K巨匠のいかんともなるブログ

K巨匠:英国から帰国後、さらに扱いづらくなった者の総称。
また常に紳士的ぶりつつも、現実には必ずしもその限りではない。

ポピュリズムの政治

2009-12-22 01:32:54 | 日本情勢
大変ご無沙汰しております。
修論がちょっとピークにきておりまして、なかなか更新できない今日この頃です。

それでも今日書こうと思ったのはなぜかというと、
最近の政治に若干の憤りを感じることが多いからです。
というのも、すごくポピュリズム(大衆迎合主義)に寄りすぎていると、そんな気がしているのです。
この前の民主党のマニフェスト変更内容を見ると、その是非は置いておいても
間違いなく来年の参院選を意識していることは明らかです。

当り前のことですが、民主主義の国家では主権は国民にあります。
しかし、その民主主義が効果的に機能するには少なくとも二つの前提があるといって差し支えないでしょう。


第一に、個人の利益の集合が全体の利益とほとんど等価であるという前提です。
簡単にいえば、一人一人が喜ぶことをやることを重ねれば、
国民全体が喜ぶことにつながる、ってなことです。

しかし、そう単純にはいかないのが現実です。
特に国の構造を変えなければならないような今日においては、
国民が憤るようなことも断固として進めなければならないのは目に見えています。
(例を挙げるときりがないので省略しますが。)
つまり、個々の利益≠全体の利益という現状を打破しなければいけないのです。

こうした場合、民主主義は弱い。
なぜなら、民主主義において政治を動かすのは国民であり、
その国民は全体ではなく個々の利益から政治を評価する傾向があるからです。
だから、今の政治は本当に日本を浮上させるのではなく、
近視眼的観点から国民を喜ばせるものに成り下がっている。
これでは日本が全体として成長するはずがない。


第二に、国民が適切にエンパワメントされる必要があります。
なぜなら民主主義の基礎は、政党間の競争にあり、
その政党を国益に合わせて選ぶのは国民だからです。
したがって、俗な言葉でいえば、国民がある程度「頭がよいこと」が
民主主義の政治を効果的に進める前提となります。

特に長期的にみれば、民主党政権になろうと、自民党政権になろうと、
官僚主導から政治主導に変わっていくでしょう。
つまり、官僚主導が一部のエリート主導であるのに対して、
政治主導とは突き詰めれば国民主導ということです。
したがって、国民が国全体のことを考えずに、
政治の「イメージ」に振り回されたり、個人の利益を優先させたりすれば、
おのずと日本の将来は明るいものにはならないでしょう。


今回の政権交代によって、日本が初めてちゃんとした意味での
「民主主義の国家」になったと思っています。
けど、それは実は日本における歴史上初めての経験で、
それがしっかり機能するかについて、上記二点の理由から大変危惧しています。

今では民主主義が金科玉条のように言われていますが、
古代ギリシャの思想では民主政は君主政・貴族政・衆愚政とならぶ政治の一形態に過ぎないと考えられていました。
最近ではチャーチルが「民主主義は、その他の政治形態を除いた、最悪の政治形態である」
と皮肉たっぷりに言ったそうです。

民主主義はしっかり機能しなければ、衆愚政に陥ります。
そうしたことが昔の偉人には分かっていたのでしょう。

政治は国民をなめくさって短期的に喜ばせるようなことをやればいいと思ってる。
そして国民の側も、そんな政治を無批判にありがたいと思っている。
そんなポピュリズムの政治に陥っている状況を見るたびに、
なんだか少し暗い気持ちになってしまいます。