその光と力とがあなた方が道を迷わぬよう導き続けることでしょう。


そして万一迷ってもすぐ元の道に立ち戻らせ、神への道を歩み続けさせるよう配慮することでしょう。

あなた方はほんとうの意味で祝福を受けられた方たちです。

なぜならば、あなた方は地上のいかなる富も影が薄くなるほど高価な霊的知識の所有者だからです。

こう申し上げるのは、あなた方も是非私どもと同じ視野から人生を理解していただきたいからです。

私どもは地上生活を物質視野でなく、価値観も異なれば判断の基準も異なる霊的世界から眺めております。

その視野からの判断の方が遥かに真実に近いと信じています。


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