主よ、主よ、と何かというと主を口に出すことが信仰ではありません。
大切なのは主の心に叶った行いです。
それが全てです。
口にする言葉や心に信じる事ではありません。頭で考える事でもありません。
実際の行動です。
何ひとつ信仰というものを持っていなくても、落ち込んでいる人の心を勇気づけ、飢える人にパンを与え、暗闇にいる人の心に光を灯してあげる行為をすれば、その人こそ神の心に叶った人です。
人生そもそもの目的は、本来の自分を理解することです。
その為には、物質な身体の機能と霊としての資質を存分に発揮することが必要です。
物質なことに偏って、霊的存在としての義務をおろそかにするのもいけません。霊的なことに偏って物的存在としての義務をおろそかにするのも間違いです。
両者のバランスをとり、この世にありながら。この世的な人間に堕することの内容にすべきです。
人のために役立ちたいと思いつつも自分のキャパシティを超えてしまうと余裕がなくなり、できない自分を責めてしまう。
役立つことが、良いことだからするのでなく、ただそうしたいからするという純粋な動機で行動できるように自分自身を幸せにする。
自分自身が幸せでないと人を幸せにすることはできない。
大きなことをする必要はなくて
日常のちょっとしたことでも心をこめて
ひとつずつ目の前にある、自分のできることに意識を向ける。
自分ができる範囲で
どれだけ一つのことに愛を込めて行えるか
自分の内と外は同じ。
自分を幸せにできることが一人の人を幸せにしてることと同じ。自分の扱いを丁寧にできると人にも丁寧に接することができる。
自分と仲良くする。自分をマネジメントしてあげる。自分で自分をケアしてあげる。
皆のお気に入りの木