乳がんになってスピリチュアリズムに出会うVol.2

スピリチュアリズムに出会い
生き方が180度かわりました
シルバーバーチの霊訓を人生の指針としています

あなたとは何か

2017-09-30 21:47:39 | シルバーバーチの霊訓
いったいあなたとは何なのでしょう。

ご存知ですか。

自分だと思っておられるのは、その身体を通して表現されている一面だけです。

それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。  

 
ですから、どれが自分でどれが自分でないかを知りたければ、まずその総体としての自分を発見することから始めなくてはなりません。

これまであなたはその身体に包まれた〝小さな自分〟以上のものを少しでも発見された経験がおありですか。


今あなたが意識しておられるその自我意識が本来のあなた全体の意識であると思われますか。

お分りにならないでしょう。


 となると、どれが普段の自分自身の考えであり自分自身の想像の産物なのか、そしてどれがそのような大きな自分つまり高次元の世界からの霊感であり導きなのか、どうやって判断すればよいのでしょう。


 そのためには正しい物の観方を身につけなくてはなりません。

つまりあなた方は本来が霊的存在であり、それが肉体という器官を通して自己を表現しているのだということです。

霊的部分が本来のあなたなのです。

霊が上であり身体は下です。

霊が主人であり身体は召使いなのです。

霊が王様であり身体はその従僕なのです。

霊はあなた全体の中の神性を帯びた部分を言うのです。


 それはこの全大宇宙を創造し計画し運用してきた大いなる霊と本質的には全く同じ霊なのです。

つまりあなたの奥にはいわゆる〝神〟の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘めているのです。

その秘められた神性を開発しそれを生活の原動力とすれば、心配も不安も悩みも立ちどころに消えてしまいます。

なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは何一つ起きないことを悟るからです。

その悟りを得ることこそあなた方の勤めなのです。

それは容易なことではありません。


 身体はあなたが住む家であると考えればよろしい。

家であってあなた自身ではないということです。

家である以上は住み心地をよくしなければなりません。

手入れが要るわけです。

しかし、あくまで住居であり住人ではないことを忘れてはなりません。


 この宇宙をこしらえた力が生命活動を司っているのです。

生命は物質ではありません。

霊なのです。

そして霊は即ち生命なのです。

生命のあるところには必ず霊があり、霊のあるところには必ず生命があります。


 あなた自身も生命そのものであり、それ故に宇宙の大霊との繋がりがあり、それ故にあなたもこの無限の創造進化の過程に参加することができるのです。

その生命力は必要とあらばいつでもあなたの生命の井戸からくみ上げることが出来ます。

その身体に宿る霊に秘められた莫大なエネルギー、あなたの生命活動の動力であり活力であり、あなたの存在を根本において支えている力を呼び寄せることができるのです。

 あなた方にはそれぞれにこの世で果たすべき仕事があります。

それを果たすためにはこうした知識を摂取し、それを活力としていくことが必要です。

霊に宿された資質を自らの手で発揮することです。

そうすることは暗闇で苦悩する人々に光を与える小さな灯台となることであり、そうなればあなたのこの世での存在の目的を果たしたことになります。


 宇宙にはある計画に沿った〝摂理(キマリ)〟というものがあります。

私たちはそれにきちんと合わさるように出来上がっているのですが、それに合わすか否かは本人の意志による選択の自由が与えられています。

東洋の諺に〝師は弟子に合わせて法を説く〟というのがあります。

霊的に受け入れる準備ができればおのずと真理の扉が開かれるのです。

こちらから求めなくても良いのです。豁然と視野が開き、そこから本当の仕事が始まります。

 と言っても私どもはあなた方の生活から問題も悩みも苦しみもなくなるというお約束はできません。

お約束できるのは全ての障害を乗り越え、不可能と思われることを可能にする手段をあなた方自身の中に見出すようになるということです。

内部に宿る資質の中の最高のもの、最奥のもの、最大のものを発揮しようと努力する時、私ども霊界の者の中であなたに愛着を感じ、あなたを援助することによって多くの人々の力になりたいと望む霊を呼び寄せることになるのです。


