死後の世界は、どこにあるのでしょう?
今、あなた方が生活している別の側面、肉眼に見えず肉耳にも聞こえない世界です。
今こうして存在しているのと同じ場所に存在しているのです。
死後、わざわざそこへおもむく必要はありません。
今いるところが霊界なのです。
それが感識できないのは、霊的な感覚が発達していないからで、それが発達して霊界の波動あるいは振動(何と呼ばれてもかまいません)と調和すれば見えるようになります。
つまり、霊界という別の世界が存在するわけではないのです。
顕と幽にまたがる大宇宙を構成する無数の側面の、一つの側面に過ぎません。
この世では、死後の世界があるということを
知らない人が多すぎる。
家の中での夫婦の会話
いつものように、旦那に聞いてみた。
私 「とうちゃんのお父さん、50代で亡くなってるやろ、人間って死んだら終わりやと思う?」
旦那 「死んだら、終わりやな」
私 「じゃーなんで、御墓参り行ったり、お盆、お彼岸になったら、先祖さん帰ってくるとかいうん?
人間死んで終わりでなくて、魂は残るんやで、心の中で想うだけで、お父さんに伝わるんやで」
と夫婦の会話を聞いていた娘が、
娘 「お父さん、なんで、お母さんにそんな話させるん、お母さん、シルバーバーチとかなんとの・・・」と言い出した。
私の話を、今は受け入れてもらえてないけれど、着実に霊的真理の話をする機会は増えている。
死後、自分が死んだことに気づかず、霊界に上がれず、幽界にいて地縛霊化している人が多すぎるとのこと
「人は死んで、肉体が無くなっても、魂は生き続ける」という最低限、知っとかないといけないことがあるのだ。
今、あなた方が生活している別の側面、肉眼に見えず肉耳にも聞こえない世界です。
今こうして存在しているのと同じ場所に存在しているのです。
死後、わざわざそこへおもむく必要はありません。
今いるところが霊界なのです。
それが感識できないのは、霊的な感覚が発達していないからで、それが発達して霊界の波動あるいは振動(何と呼ばれてもかまいません)と調和すれば見えるようになります。
つまり、霊界という別の世界が存在するわけではないのです。
顕と幽にまたがる大宇宙を構成する無数の側面の、一つの側面に過ぎません。
この世では、死後の世界があるということを
知らない人が多すぎる。
家の中での夫婦の会話
いつものように、旦那に聞いてみた。
私 「とうちゃんのお父さん、50代で亡くなってるやろ、人間って死んだら終わりやと思う?」
旦那 「死んだら、終わりやな」
私 「じゃーなんで、御墓参り行ったり、お盆、お彼岸になったら、先祖さん帰ってくるとかいうん?
人間死んで終わりでなくて、魂は残るんやで、心の中で想うだけで、お父さんに伝わるんやで」
と夫婦の会話を聞いていた娘が、
娘 「お父さん、なんで、お母さんにそんな話させるん、お母さん、シルバーバーチとかなんとの・・・」と言い出した。
私の話を、今は受け入れてもらえてないけれど、着実に霊的真理の話をする機会は増えている。
死後、自分が死んだことに気づかず、霊界に上がれず、幽界にいて地縛霊化している人が多すぎるとのこと
「人は死んで、肉体が無くなっても、魂は生き続ける」という最低限、知っとかないといけないことがあるのだ。
私は幼い頃から霊を視ていました。霊は身近で普通の事です。
主人は「見たことが無いからわからない」と言います。
娘は、(自分自身が)視える事を嫌がります。
視えて普通の私には、見えない主人の気持ちがわかりません。
それは逆も言えます。
霊的な話はとても微妙で、視えない人に説明は難しく、視える者同士でもニュアンスの違いは否めなくて…
ただ、「魂は聞いている」と思い、理解は求めず雑談のように話します。
私ね、かのさんがご主人に話している「気付きの種」は、魂に届いているし、記憶に残ると思います。いざ、その時に「そういえば、こう言っていたなぁ」と思い出すと思うのです。
気付きの種が芽生える瞬間☆
何しろこの世に無駄な事はひとつも無いんですから。
コメントありがとうございます。
霊的真理を伝えるチャンスはないかと、いつでもアンテナをはっているのですが・・・
簡単には受け入れてもらえませんね。
時期が来ない事には
霊媒体質や、霊的な体験をしなければ、、霊がみえる、魂があるとる言われても
普通はピンとこないですね
小石さまのおっしゃる通り
「そんな事言ってたな」
と少しでも記憶に残ってくれればと思います。
いつもありがとうございます。