K巨匠のいかんともなるブログ

K巨匠:英国から帰国後、さらに扱いづらくなった者の総称。
また常に紳士的ぶりつつも、現実には必ずしもその限りではない。

満足な現状は満足な人生なのか?

2009-10-23 20:52:43 | 活きる
話は反れます。
リーマンショックについてはまた今度書きますが、
今日はマクロな社会論ではなくて、ミクロな精神論です。


さて、Kは自分の目指すべき道が少しつづ見えてくるにつれて、
何かやるせない気持ちになることが時々ある。

それは「現状にどうしても満足できない」ということ。
「後悔」と言い換えてもいいかもしれません。

自分の辿った軌跡を振り返りながら、
「あの時こうしておけば?」
「あの時違う判断をしていたら?」
「あの時もう少しだけ頑張ったら?」
そんなことを女々しく考えながら、思考が停止してしまう。
良くないこととはわかりつつも、前ではなく、後ろにこだわってしまう時があるのです。

目標はめちゃくちゃでかいのに、自分はあまりにも小さくて、
「どうすんだよ一体?」
って思い悩む。
そして気づいたら、「~なんだから大丈夫だ」とかいって、
昔した失敗を何とか正当化しようとしている自分に気づく。
そんな時は本当に情けなくなって若干の自己嫌悪になる。

「ダメだ。後ろ(過去)ではなく前(未来)にこだわらないと。」
と言い聞かすのですが、
そう思えば思もう程、結構後ろに思考がいったりするのです。

他の人がどうなのかは分からないし、恥ずかしくて聞いたこともないですが、
少なくともKの人生の中ではやはり挫折と後悔の方が、成功よりもはるかに多い。
だから、自分の至らなさにやるせなくなる時がどうしてもある。

でも結局は前を向くしかないって気づいて、後ろを思考することを「諦める」のです。


でも、最近一つ思うことがある。

後ろについて考えることは無意味なのか。

昔はそう思っていたのだけども、今はそうでもないような気がしている。
自分の過去の悔しさややるせなさが、自分の今の原動力になっているからだ。
だから自分は前を目指していける。

その意味では、
「満足な現状を積み重ねても、決して満足な人生になるとはいえないのではないか」
「満足できない現状だから、実は満足な人生を過ごせているんじゃないか」
ってそう思っています。

言いすぎかもしれないけど、
人間は現状に満足した時に大切な何かを失う気がする。
何かを強い力で求め続けているから、可能性が生まれるのではないか。

そんなことを今何となく考えています。


閑話休題。