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魂を癒す一 心霊治療の本質

2017-09-04 21:00:55 | シルバーバーチの霊訓
≪心霊治療の本質は“魂”に関わることであり、身体に関わるものではありません。

魂に受け入れ準備ができていれば、治療は難なく奏効します。

摂理として当然そうなるようになっているのであり、それ以外にありようがないのです。

霊的治療は物的身体に宿る魂という容器に霊的生命力を注入する作業です。

その生命力は肉体の中の生命の中枢へ向けて仕掛けられる霊的刺激剤であり、回復力であり、再活性力です≫
シルバーバーチ

中央アフリカおよびインドを中心に治療活動を続けている二人の治療家が招かれた。

二人は Ulyndu(ウーリンドウ)と Amenra(アメンラ)という名で知られているが、いずれも仮名である。

商業関係の仕事を止めて本格的に治療活動に専念しておられる。

奉仕的精神から治療費をいっさい取らないのであるが、その日常生活は“絶対に裏切らない神の供給源”の存在を見事に実証している。

来る日も来る日も治療のための旅を続けていると、時には生活費が底をつき、空腹のためにベルトをさらに締めなければならなくなることもある。

にもかかわらず必要なものだけは、お願いしなくても、必ず届けられる。

その届けられる経路は驚異としか言いようのないほど思いがけないことがしばしばであるという。

南アフリカから英国に立ち寄った時に永年の夢が叶ってシルバーバーチの交霊界に出席することができた。

二人はシルバーバーチの霊言を生活の指針としてきている。そのシルバーバーチが二人にこう語った。

「私たちにとって霊の道具として活躍しておられる方のお役に立つことほど大きな喜びはありません。

他人のために倦(う)まず弛(たゆ)まず尽力しておられる方が私の述べる言葉を少しでも役に立つと思ってくだされば、私を地上へ派遣した霊団のマウスピースであることを光栄に存じます。

われわれはお互い同じ使命にたずさわっております。

病める地上世界がみずからを癒す事業を援助し、無謀な愚行に走るのを食い止め、無数の人間の悲劇の根源となっている自己中心主義と貪欲の行為を止めさせ、霊がその本来の輝きと美質を発揮するように導くという責務を負っております。

この道がラクではないことは今さら私から申し上げる必要はありません。

バラの花に飾られた優雅な道でないことは申し上げるまでもありません。

苦難は進化を促し、魂を調整するための不可欠の要素なのです。

魂が真の自我に目覚めるのは苦難の中にあってこそです。

人生のうわべだけを生きている人間には、魂が自己開発する機会がありません。

地上的方策が尽き果て、八方塞がりの状態となったかに思える時こそ、魂が目覚めるものなのです。

言いかえれば、物質が行き詰まった時に霊が目覚め、小さな神性のタネが芽を出し、花を咲かせ、内部の美質を徐々に発揮しはじめるのです。

苦難はコインの裏側と思えばよろしい。

闇なくしては光もなく、嵐なくしては青天もありません。

このことはお二人はすでによく理解しておいでです。

あなた方は豊かな恩寵に浴していらっしゃいます。

奉仕活動に手を染め、すべてを天命にまかせる覚悟をされて以来、お二人は一度たりとも見落とされたり忘れられたり無視されたり、あるいはやりたいように放ったらかされたことはありません。

この道は、他にその恩恵を知る縁(よすが)のない人々に霊力と光明と癒しをもたらせることになる、雄大な霊的冒険です。

宇宙最大の力の道具として働くことは大へん光栄なことです。

大霊より強大な力はこの宇宙には存在しません。

その大霊がお二人に要求しているものは忠誠心であり、協調的精神であり、一途(いちず)さであり、信頼心であり、そして知識が生み出す信仰心を土台とした絶対的な自信です。

私から申し上げるまでもないことかもしれませんが、お二人は地上に生を受けるずっと以前からこの仕事を志願していらっしゃいました。

またこれも改めて申し上げる必要はないと思いますが、実はそれもこれもまだまだ序の口にすぎません。

地上生活は霊としての存在意識を全うするという大目的のために学び鍛える、そのトレーニングの場にほかなりません。

挫けてはなりません。

いかなる事態にあっても、不安の念をカケラほどでも心に宿すようなことがあってはなりません。

今日まで支えてきた力は、これからも決して見棄てるようなことはいたしません。

絶対に裏切ることはありません。

もしあるとしたら、この宇宙そのものが存在しなくなります。

その根源的なエネルギー、存在の支えそのものが不在となることがあることになるからです。

お二人は霊力という最大の武具を備えていらっしゃいます。

それを、ある時は支えとし、ある時は避難所とし、ある時は至聖所とし、そしていつも変らぬインスピレーションの泉となさることです。

道を過らせるようなことは絶対にしません。

縁あってあなたのもとを訪れる人に最大限の援助をしてあげられるよう導くことに専念してくれることでしょう。


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良心の声

2017-09-02 20:34:39 | シルバーバーチの霊訓
More Wisdum df Silver Bilrch (次の第7巻として翻訳の予定―訳者)を読んだ読者からサークル宛に長文の手紙が寄せられた。

その大要を紹介すると―
”私の知っている人のなかには神を畏(おそ)れ教会を第一主義とする信心深い人が大勢います。

その人たちは確かに親切心に富み喜んで人助けをする人たちで、教会が善いこと正しいこととして教えるものを忠実に守っております。

ところが何でもないはずの霊的事実を耳にすると、それを悪魔のしわざであるとか罪深きこととか邪悪なこととを言って恐れます。

その無知は情けなくなるほどです。

ところで、こうした人達 及びこれに類する、言わば堅実に生きる善人は、私の考えでは、偏見のない良心と、何世代にもわたって教え込まれてきた幼稚な教説によって汚染された良心との区別がつかなくなっているのだと思います。

たとえば日曜日に教会へ出席しなかっただけで悩んだりします。

彼らにとっては礼拝に出席することが神の御心に適(かな)ったことであり、善であり、正しいことであり、従って欠席することは間違ったことであり、罪深いことであるかに思えるのです。

そうした思考形式が魂に深く植えつけられた場合、いったいどうすれば正常に戻すことができるのでしょうか。

彼らが呵責(かしゃく)を覚えているのは本当はシルバーバーチ霊がおっしゃる偏りのない良心ではありません。

一種の偏見によって本当の良心が上塗りをされております。

そこでシルバーバーチ霊にお願いしたいのは、本当の良心は何か、それと見せかけの良心とを見分けるにはどうしたらよいかを教えていただきたいのです”云々・・・

この手紙の主旨を聞かされたシルバーバーチは次のように答えた。


「地上においても霊界においても、道徳的、精神的ないし霊的問題に関連してある決断を迫られる事態に直面した時、正常な人間であれば”良心”が進むべき道について適確な指示を与える、というのが私の考えです。

神によって植えつけられた霊性の一部である良心が瞬間的に前面に出て、進むべきコースを指示します。

問題は、その指示が出たあとから、それとは別の側面がでしゃばりはじめることです。

偏見がそれであり、欲望がそれです。良心の命令を気に食わなく思う人間性があれこれと理屈を言い始め、何かほかによい解決法があるはずだと言い訳を始め、しばしばそれを“正当化”してしまいます。

しかし、いかに弁明し、いかに知らぬふりをしてみても、良心の声がすでに最も正しい道を指示しております」

サークルの一人「この手紙にはスピリチュアリズムは間違いであると思い込んでいる実直で真面目な教会第一主義の信心家のことが述べられておりますが…」


「それはもはや良心の問題ではなく、精神的発達の問題です。

問題がまったく別です。

それは間違った前提に立った誤った推理にすぎません。

私のいう良心は内的な霊性に関わる問題において指示を必要とする時に呼び出されるものです」


―でも、良心は精神的発達と密接につながっていませんか。


「つながっている場合とつながっていない場合とがあります。

私は良心とは神が与えた霊的監視装置(モニター)で、各自が進むべき道を的確に指示するものであると主張します」


一人の人間は正しいと言い、別の人間は間違いだと言う場合もあるでしょう?


「あります。

が、そのいずれの場合においても、自動的に送られてくる良心による最初の指示が本人の魂にとって最も正しい判断であると申し上げているのです。

問題はその指示を受けたあとで、それに不満を覚え、ほかにもっとラクで都合のいい方法はないものかと、屁(へ)理屈と正当化と弁解を始めることです。

しかしモニターによってすでに最初の正しい指示が出されているのです。

この説はあまり一般受けしないかも知れませんが、私の知るかぎり、これが真実です」


東洋の宗教は古くから人間の内部に宿る神を強調していますね。

「私なら神の内部に宿る人間を強調したいところです。

私に言わせれば”人間の中の大霊”といっても”大霊の中の人間”と言ってもまったく同じことです。

神と人間とは永遠のつながりがあります。

神は絶対に切れることのない愛の絆によって創造物とつながっております。

進化の程度において最下等のものから最高の天使的存在にいたるまでの全存在が神の愛と生命の活動範囲の中におさまっています。

程度が低すぎて神から見放されることもなければ、高すぎて神を超えてしまうこともあり得ません」



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